1話 学園生活1日目

11.意外な仲裁者


 しかし、思わぬ所から解決する事となった。

「あんまりにも騒いでいるようだから、先生を呼んだよ。悪いね」

 何故か最初から教室にいなかったらしい男子生徒が、今まさに教室へ戻り、戻って来たと同時にそう言ったからだ。自分に非が無いと思っているらしい日比谷は顔色一つ変えなかったが、廊下でギャンギャンと騒いでいた海崎はあからさまに舌打ちを漏らす。
 急な忠告を発した男子生徒を睨み付けた海崎は、そのまま天沢も解放し、自らの席へと戻って行った。教師が出て来る事を分かった上で喧嘩などしたくなかったようだ。

 一部始終を見ていた芳埜がぽつりと呟く。面白く無さそうで、且つ意外そうに。

「九条だな、あいつ」
「さっき、喧嘩を仲裁した人?」
「そ。あたしの席の隣で、九条宗介って名前だったはず。何考えてんのか分かんなくて、ちょっと苦手だな」

 芳埜の言葉に押されて、自席に着いている九条宗介くんとやらを見やる。澄まし顔、現状をやや愉しんでいる愉快犯のような飄々とした態度と言えるだろう。どことなく、他の生徒達とは一線を画しているようだ。

「なんで急に喧嘩なんて始めたのかな?」
「さぁ、知らんけど……。あの海崎とか言う奴、だいぶん問題児と違う? 確か、神木に飲み物買わせてたん見たわ」
「そうなの? 飲み物くらい、自分で買えばいいのにね。ここに居るって事は、お金結構持ってるんだろうし……」
「さあ、ああいう人種の事はうちもよう分からんわ」

 ――海崎くんは最初からそんなイメージだったかな。でも……。
 座って教科書の整理をしている日比谷桐真を見やる。でも、彼は海崎晴也とは違ったはずだ。もっと穏やかで、ああやって人の事を傷付けるような言葉を安易に吐き出すような人物では無かった気がする。

 記憶の奥底、消えかけて曖昧なそれをゆっくりと思い返してみた。お隣さんは、どんな人物であったのかを思い出す為に。

 ***

 中学3年生の冬。
 無事に受験が終わり、雪が溶け、春が来れば皆が思い思いの高校へと進学する季節となった。目当ての高校へ進学出来る者、滑り止めの高校へ行く者、とにかく様々。突いてはいけない事情で溢れた季節である。

 依織もまた、宝埜学園への入学が正式に決まっていた。完全に寮生との事で、生活用品を揃えなければならず、その買い出しへ行く途中の事だ。
 家を出た瞬間、何故かお隣の日比谷くんと鉢合わせした。
 そういった事が起こる事は希にある。どうしてもお隣同士である以上、出入りの時間が重なる事があるのだ。

 ――が、しかし。それにしたって、出会い頭にその綺麗なお顔で睨み付けられたモブの心境を彼は欠片でも考えた事があるだろうか。いやない。
 あんまりにも恐ろしい形相でこちらを睨み付けてくるので、自然と依織の足は停止してしまった。案の定、立ち止まってしまったが為に日比谷がこちらへとツカツカ歩み寄って来て口を開く。

「お前、結局宝埜に行くんだったな。正気か? 何で急に、宝埜に?」
「あ、それ、前にも言わなかったっけ。えーっと、推薦状が――」
「その夢物語は聞きたくないって、前にも言っただろ。まだ選べるのなら、止めておいた方が良いぞ」
「選べたら、っていうか、宝埜しか受験受かってないし」
「はぁ? そんな訳……」

 あるか、と続きそうだった日比谷はしかし、そこで言葉を止めた。信じがたい者を見るような目だが、依織の悲痛な気持ちが届いたのだろう。それ以上の詮索はして来ない。

「滑り止め、受けてねぇのかよ……」
「受けたよ。落ちたけどね……」
「でも宝埜には受かったんだろ?」

 そんな奴居るのか、と彼の呟きはしっかりと耳に刻まれた。呟きは心の中だけでしてもらいたいものだ。というか、そんな人だって居るかもしれないのに、失礼ではないのか。
 しかし、日比谷の脳内では「常識的に考えて」そんな事はあり得ないという決着をしたようだ。首を大きく横に振ると、再び最初の威圧的な表情に戻る。

「下手な嘘吐くな。何でもいいけどな、周りに迷惑を掛けるような事はするなよ」
「……えっ」
「じゃあな」

 ――ビビって何も言い返せなかった。
 イケメンのマジギレ顔というのは、造形がなまじ整っているばかりに変な威圧感がある。均等に歪み無く取り付けられた顔のパーツが、表情を物語りやすく出来ているのかもしれない。
 依織はやや現実逃避しながら、形の良い後ろ姿を見送った。
 頭の隅では分かっている。
 他の同級生と比べて非常に疲れやすいし、記憶力も悪ければ頭もあまり良くない事なんて。

 ***

 ――前からこんな感じだったっけ? いやでも、もしかしたら受験が絡む前はもっと普通の人だった気もする。いやそもそも、こんなに当たりが強くなったのはいつからだろう?

 現実へ生還した依織は不意に生じた矛盾と疑問を脳内で反芻していた。繰り返すようだが、自分はとにかく物忘れが激しい。こういった態度を取られる理由があった気がするのだが、それが何であったのかを咄嗟に思い出せ無いでいる。
 急に動きが止まった依織に対し現実世界の友人達が声を掛けてくれる。

「依織ちゃん? 分からない所とかあった?」

 ――そうだ、今は確か3限の復習をしていたはずだ。
 我に返り、首を縦に振る。

「ああうん、ここなんだけどさ――」

 何故、昼休みにまで復習に没頭しているのだろう。不意に頭をもたげた疲労のせいでそう考えてしまったが、知らないふりをした。