第3話

11.戦場における思惑


 全く予想通り、ひやりとした空気が頬を撫でた瞬間、イアン達が立っていた道路或いは街並みごと一瞬にして凍り付いた。先程まで夏のように暑かった空気が一変、冷凍庫の中にでもいるように冷たい空気が場を支配する。

 先程備えていた結界魔法を起動していたおかげで、被害はほとんど無かった。役割を終えた魔力補助用のクリスタルが粉々に砕け、パラパラと細かい粒子を撒き散らしながら地面へ落ちていく。
 はあ、とイアンは目を眇めて凍った息を吐き出した。氷化粧を施された港町というのもなかなかに趣があっていい。普段決して見られない光景で、という意味では。

「あ、危なかった……。助太刀感謝する、イアン殿」
「いいえ。氷系統の魔法――という事はやはり、バルバラ少佐が仕掛けてきたという事で間違いありませんね。彼女は魔剣士、前衛も後衛も担うオールラウンダーです。気を引き締めて行きましょうか」

 ――殺気。
 全員に、と言うよりはハッキリと自分に向けられたそれに笑みが浮かぶ。本能が鳴らす警鐘に従うよう、イアンはその身を反転させ、その場から退避した。

 ちかっ、と透明な何かが光を反射するそれを見たのは遥か頭上。
 刹那には明確な殺意を持った頭上からの刺突が、つい先程までイアンの立っていた場所に寸分違わず突き立てられた。隣に立っていたリカルデが小さく悲鳴を上げる。何せ、彼女の狙いが完璧に定まっていなければリカルデその人が串刺しになるところだった。

 彼女が降って来たのはどうやら、凍り付いた建物の一つからだったようだ。窓を開けて、自分達を頭上から強襲した模様。インパクトのある登場ではあったが――

「殺気がタダ漏れですよ、バルバラ少佐。殺意と狂気は鋭く、忍びやかに振るうものだと私に仰ったのは貴方だった気がするのですが」

 頭上から降って来た彼女――バルバラ・ローゼンメラーが顔を上げる。エメラルドグリーンの瞳は怒りと狂気に染まり、麗しいはずの顔には血管さえ浮いているのが分かった。
 あまりの気迫に、困惑した様子のリカルデとジャックは動けずにいる。ブルーノはというと、気の毒そうな顔をしているので手を出す気は無いだろう。彼は良くも悪くも人の事情に同情的過ぎる。

「イアン――貴方、貴方、本当にドミニクを……!?」
「今更そんな事を確認されるとは思いませんでしたが、お答えしましょう。ドミニク大尉を殺害したのは私です」
「何故!どうして、ドミニクが貴方に何をしたと言うの!?」
「何、もなにも。レールの上に置かれた小石を退かすのに理由など無いでしょう。向かって来たから殺した、それだけの事です」

 意味不明な奇声を上げたバルバラがレイピアを構える。元々は思慮深い女性で、コアなファンの多いマスコット的な軍人でありながら実力の伴ったエリートタイプだった彼女。しかし、事ドミニク・シェードレが関わると豹変する。
 それは勿論、現状にもかちりと当て嵌まる訳で思慮深い女性など目の前にはいなかった。獣のように吠え、感情のままに憤り、ケダモノのように人へ襲い掛かる。

 ――まさか、一人で来たわけじゃないだろうな。
 不意にそんな嫌な予感が脳裏を駆け巡った。ここへ来るまでに、バルバラに有利な氷のフィールドが用意されただけで、罠らしい罠は無かった。激情に駆られ、自分を殺す為だけに単身突っ込んで来たのならば期待はずれも良い所だ。

「あああああああッ!!」
「……少し落ち着いてはどうです?」

 直線的に刺突を繰り出して来たバルバラの攻撃を真横に躱す。あまりにも悪い意味で予想外の事態に、魔法を紡ぐ事すら忘れていた。

「イアン――」
「おう、ジャック。俺達は別の敵さんの相手をしていようか。あの女、あれだろ。イアンがブチ殺した騎士の婚約者とかいう奴だろ。タイマンさせてやろうぜ、可哀相だし」
「ブルーノ!?て、敵……?」

 援護に駆け付けようとしたジャックの足はブルーノの一声で止まった。リカルデもまた、新たに現れた気配の方へ視線を向けている。

 現れたのは3人組。侍女のような格好をした女性と、男性が2人。片方は獣人で、もう片方は魚人だ。三種族揃い踏みである。
 横目でその様子を見ていたイアンは妥当な人選に勝手に納得し頷いた。あれはバルバラ親衛隊と呼ばれている、ローゼンメラー家の私兵だ。1人1人が騎士兵以上の力を持っていると見て間違い無い。

 仲間が現れた事でバルバラもまた正気を取り戻した。再び牛のように突っ込んで来ようとしていた彼女は足を止め、一言だけ指示を出す。

「127号は捕縛よ!クラーラ、貴方が担当なさい!」
「了解致しました」

 侍女――クラーラの視線がジャックへ向けられる。
 ブルーノと自分はともかく、リカルデやジャックが他の連中と連携が取れないのは非常に良くない。彼等2人については単体で行動させると押し負ける可能性がある。
 クラーラにジャックを担当させる、とバルバラはそう命じていた。であれば、ジャックをこちらへ呼び戻せば2対2に持ち込める――

「こちらの援護をお願い致します、ジャック!」
「お、俺ッ!?」
「貴方以外にジャックなんていないでしょう。早くして下さい。貴方に一人で彷徨かれては迷惑です」
「え、援護しろって事じゃなかったか……?」

 クラーラに睨まれているジャックが小走りで駆け寄って来た。リカルデはあれで騎士兵、ここまで指針を与えてやれば勝手にブルーノと固まってくれるはずだ。

 ふん、と不愉快そうにバルバラが鼻を鳴らした。ケダモノのようだった彼女は、鼻息荒く興奮している様子だがそれでも理性的な人間と言える生物くらいには正気を保っている。そんな彼女にクラーラがピッタリと寄り添った。

「イアン――貴方、127号のお守りを買って出る程にソレに肩入れしていると思ったけれど……事情が違うようね。何嗤ってるのよ」
「失礼」

 ギョッとした顔でジャックに見られたが、口角の上がっている口元を手で覆い隠す。クツクツと溢れる笑い声が止められない。

「うふふ、お荷物というハンデを背負ったまま私の事を殺そうとする貴方と対峙する――最高に絶望的な状況で、愉しくて堪りません!」
「言葉は正しく使ってくれるかしら……!!」