16.母親じみた説教
「体育館倉庫に鍵を掛けてたら勝ってたんじゃない、依織ちゃん」
朗らかな笑みを浮かべながら鈴音が呟いた。にこやかな笑みを浮かべているあたり、冗談などでは無さそうだ。
しかし鍵、鍵か。
と依織は思考を巡らせる。確かにあの時、一度体育館倉庫前に移動した後、鍵を掛けて中へ『移動』すれば実質勝っていたかもしれない。しかし、倉庫の鍵は巨大な南京錠。あの鍵は中からでは無く外からでしか掛けられない。
つまり、外で鍵を掛けて中へ移動するというスキルを最低2回は使わなければならない状態だった訳だ。それでは今日定めた規定回数を超過してしまう。
その他諸々を加味して、それは無理なんだよと伝える為に口を開く。変な期待をされて、これから先の演習でアテにされるのは危険だ。
「いや落ち着いて考えよう、鈴音ちゃん。そもそも鍵は――」
――……ん? 何だろう。視線が……。
話しているのは自分のはずなのに、皆の視線はその遙か後ろ。依織ではなく背後に焦点が合っているように見える。
恐る恐る、背後を見やった。
「ヒエッ……!?」
――日比谷桐真。
どこから見ても完璧なご尊顔が無の表情でこちらを見下ろしていた。椅子に座っているので当たり前なのだが、上下の間合いを取られると恐ろしい事この上無い。
皆を見やるも驚いた顔をするのみで助けは期待出来そうになかった。どころか、「何やったのお前」みたいな空気すら漂っている。
ややあって日比谷少年が口を開いた。重低音、「何か怒ってる?」とかいう迂闊な問いさえ憚られる程の不機嫌な声だ。
「おい、ちょっと廊下まで顔貸せ」
「えええええ……」
我に返ったのは鈴音だった。気丈にも「ちょっと待ちなよ」、と日比谷の強行を止めに入る。
「い、依織ちゃんが何やったのか知らないけど、暴力は良くないと思う!」
「は? 暴力? 別にそんなつもりはねぇよ。というか、暴力沙汰なんて起こしたら普通に停学じゃ済まないだろ。馬鹿馬鹿しい」
「穏便に話すって事かな?」
「そう言ってる」
――穏便って言葉が全く似合わない表情なんだよなあ……。
しかし、恐らく鈴音にこれ以上お任せする訳にはいかないだろう。何せ、彼女は現状に全く関係が無い。
仕方なく依織は席から立ち上がった。
「行くの? 別に行きたくないならそれで、誰か呼んでやるけど。先生の類いを」
芳埜の申し出に首を横に振る。
「多分、大丈夫。戻って来なかったら私の事は気にせず、解散してて良いからね……!」
「別にそこまで時間取らせるつもりは無い」
「アッハイ」
くるりと背を向けた日比谷の後を追う。恐ろしい連行の場面だと言うのに何故だろう。その背中にはやや懐かしさのようなものさえ覚えている。まさか、幼少期にもこうやって恐喝まがいの事でもされたのだろうか。思い出すのが恐ろしい。
食堂の廊下はひんやりとしていて、人の気配を感じさせなかった。というのも、現状が既にあまり早い時間では無く食道内部で時間を潰す生徒はいるが、廊下を歩き回って移動する生徒は少ないのだ。
そんな、人を呼び出すのに絶好のシチュエーション。
不機嫌をそのまま切り取ったかのように眉根を寄せた日比谷が立ち止まる。
「お前……」
「ななな、何でしょう……!?」
「何でしょう、じゃねぇよ。疲れてんだろうが、何でも良いから他人の視界に入るような所で昼寝したりするな。危ない」
――何か説教が母親みたい。
飛び出した言葉に、一瞬、イケメンに対する畏怖すら忘れた。思わず胡乱げな顔で日比谷少年の顔を覗き込んでしまう。それを「理解していない」、と捉えたのか更に彼は言葉を綴った。
「食堂で長話してないで、さっさと帰って風呂入って寝ろ。明日もどうせハードな日程だぞ」
「え、あ、はあ……。了解」
「ハァ……。まあいい、それだけだ。じゃあな」
じゃあな、とそれだけ告げた彼は本当にその場から去って行った。方向的に、寮の自室へ戻ったのだろう。が、何故呼び出されたのか。真意は全く以て不明である。
その後、待ってくれていたみんなに心配されたものの、本当に何も無かったので事のあらましを説明して解散。
自室に戻った依織は午後11時という事もあって、備え付けのユニットバスにて入浴を済ませると倒れるように就寝した。