10話 無神論者達の教会

05.教区管理者


 危険な思想に意識を飛ばしていると、再びシリルがタブレットへと手を伸ばしてきた。この空気で取り合い続行? 場の空気とか彼の前では一切関係ないらしい。
 今こんな事する感じじゃなかったでしょ、と心中で悪態を吐きつつもタブレットを取られるのは困るので防戦する。ただ彼とは体格差も戦闘能力差もありそうなので、いつまでもこの攻防が続くはずもない。
 ドラホスの事は嫌いだと言っていたし、何かの間違いで彼が乱入して来ないだろうか。秒で不毛な争いが終結するのに。

 起きもしない希望的観測に思いを馳せていると、不意にふらりと人影が踊った。通行人のような気安さで、私とシリルの間に割って入ったのだ。

「――聞き捨てならないわね、神はいるわ」
「今!? その話、1分前に終わりましたけど!!」

 思わずそう叫ぶ。
 しかし、現れたこの人物は一体誰だ? 黒い長髪、かなり小柄な女性だ。両目は閉じられており、どことなく厳かな雰囲気が漂っている――あ、いや待て。この人多分、サツギルで聖水を譲ってくれる教会のお姉さんだ!
 台詞が「貴方に神の加護があらん事を」の1種類しか用意されていないので、それ以外の台詞を聞くのは初めてである。一応、その1種類の台詞にボイスは付いているのだが、生憎と声を覚える程教会に通い詰めてはいない。

 納得する私とは裏腹に、シリルは苛立った顔をしている。表情筋を引き攣らせながら、態とらしく聖水のお姉さんに声を掛けた。

「あれ~? 管理人じゃん。何でこんな所にいる訳?」
「私はイレーモよ、シリル」
「でもさあ、アンタって教会の管理人だったよね? なら管理人であってるじゃん」
「それは役職名であって、私の名ではないの。サイモンの躾が行き届いていないようね。目上の者は敬うべきだわ」
「俺、アンタに育てられた覚え無いからさあ。敬うも何も無いんだわ」
「……はあ」

 睨み合う両者に心臓が縮む思いをする。神がどうの、という話題に食い付いて来たのだから聖水のお姉さん――改め、イレーモはかなり最初から私達の会話を聞いていたのだろう。もっと早く乱入して来てほしかった。

「管理人というのは何の……?」

 彼女との距離感を図る為、訊ねる。万が一滅茶苦茶偉い人だった場合、気軽に聖水を貰いに行けなくなるからだ。問いに応じたのはシリルである。ひらり、手を振ると事も無げに重大な事実を告げる。

「あん? そいつ、教区管理者だから。この辺の教区はぜーんぶ取り仕切ってんの」
「教区管理者!?」

 予想の云十倍は偉かった。舐めた口を利かなくて良かった、と今まで接して来て初めてシリルに感謝をした程だ。協会組のシナリオでしか出て来ないのでそんなに偉い人だとは思わなかった。
 そんな彼女、イレーモは優雅に私のタブレットを指さす。

「悪戯はおやめなさい、シリル。その機械は貴方に扱える物では無いわ」
「はあ? お前があの四角い板の何を知ってんのさ」
「私は知らずとも、神はそれについてよくよくご存知だわ」
「会話して貰っていい? そっちのがよっぽど失礼なんじゃない?」

 2人は暫く睨み合い、存分に険悪な雰囲気を撒き散らしていたが先に視線を外したのはシリルだった。態とらしい盛大な溜息を吐き、そっぽを向く。

「あーあ、テンション下がった。この間からマジで何なの? いつもはどいつもこいつも、俺に干渉して来ないくせにさ」
「貴方が干渉される事を嫌がるのは知っている。けれどそれは、他者に迷惑を掛けて良い理由にはならないわ」
「いーんだって、そういう正論は。分かってやってんだよ、理解しろ」
「悪い子ね、シリル。これ以上私に対して暴言を吐くのであれば、サイモンに今日の事を懇切丁寧に説明するわ」
「親の名前を引き合いに出すの、止めたら?」
「貴方が年相応の振る舞いを見せるのであれば。止めましょう、すぐにでも」

 会話が丁度途切れた瞬間、教会から飛び出して来たドラホスが手を振りながら走り寄って来た。ふと時計を見れば外を視察すると言ってから結構な時間が経っている。申し訳無い事に心配させてしまったのだろう。
 その姿を認めたシリルは不機嫌そうな溜息を吐くと、さっさと踵を返しその場から去ってしまった。何て自然な場の去り方だろうか。

 私達の元へ駆けてきたドラホスの顔色は悪かった。相当心労を掛けてしまったようで申し訳無くなってくる。

「すまん、あまりにも遅いので様子を見に来た。まさかシリルに絡まれていたとは……。イレーモ様もお手数をお掛けした」
「いいのよ、ドラホス。すぐに彼女を助け出せなくて悪かったわ」

 そう言い残すとイレーモは教会の中へと消えて行く。また聖水を譲渡する役職に戻るのだろう。