2話 意外な相談者

01.カレーの香る相談室


 長閑な昼下がり。皆が昼食を摂っている時間と言うのは相談室も暇なものだ。すっからかんの室内を睥睨しながら、私はカレーをスプーンで掬う。今のうちに昼食を摂っておこうと思ったのだ。
 適度に水を飲みつつ、食堂のおばちゃんが作ったお手製のカレーを口に運ぶ。深いコクとまろやかな口溶けの辛さ控え目、胃に優しい味わい。うん、今日もカレーは最高だ。

 食堂のおばちゃんの顔を思い浮かべ、感謝の念を送っていたその時だった。荒々しく相談室のドアが開け放たれる。おばちゃんの顔は霧散した。

「邪魔をする。……何だ、カレー臭いな」
「……っ、ゴホゴホッ!!」

 急な来客に追い討ちを掛ける形での酷く聞き覚えがある声に思わず噎せ返る。慌ててコップの水を喉に流し込んだ。呼吸を整えながら、予想が外れている事を願いつつ、カーテンが閉め切られているのでシルエットしか見えない客を見やる。

「い、い、いらっしゃいませ」
「ふん……。ここに座れば良いのか」
「え、ええ。はい、うん……」

 間違いない。彼は、この来客は――オルヴァーだ。
 心拍数が上昇し、思わず胸を押さえる。くそう、ズルいぞこのタイミングで推しメンをぶっ込んで来るなんて。
 いるのかどうかも分からない神様にそう心中で文句を言いながら、私は体裁を取り繕う。どうあっても室内に充満したカレーの臭いは消せはしないが。

 ダブレットを取り出し、オルヴァーのページを開く。相変わらず逞しい顔付きのイラストだ。
 さて、それと決まった訳では無いがオルヴァーに前述した通り「ゲーム内のヒロイン以外の女性に好意を寄せている」攻略対象だ。今回、ヒロインにあたるベティはデレクのルートに入っている。
 であれば、自然と相談の内容は『オクルス』という名前しか分からない女性についてだろう。上手く行けば彼女のご尊顔を拝めるかもしれない。

 色々と考えていると、先にオルヴァーが口を開いた。戦闘が絡まないからか、特に喧嘩腰ではない。ただ、いいから話を進めろという空気は感じられるが。

「名乗らなくて良いんだろ」
「はーい、大丈夫ですよ」
「そうか、なら……。少し聞きたい事がある」

 ――歯切れが非常に悪い。恋愛なんて軟弱だ、と友情イベントでもそう言うオルヴァーだ。この歯切れの悪さはそれに準じた話題に違いない。
 ニヤニヤとほくそ笑みながら、続く言葉を待つ。

 何度か首を振り、葛藤した後にようやく彼は口を割った。

「実は、だな。好意を寄せている女がいる。今度、記念日という事で祝い事をやるらしい。何か贈り物でもと思うが、それ以上については何をしようとも思わない」
「と言うと?」
「好意はあるが、それだけ。それ以上の事をしたいとは思わない。しかし、日頃の感謝を伝える事を怠りたくはない」

 ――恋愛イベントを進展させる気は無いって事か……。
 そういえば友情度を深めた時にも似たような事を言っていた気がする。尊すぎて文字が上手く読めなかったので、ふわっとしか思い出せないが。

「……お相手の名前とかは教えて頂けますか?」
「あ……そうだな、オクルス、とでも言っておく」

 素早くダブレットに名前を入力するが、該当項目無し。オクルスという人物は、そもそもギルドに在籍していないのだろうか。
 仕方無いので、唯一そのオクルスについて知っている人物であるオルヴァーから情報を収集する。

「ちょっと知らない人なんですけど、どんな女性なんです?」
「そうだな……強い女だな」

 ――それはメンタルの話? それとも戦闘の話?
 しかし、ギルドのメンバーならクエストに行くはず。それとなく鎌を掛けてみよう。

「じゃあ、まずはクエストに誘ってみて、それとなくお食事に誘うのはどうですか? その時に欲しい物とかを聞いてみるのが基本ですね」
「クエストにオクルスは連れて行けない。食事と言うのは2人で行けって事か? そうなら、俺には無理だな。不義理になる」

 ――不義理が理由? まさか、どこかのグループと三角関係とかじゃないよね……。
 絶句して口を閉ざした私を前に、オルヴァーはがたっと席から立ち上がる。しまった、使えないと思って退室されてしまう。
 が、意外にもクエストや戦闘時以外のオルヴァーはそこそこ人道的だった。こちらを一瞥し、首を横に振る。

「情報不足か。支離滅裂な事を訊ねて悪かったな。また出直す、邪魔をした」

 言うが早いか、オルヴァーは相談室から出て行った。その背中を呆然と見送る。
 出直す、って事はまた来るという事ではないか? 切実に贈り物について悩んでいるらしい。だって、非常にらしくない行動だ。
 一瞬だけ頭に過ぎる「羨望」という感情。身の程を弁えろとしか思えないが、確かにオルヴァーがそこまで頭を悩ませるオクルスという女性に羨望という感情を僅かながら抱いている。
 それもそうだ。そもそも、二次元と三次元、次元を越えていた時からドストライクな登場人物だった。それが現実として目の前に現れれば、分不相応な感情を覚える事だってある。

 脳裏に致命的な言葉が過ぎるより一瞬早く。相談室に響いたドアをノックする音で、思考が現実に引き戻された。