02.アリシアの真実
硬直している私を気にした様子も無く、アリシアは言葉を続けた。平常時のトーンより幾分か落ち着いていて、怒り狂っている訳では無さそうなゆったりとした声音なのだが、それが余計に焦りを産む。
「このオクルスって名前、どこから知ったのさ」
「……えっと」
「んー、ああいや、やっぱり言わなくていいわ。情報の出所なんて一部しかないはずだから分かってんだよ。目くじらを立てるような事でもないしな」
「そ、うですか……」
「ねえ、オクルスについて――知りたい?」
チラッと見たアリシアの顔には薄い笑みが浮かんでいた。いつもの溌剌とした態度からは想像も出来ない程落ち着いた様子に、逆に私が落ち着かない。忙しなく視線を動かしながら、今アリシアに言われた言葉をゆっくりと咀嚼する。IQの著しい低下を覚えた。
ややあって、彼女の言い分を完全に理解した私は蚊の鳴くような声で応じる。
「えーっとその、迷惑で無ければ……知りたいです」
「あっはははは! そんなに怯え無くていいって! ちょっと脅かしただけだろ。いいよいいよ、教えてやる。私は寛大だからさ」
ニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべた彼女は、陶磁のように白い指で自分自身を指さした。
「オクルスっていうのは、私の本名だな。アリシアは偽名なんだ」
「……えっ」
「そんなに驚く事か? 偽名でギルド登録してる奴なんて結構いるよ。まあ、本当は駄目なんだけどさ。ルグレだって偽名だし……その辺はギルドマスターの采配かな。本名を書けない奴もいるから」
――そこじゃない。偽名なのも色々と疑問はあるが、大きな問題はそこではない。オクルス=アリシアという絶望的な方程式が成り立った事である。
言葉を失って立ち尽くす。あんまりにも顔色を悪くしたせいか、段々とアリシアも笑みを引っ込めて怪訝そうな顔をし始めた。
「え? シキミ? どうしたのさ、そんなに具合悪くなるような話だった? お前、ギルドマスターに偽名名乗ってる奴は皆殺しにしろとでも言われてんの?」
「い、いえ……。極めて個人的な事で地雷を踏んだというか、何と言うか……」
「地雷? まあ何でも良いけど顔色悪いし、今日はさっさと帰って休んだ方が良いんじゃ無いの? まあ、引き留めた私が言えた義理じゃ無いけれども」
そう言いながらアリシアは席を立った。部屋からそそくさと出て行こうとしていた彼女はこちらを一度振り返り、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あ、そうだ。シキミ、今ギルドを出たらオルヴァーと一緒になるかもよ。急いで戸締まりして帰んな」
完全に愉快犯。無意識の内に地雷ヶ原でタップダンスをきめたアリシアは誰が見ても美しい容に盛大な笑みを浮かべ、ひらりと手を振って退室した。引き際でさえあまりにも鮮やかだったとだけ言っておこう。
ぽつんと一人残された私は誰の目も無いのを良い事に、分かりやすく且つ盛大に頭を抱えて蹲った。
何度も言うようだがサツギルのオルヴァー個別シナリオはクリアしていない。あのシナリオの中にはアリシアがオクルスであるという明記があるのだろうか? それとも終ぞ姿を現さないモブ扱いだったのだろうか? 最早それを知る術はない。
どちらにせよ大きな地雷である事は変わらず、発狂しそうな心持ちのまま深呼吸を繰り返す。ゲームならばまだ犬の糞を踏んだくらいのダメージだったが、現実ではそうもいかない。言うなれば昼ドラが目の前で勝手に展開され始めたような危険性。
もし学生時代、忌避してきたシナリオを知らなければこんな事になると知っていたのなら。地雷に備えた上でしっかりシナリオを閲覧してきたというのに。
だがしかし、足繁く相談室へ通っているオルヴァーはどうすれば良いのだろうか? 彼は最初、オクルスと二人きりになるのは不義理だ何だと言っていたが今となってはそれがどういう意味なのか分かる。
アリシアとルグレはセット扱いだ。ゲームの時から公式がそう取り決めており、異性であるはずのルグレ個別シナリオは存在しなかった。代わりにアリシア&ルグレの友情エンドが1つあっただけ。アップデートで追加された二者はサツギルの世界を何周かしているお姉様方でさえ手応えを感じる難易度の高さだった。
それはいい。だが、運営から強固な絆で結ばれた二人一組の仲にオルヴァーが割って入れる可能性はゼロに等しいだろう。パーティを組んでいる以上、仲間という意識はあるのだろうがオルヴァーが期待するような関係性は築けない。
そりゃ積極的にアプローチする気にならないわ、溜息が出る。彼は身の程を弁えていたのだ。分かっていながら溢れ出た好意をどうにか昇華しようとしていたに違いない。
「……取り敢えず、帰ろうかな」
今日の気分なら相談室の床に何時間でも蹲っていられそうだったが、普通に迷惑なので足を引きずるようにして立ち上がる。とにもかくにも、諸々の整理が付くまでオルヴァーパーティとは出会したくない。