3話 相談所の怪力娘

03.ラーメン屋のオヤジ


 何となく話が一段落したところで、イゴルの携帯電話が着信を報せる。淡々とスマートフォンを手に取った彼は躊躇う事無くそれを耳に当てた。

「お電話有り難うゴザイマス。久木トラブル相談所でゴザイマス」

 イントネーションはともかくとして、完璧な日本語。地味に感動していると、イゴルと電話口の相手が何やらやり取りをした後、切断した。

「何の仕事かしら、イゴルちゃん?」
「無断駐輪のバイクを退けて欲しいとの事デス。ドウシマスカ? 正直、海良サンが出向くまでも無いと思いマスが」

 そうねえ、と一瞬だけ迷った夏目は満面の笑みで親指を立てた。動作が様になりすぎている。

「別に実動員が出向くような事ではないけれど、海良ちゃんの体験になるだろうし受けちゃいましょうか! 簡単なお仕事で肩慣らしよ」
「了解」

 ――私は何をすれば良いのだろうか……。
 仕事へ行くのは良いが、今は何をして過ごせばいいのか。ちらり、と夏目に指示を仰ぐも、何故かウインクされただけだった。違うそうじゃない。

「それじゃあ、海良ちゃんも行きましょうか! 大丈夫よ、アタシ達が着いてるわ!!」
「ええ、道案内はお任せクダサイ」

 言いながらぴっぴ、とイゴルがスマホを弄る。どうやら、目的地までの地図を表示しているようだ。
 このまま、目的地へ着くまでは何もせず、ただ着いていけばいいのか。
 それすら分からないまま、今し方戻って来た相談所を後にした。

 ***

 久木町、西森区。
 治安は悪く無いが所詮は久木、という一文を体現したかのような町だ。表通りは整備されているが、一本道を曲がっただけで酔っ払いが寝ていたり、段ボールハウスがあったりと世の中の世知辛さと温度差を与えてくれる地区である。
 人々が足早に道路脇を通り抜けて行くのをぼんやり見ていると、イゴルが運転していた車を駐車した。
 ナビ役が降車するのを見て、慌ててそれに従う。

 結果的に言えば、イゴルのナビは完璧だった。
 場所はラーメン屋の目の前、見れば大きなマウンテンバイクがどんと鎮座している。無断駐輪のバイクとは間違いなくこれの事だろう。予想の倍は派手なバイクだが。

「これを退ければ良いのですか?」
「あら、意外と血の気が多いのね。まずは依頼人と接触しましょ」
「あ、はい」

 実に簡単そうなお仕事だったので早々に終わらせようとしたら、夏目に宥められた。『無断駐輪』、もしくは違法駐車であるこのバイクを退ける事に遠慮は要らないと思うのだが仕方ない。
 店の中へ入って行くイゴルの背を追う。
 ごつい外国人男性を見た、こちらも頑固そうなオヤジは目を細めた。強そうなのが来てくれたな、という目に違いないが実動員は海良の方である。

「コンニチハ。無断駐輪の件で来ました、久木トラブル相談所デス」

 おう、と頑固そうなオヤジは片手を挙げた。心底気に入らない、と言う目でバイクを睨み付けている。これは相当な憎しみを抱いていると見た。

「忙しいのに悪いな。ほら、そこにあるバイク。あれ見えるだろ。あれがよ、昼間んなるとずーっと停めてあってさ。かき入れ時ってのに客が来やしねえ。立派な営業妨害だし、店の前には車停めんなっつールールがあんだよ。どんな手を使っても良いから、あれを退けてくれんかね」
「ええ、了解致しマシタ」
「おう、お前さん腕っ節は強そうだからな。頼んだぜ」

 そう言ったラーメン屋のオヤジは一瞬だけ怪訝そうに自分と、そして夏目を見やったが疑問を口にしはしなかった。冷静になって考えてみると、この3人、組み合わせは頓珍漢で実に意味不明だろう。相談所の制服を着ていなかったら通報されているかもしれない。

 イゴルと共に外へ出る。
 バイクの周囲に運転手の姿は見えない。ただし、道路を往く車からは邪魔だと思われているのかやや交通渋滞を引き起こしつつあるようだ。

「夏目さん、どうしますか?」

 このまま突っ立っていても始まらない、と先輩に指示を仰ぐ。彼はにっこりと穏やかな笑みを浮かべた。

「海良ちゃんの好きに仕事をして良いのよ。運転手を捜すもよし、強制的にバイクをスクラップにするもよし。好きな手段を選んで頂戴」

 ――公的ヤクザ。
 いつだったか、トラブル相談所がそう呼ばれていた時代を思い出す。確かあれは、海良自身が高校生の時だったはずだ。その名残が抜け切れていないのか、もうそういうイメージで押し通すのか。とにかく遠慮は要らないようだ。

 まだ研修が始まったばかりの頃。
 先輩の仕事に着いていった事がある。その時の仕事ぶりを思い出しながら、海良はバイクへと手を伸ばした――

「ちょっと待ってええええ!!」

 おばあちゃんを彷彿とさせるような、女性の悲痛な声が響いてその手を止める。自分に言われたものかと思ったが事情が違うらしい。
 悲鳴を上げたであろう女性は鋭い足捌きで、信じられない速度を叩き出しながらも何者かを追っている。彼女の視線をたどる事で、あからさまな覆面を付けた男が女性物の小さな鞄を手に走っているのが見えた。
 恐らく――引ったくりの類いだろう。