第5話

05.賢者ルーファス


 沈黙。海よりも深い沈黙が一同を支配する。
 そんな中、一番に立ち直ったのは同じ《旧き者》であるブルーノだった。その体躯に似合わず、身を小さくした彼は至極真面目な顔をしているイアンへと耳打ちする。

「あの人、ルーファスさんだよ。大陸の賢者とか言われてる……」
「ハァ? ですが、人外なのでしょう?」
「訳あって、あの人は故郷に帰れない。人の世で暮らしてんだよ、察しろって」
「それは無茶というものではありませんか?」

「聞こえているよ。五感が鋭いんだ、僕達は」

 男――賢者、ルーファスの言葉によりブルーノが口を噤んだ。
 船の上で遭遇したルイスという《旧き者》と出会った時よりも緊張感のある面持ちをしている。

「そういえばイアン、君って堂々としているし、尊大な態度だから忘れられがちだけれど――記憶喪失なんて愉快な事になっているのだったね。もしかして、まだ思い出していないのかい? 君っていつもいつもルーズだよね」
「ルーファスさん、イアンの奴と知り合いなんですか?」
「弟子なんだよ、僕の。尤も、彼女は僕の事を覚えていないようだから証明する手立ては無いけれどね」

 ――弟子。《旧き者》が人間であるイアンを弟子に取るとは考え辛いが、それならばイアンのずば抜けた魔法技術には説明が付く。それに、ルーファスは訳があって故郷に帰れないのだとブルーノも言っていた。そうなると、弟子を取ろうと思えば必然的に基本三種の中から選びざるを得ないのかもしれない。
 案の定、イアンは目を眇め、ルーファスの発言について思考しているようだった。

「事実、肯定する事も出来なければ否定する事もできませんね。仰る通り、私にはここ10年程の記憶しかありません。それ以前に関わりのあった人物がいないとも限りませんし、何とも言えないのが正直な所ですよ」
「そうだね、賢明な判断だ。ここで『そんな師匠なんていない』、だなんて宣おうものならどうなっていたか分からないよ」

 何にせよ、と賢者はくるり背を向けた。表情が伺えなくなり、代わりに銀糸のような長髪がふわりと揺れる。

「自然に思い出すのを待つのが一番さ。それじゃあ、僕も暇という訳では無いし、そろそろ行くよ。また今度」

 返事を聞くこと無く、ルーファスは雑踏の中に消えて行った。一度も振り返ること無く。完全に脅威が去った事を実感したジャックはイアンに訊ねる。

「あんなに目立つ奴を、本当に覚えてないのか?」
「覚えていませんねえ。しかし、あの馴れ馴れしさといい、私の事を知っているような口ぶりといい、嘘は吐いていないようですが。どのみち、すぐ会う事にはなりそうな方ですね。彼」

 勘弁してくれよ、そう呟いたブルーノが項垂れる。それをリカルデがどうどう、と宥めていた。

「あの人、あんなしてるけどマジでおっかねぇからな。俺の何倍も歳取ってる古参だし……。あの人が出て行っちまう前から、ずーっと相性悪いんだよな。俺が、一方的に」
「そういえば、何故、彼は帰る事が出来ないんだ? 賢者などと呼ばれている以上、腕は確かだろうし、いなければ困るんじゃないのか?」

 リカルデの問いにぐったりとした様子のブルーノが答える。

「王族長男が、先王を殺害した事件の話しただろ。あの人、長男殿に荷担してたんだよ」
「よく打ち首にならなかったな」
「打ち首て……。いや、ルーファスさんは現王より歳食ってるからなあ。おいそれと新王が死刑を言い渡す訳ねぇじゃん。基本は年功序列社会なんだよな、うちって。けど、タウンを追放するっていう思い切った処罰は下したけどな」

 うふ、とイアンが恍惚とした表情を浮かべる。今回は何がスイッチだったのだろうか。

「良い事を聞きましたね。ところで、ルーファスさんと長男殿のご関係は? ただの共犯者なのですか?」
「や、共犯者と言うより親友同士だったみたいだが」
「それは素晴らしい。ルーファスさん、何故私を弟子にしたのでしょうね? 何か目的があるのではありませんか? 欲望の芳しい香りがします……!」

 あんたなあ、とジャックは溜息を吐いた。相変わらずで良いが、仮にも相手は――

「自分の師匠かもしれない奴まで食い物にするな。血も涙も無いな」
「記憶を無くしている以上、私にとっては彼もまた私を知っているというだけの他人に過ぎません。ただ一つ違うのは、彼の目論見の渦中に私もいるかもしれないという事だけ。良いですねぇ、是非とも欲望のまま邁進して頂きたいものです」

 ゲンナリした表情のブルーノが、気持ち険しい口調でイアンに釘を刺した。

「何にせよ、お前は早くルーファスさんについて思い出した方が良いぜ。あの人、そこはかとなくヤバイ思考回路してるからな」