1話 学園生活1日目

13.スキルの有用性


 ――そんな、穏やかな時間は長くは続かなかった。
 体感的には5分くらい経っただろうか。鋭い視線を肌で感じて、弾かれたように顔を上げる。

「うわ……!?」
「テメェ、やる気あんのか!? ああ!?」
「ヒエッ……!!」

 件の不良モドキ、海崎晴也だ。その目は呆れを孕みながらも、ギラギラと好戦的に輝いている。抵抗してきてみろ、倍返しにしてやると言外に伝わってくるようだ。
 怯えているような声が癪に障ったのだろうか。
 元々から悪い目付きを更に悪くして、一歩一歩、肉食獣がウサギでも追い詰めるように躙り寄ってくる。安易に走り寄って来ないあたりに強者の余裕すら感じさせる程だ。

「何ビビった顔してんだよ。お前がボーッとそこに座ってたんだろうが! 馬鹿にしやがって!!」
「それは少々、思考が飛躍しすぎなのでは……?」
「うるせぇ!」
「そっちのが五月蠅いって、絶対に!」

 ぐんっ、と先程までのろのろと歩いていた海崎が唐突に走り出す。動きにメリハリがあると言うか、先読みのし辛い動きだと素直に感心した。
 お陰様で一瞬だけ出遅れ、海崎の指先が肩を僅かに掠った――ような気がした。

 景色が塗り変わる。

 校舎裏、花壇の位置からここはどうやら体育館倉庫の前のようだ。爽やかな場所から一転し、少しばかりジメジメした空気が不快に感じる。

 ――追って来るだろうなあ、海崎くん。
 依織は心底憂鬱そうな溜息を吐いた。あの様子では、怒り心頭といった調子で全力疾走で追いかけてきかねない。あの暴走機関車じみた性格は元からああなのだろうか。誰にでも。
 損をしそうな性格だ、と本人が居ないのを良いことに心中で色々と文句を垂れ流す。が、一向に海崎青年は姿を見せなかった。まさか、追って来ていないのだろうか。この体育館倉庫が校舎のどの辺にあるのか定かではないが、たいした距離ではないと考えられる。

「まあ、考えても仕方ないか……」

 意外と合理主義なのかもしれないな。
 そう思いながら、依織は体育館倉庫に足を踏み入れた。マットなんかが収納してあり、休憩にもってこいだ。

 ***

「クソ、どこ行った……?」

 海崎晴也は、先程までクラスメイトの――名前は忘れたが、女子生徒が立っていた当たりを面倒臭そうに眺めていた。折角、獲物を見つけたと思ったが取り逃がしてしまったという事実が苛立ちに拍車を掛ける。
 ――何系だ? 高速移動……いや、瞬間移動系か。
 全く逃がすつもりは無かったので、こちらもスキル自体は起動していた。手の内を晒してやる事も無いと思っていたら、そのまま取り逃がしてしまった訳だが。しかし、そのスキルを起動していながらも目で全く追えなかったのは予想外だった。

 イライラと考察していると、耳に付けた小型の無線機がざざっとノイズを立てる。耳を澄ますと、担任から『ヒント』とやらが述べられた。

『如月依織なら体育館倉庫付近に移動したぞ』
「あ? 体育館倉庫……。つかあの女、如月って言うのかよ」
『そうだな』

 今し方聞いた名前を脳内で復唱する。この屈辱を忘れない為にも必要な行為だ。人の顔と名前なぞ、関わりが無ければすぐに忘れてしまう。

「おい。体育館倉庫ってどこだよ」
『追うのか? 結構遠いぞ。ここから反対側で、グラウンドを抜けた先だ』

 ――テレポートとかそっち系だな。やっぱ。
 移動が速すぎる、なんてものではない。どう考えても線では無く、点での移動。これは追うだけ無駄かもしれない。とはいえ、恐らく乱発は不可の類いのスキルだろう。あまりにも便利過ぎる。

 忌々しげに舌打ちした晴也は別の問いを担任にした。

「チッ、この辺で誰かいねぇのかよ」
『……そうだな、その花壇から西の方角に1人』

 ――西ね、西。
 指示を受けるや否や、身を翻す。どうせ、鬼は1人では無い。出来るだけ数を減らして、面倒な連中はもう1人に押しつければ良い。

 ***

 鬼ごっこ開始から15分が経過した。残りは45分だが、そこそこの人数を既に捕まえているような気がする。
 と、日比谷桐真は時計を見た。もう少しペースを落としても良いかもしれない。

 しかし、まずは目の前の女子生徒を捕まえてからだろう。
 前を走る彼女は――そう、確か、依織の前の席に座っている生徒だ。名前は知らない。

「おい、いい加減諦めろ。お前は戦闘にも逃走にも特化したスキルを持ってないんだろ」

 返事が無い。先程からもう、1、2分は走り続けているので純粋なスタミナ切れを起こしているのだろう。しかし、止まる気配が無い。これ以上はマラソンを続けても無意味だ、と桐真はスキルを発動させた。
 前を走る女子生徒の影がチラチラと揺れている。影を前に走っていたのならば手段を変えたが、好都合だ。
 ぱっと手を翳す。
 伸ばした手の影から飛来した、無数の針のようなものが女子生徒の影を縫い止めた。ぴたり、と前を走っていた彼女の足が止まる。

「うっ……どうして……!?」
「スキルは有効に使うもんだろ」

 立ち止まった彼女の肩を軽く叩く。
 その際に彼女が何か呟いたような気がしたが、聞いていなかった。代わりに無線へ耳を傾ける。

「次、近くに居るのは?」

 すぐに柳楽からの返事があった。確か、海崎にもヒントを与えているはずだが、暇なのだろうか。

『体育館倉庫に如月が居るな』
「体育館倉庫? 中にって事か?」

 応答は無かった。そこまで教えてやる義理は無いといったところか。