14.お遊びのルール
「じゃあ、どのくらい体育館倉庫に居るんですか」
質問を変えてみる。一瞬だけ迷うように口を噤んだ担任はしかし、その問いに関しては答えを寄越してきた。
『およそ7分だな。もっと短いかもしれんが』
――これは寝てるな。
もともと、如月依織という人物は活発に動くタイプではない。気付けば手を抜き、気付けば休憩している。鬼が来ないのを良いことに、寛いでいるのだろう。放置しておけば、勝手に寝落ちしている可能性だってある。
その考察に行き着いた瞬間、桐真は彼女を後回しにする事を決めた。そもそも、『瞬間移動』のメインスキルを持っている時点で真っ向からの勝負では絶対に勝てないと決まっているのだ。油断して寝入った隙を襲撃しよう。
「他に誰か近くに居ませんか?」
『んあ、良いのか如月は。まあ、先生が口出しする事じゃねぇが』
柳楽が再び正確な情報を口にした。
***
鬼ごっこを開始して50分が経過した。残り10分。
日比谷桐真は時計を見、残りの如月依織を捕まえるべく踵を返した。あれから結構な人数を捕まえたが、海崎晴也は何をしているのだろうか。全くと言って良いほど見かけない。
「先生。海崎はどうしましたか?」
『あ? 海崎? アイツならクラスの3分の1捕まえた後からずっと休憩してるぞ』
――サボってんのかよ。
あの不良生徒め、と小さく舌打ちする。適当に何人か捕まえて、あとは丸投げ。何の為に高校へ通っているのだろうか。アテにならない。所詮は口だけの存在か。
「まだアイツ、体育館倉庫に居ますか?」
『おう。居るよ』
「向かいます」
あまり慌てる事無く倉庫へと向かう。
全く動きが無いのを見るに、何度か『瞬間移動』を使用してスタミナ切れを起こしているのか、或いはうっかり寝落ちしているかのどちらかだろう。急ぐ事も無い。
隣の家に住んでいて、かなり幼い頃の付き合い。
でも――何を考えているのか、まるで理解出来なかった。ただ、恐らく彼女は授業での鬼ごっこになど、微塵も興味が無いのだろう。少しだけ浮世離れしたきらいがあるので、学業の成績に拘るところが想像できない。
ごちゃごちゃと考え事をしているうちに、体育館倉庫前に到着していた。鬼ごっこ終了まで残り7分。
――スキル使用回数、残ってたら負けるな。
倉庫の周りに人影が無かったので、戸に手を掛けたところで不意にそう思い至った。ここから一番遠い場所へ移動されるだけで、時間制限が来て鬼側の負けとなってしまうだろう。
不意に訪れたスリリングさに口の端を歪めながら、戸を引く。
倉庫特有の据えた臭いが鼻孔を擽って非常に不快だ。更に埃っぽく、咳が止まらなくなりそうでもある。
そんな中、マットの上で手を組んで寝息を立てている幼馴染みの姿をあっさりと発見した。脱力を通り越して、お門違いの苛立ちすら湧き上がって来る。
天下の宝埜学園に入学していながら、実技の成績に響く実習で、居眠り。その神経を疑うし、何だろう、肩透かしを食らった気分になる。
こちらは全力でこの遊びじみた授業に投資しているのに、それを嘲笑うかのような態度。こんな事に全力を出さずとも、人生などどうにでもなると言わんばかりの達観。いつからだろう、彼女の性格に憤りを覚えるようになったのは。
ぎり、と奥歯を噛み締め、眠っている彼女の肩をやや乱暴に叩く。
「おい起きろ。お前で最後だぞ」
「…………え?」
「え、じゃない。お前で逃げてる連中は最後だって言ってるだろ」
「うわ、日比谷くん……!!」
一瞬で意識を覚醒させた依織は化け物でも見るかのような目でこちらを見ている。やはり何を考えているのか、欠片も理解出来ない。
隠れていたのに鬼に見つかった事への表情なのか、それとも起こされた驚きの表情なのか。豊かな、豊か過ぎる表情は逆に読み解くのが難解だ。
「え、私最後だった?」
「同じ事を何度も言わせるな。スタート地点に戻るぞ、手前まで送っていけ」
「テレポで?」
「ああ」
何故か不思議そうな顔をした依織はしかし、差し出した手を取った。まだスキル使える状態だったのに眠りこけていたのか。
その疑問を口にする前に、視界がぶれて据えた埃の臭いが消失。傾き掛けた太陽の赤い光が目に刺さった。
***
――やらかした……!!
鬼ごっこ開始地点に戻ってきた依織は、心中で頭を抱えていた。脳裏ではうっかり眠ってしまった自分の失態が延々と繰り返されている。
しかも、視界に入らないように生きて行こうと決意したばかりの日比谷少年に見つかってしまう始末。あのドン引きどころか、微かに怒りさえ覚えていそうな顔はインパクトが大きすぎた。おかげで瞬間的に目を覚ます事は出来たのだが。
――流石に間抜け過ぎるだろ私……。
グルグルと回る恥ずかしさは抜けきらない。今日1日、否、眠る時も一人脳内会議で猛省する事となるだろう。いや本当に何をやってるのか。
ちら、と送り届けた日比谷を見やるも、彼は空を見てなんとも言えない顔をしている。こんなポーズと態度、イケメンにしか許されないに違いない。