第9話

06.魔法と試用


 ――おいおい大丈夫か?
 ただでさえブルーノが警戒しきっている賢者サマとやらと密会しているのだ。これで何の収穫も得られなかった時のブルーノの心境を考えるとやりきれない気持ちで一杯である。
 それをイアンが汲んでくれるとは到底思えないが、流石に無収穫は時間の無駄くらいに思っているのだろう。肩を竦めた彼女は質問の内容を変えた。

「貴方のしている私の記憶を取り戻す作業。とても慈善事業でやってくれているとは思えませんね、何故、何を目的として、私の記憶が必要なのでしょうか? 私が『何か』を忘れている事で、貴方が何か被害を受けているとでもいうのですか?」

 今までとは違ったベクトルの話に、ルーファスその人は白々しく両手を挙げた。降参の意でもあり、やっぱりそこに気付くよねという諦観でもある。

「いやあ、鋭いよね。父君にそっくりだよ、イアン」
「そのような事は存じ上げません」
「本当に何も思い出せそうにないかい? ……困ったな。ちょっと予想外の鈍さだよ」

 飄々とした態度を崩さない彼だが、最後の一言だけは本当に途方に暮れているような響きを伴っていた。まるで、イアンの記憶を取り戻すその事象をクリア出来なければ次の段階へ行けないのだとでも言いたげだ。
 仕方なく、ジャックは口を開いた。このままではチェスターの『夜の館』まで賢者が付いて来かねない。

「何かもっと、記憶に残るような思い出は無いのか? インパクトと話題性に欠けるだろ、さっきから」
「なかなか厳しいご指摘だね。君も知っての通り、云十年前だろうとイアンはイアンさ。他人が爆笑出来るエピソードなんて無いよ。笑顔が凍り付くお話なら掃いて捨てる程あるけれど」
「そ、そうだな……」

 溜息交じりに吐き出された言葉に思わず同情してしまう。と、同時にやはりルーファスはイアンの事をよく知っているのだと理解もした。彼女をここまでボロクソに言える人物が付き合いの薄い人物であるはずがない。
 あー、と困ったように奇声を発したルーファスが片手で頭を抱えたまま、もう片方の人差し指を立てた。

「君がそのままだと本当に困るんだ。そこで、1つだけ提案がある」
「聞きはしましょうか。それを呑むかは別として」
「――……記憶を」
「はい」
「記憶を弄くる為の魔法を作っているんだよね。かなり複雑な魔法を。とてもじゃないが、別の事をしながら片手間に使用出来る魔法では無いんだ。イアン、君が協力してくれると言うのであれば、それを使う事も吝かでは無いよ」

 一瞬の沈黙。
 基本的にイアンもルーファスも舌は回る方だ。不自然すぎる沈黙は一周回って空恐ろしいものを感じさせる。ややあって、先に言葉を発したのはイアンだった。

「随分と危険な魔法を作りましたね。それ、使い方によっては他人の脳内を破壊する事も可能なのではないですか? そのような得体の知れない魔法に、そのままただで掛けられる訳には行きませんね」
「ご尤もなのだけれど、言い訳もさせておくれ。正直な所、魔力お化けの君と違って僕では『思い出させる』事は出来ても記憶を混濁させる事は出来ない。あと、まあこれは口で言っているだけだから信用に値しないだろうが、君を破壊する事に関しては全く僕にメリットが無いからね。やらないよ」
「というか、胡散臭い話になってきましたが――思い出させる事が出来るのならば、その逆。忘れさせる事も可能なのでは?」
「うーん、それを言い出したらキリが無いなあ」

 再び双方が黙る。
 恐る恐るリカルデがイアンに声を掛けた。

「イアン殿、私がとやかく言える問題では無いが、それは危険なのでは?」
「……ええ、あまり乗りたくない提案ではあります。ありますが――」

 他に方法も思い付かない、その言葉は言の葉になる事無く途切れた。危険に片足を突っ込んでいる事はイアンも重々承知という訳だ。
 ルーファスはと言うと、そもそも簡単に承諾してくれるとは露程も思っていないのか、イアンの返事を黙って待っている。複雑に作った魔法と言うだけあって、掛けられる側が抵抗すると上手く行かないのだろう。

「なあ、賢者さんよ。俺からも良いか?」
「うん? 何かな」

 魔法を使用するか否かの前にどうしても確認したい事があったので、名乗りを上げる。ルーファスは表面上気楽に応じてくれた。

「その魔法、成功するんだろうな。作っただけで、使用感は試して無いだろ?」

 こんな魔法だ。使用出来る場所は限られている。
 そういう意味合いで訊ねたのだが、ルーファスは真意の読めない笑みを浮かべた。ゾッとするような、何か恐ろしい事を言う前触れのような。

「ああ、それに関してはちゃんと試したから平気さ。いやだな、まさか弟子相手に使う魔法を試運転もせず使う訳ないだろう」
「え、あ、そうか」
「3人程、使い潰してしまったけれどね」

 あっけらかんと言ってのけた言葉を理解するのに数秒を要した。そして、この話題は深く突かない方が良いという事も同時に理解。とんでもない事実を知ってしまった、とジャックは口を噤んだ。