08.依頼書のルール
いつまでも喧嘩をさせておく訳にもいかない。まだ口論で済んでいる兄弟喧嘩を尻目に、次男・スタフティについて情報を思い出す。
確か彼はプロシオやラヴァよりずっと理性的で、しかし頭に血が上ると途端にIQが下がってしまう性格だったはず。現に今もすっかり怒り心頭の様子で、恐ろしい形相をしている。完全に我を忘れていると言えるだろう。
――やっぱりこれ、夕飯云々の話じゃなくない?
基本は理性的なスタフティが夕飯を何にするかで揉める所が想像出来ない。かといってプロシオが私に対してつまらない嘘を吐くとも思えなかった。言いたくなければ嘘を吐くのではなく、言いたくないと言うはず。下らない嘘を吐いて楽しむような人格ではない。
つまり何が起きているか。プロシオとスタフティで怒っているものの内容が相違している、という事だ。
思考の海に沈んでいると、不意にキュィインという非常に形容し難い音が鼓膜を打った。あまりにも聞いた事の無い音過ぎて嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
ハッとして顔を上げた瞬間、こちらへ猛ダッシュしてきたスピサの背中によって視界が黒一色に塗り潰された。間を置いて響く盛大な爆発音。感じるはずの熱や風はしかし、耳元で渦を巻くだけで感じ取れなかった。
「――え?」
「え? じゃない!! ボーッとしないでと言ってるでしょう!? 脳におがくずでも詰まってんの!?」
「ご、ごめん……」
鬼の形相でギャンギャンと騒ぐのはスピサだ。確かめるまでもなく、本日二度目のご迷惑をおかけしてしまった。
防御魔法を解いた末っ子は頭を抱えている。
それもそのはず、熱い口論を躱していた兄弟達は額に青筋を浮かべて杖やら魔道書やらを装備し、第二ラウンドを今まさに始めようとしている状態だった。
こめかみを引き攣らせたプロシオが苛立った様子で深く息を吐く。今にも襲い掛かってきそうな猛獣めいた動作にゾッとして息を呑んだ。
「スタフティ、お前、急に魔法撃ってくるんじゃねぇよ。俺が折角、お前の為に話し合いで済ませてやろうってのによォ」
「話し合い? 夕飯の話が始まった時は頭が湧いているのかと思ったよ。僕を馬鹿にしているのか? そんなんだから駄目なんだよ」
「ああ? だから、好きなモン食えつってんだろうが!!」
「飯の話はしていないって言ってるだろ!!」
――やっぱり夕飯の話で揉めてる訳じゃないじゃん、これ!
嫌な方向に予想通りだった。少なくともスタフティは夕飯の話題如きでここまで怒り狂ったりはしない。
再びドンパチ始めた兄弟を尻目に、私はスピサへ声を掛けた。これだけ盛大に騒げばラヴァがいい加減駆け付けてくるとは思うが。
「えーっと? それであの2人、どうして喧嘩しているの?」
「……夕飯の話をしていたプロシオお兄ちゃんが」
「うんうん」
「うっかり、話に白熱し過ぎて持ってた依頼書をその、燃やしてしまって……」
「依頼書を燃やした?」
そういえば、元々はここにクエストの遂行を目的として彼女等はやって来たのだった。であれば、依頼書を持っているのは当然。クエストを受注する時に受け取る書類で、これを見ながら依頼をこなすのだ。
「そう。それで、スタフティお兄ちゃんがギルドの受付に出さなきゃいけない紙だったのに、って怒ったの」
「まあ確かに、依頼書は終わった後に受付へ提出して依頼完了だからね」
「うん。でも、プロシオお兄ちゃんは、スタフティお兄ちゃんが何故怒っているのかを多分理解していないと思う」
「おっと……」
そっかー、と大人の対応をしつつ私は内心で頭を抱えていた。
というのも、ラヴァ一派の兄弟喧嘩は理論や正否を飛び越え喧嘩に勝利した者の言い分が正しいという事になる。今回はプロシオが9割悪いので、スタフティを勝たせなければ焼失した依頼書は返ってこず、折角こなした依頼が失敗する事になる。
ゲームであればムキムキに鍛えたヒロインが喧嘩両成敗で2人を伸し、我を通すというイベントなのだが、今回その解決法は得策ではない。私では彼等に勝てないどころか、髪の毛一本すら拾う事が出来ないからだ。
が、ここで受付嬢時代の知識が脳裏で煌めく。場合によってはスピサに依頼書を再発行して貰えば良いのだ。
「スピサちゃん。クエストの代表者は誰? 代表者が受付に申請すれば依頼書は再発行出来るんだけど」
「プロシオお兄ちゃんが受けたけれど」
「あー……。じゃあ、そのプロシオさんに言ってギルドに戻ってから再発行して貰おう。手数料が掛かるけれど、報酬がゼロになるよりマシでしょ」
「再発行……」
知らないのも無理は無い。依頼書を紛失する馬鹿などそうそういないし、再発行出来るという事実を知らない者は一定数存在する。尤も、紛失した状態で受付へ行けば再発行を勧められる訳なのだが。
ただクエストの完了報告をプロシオが行わない場合は話が変わってくるので今ここで教えておいた。
「あなた、よくそんな事知ってるね」
「元々は受付やってたからね。たまに依頼書無くしたって人もいるし……」
「ともかく、先にお兄ちゃん達を止めないと。再発行が出来るってスタフティお兄ちゃんに伝えたら止まってくれそうだし」
喧嘩を止める糸口が今度こそ見えたお陰か、スピサの顔色が明るくなる。これで兄弟2人を叩き潰さなくとも話を聞いてくれる可能性が浮上した。後はちょっと足と手、口も止めて貰うだけである。