第3話

07.猪鍋友情論


 ――と、そこで少女が母親に呼ばれた。「はーい」、と弾んだ声で返事をした少女が駆けて行く。入れ替わるようにして、手伝いに駆り出されていたジャックが戻って来た。

「鍋出来たらしいぞ。あんたも食べるか……って、何ニヤニヤしてんだ」
「え?ああいえ、何でもありません」

 律儀にイアンの分まで器に取り分けて持って来たジャックは心なしか疲れた顔をしていた。研究所でほとんど過ごしていたらしいし、人が多い所にはあまり行ったことが無いのかもしれない。
 差し出された器を受け取る。木製のそれには木製のスプーンが付いていた。

「鍋を作るのって重労働だったんだな。疲れた……」
「今回のはレアケースだと思いますよ。あんな大きな猪、そうそう狩っては来られないでしょうからね。しかし、スムーズに準備を終えるあたり存外と大きな獲物が獲れる場所なのかもしれませんが」

 白い煙が上っているスープに匙をつける。よく出汁が取れているのか、香ばしいような匂いがした。何か、人間は使わない調味料の類が使われているのかもしれない。
 口に広がる濃厚な、しかしどことなく甘い味。豚とも牛とも異なる、何とも言えない味だ。しかし臭みはあまり無い。

 諸々の味覚情報を全て総合した上でイアンは一つ頷いた。これは結構好きな味だ。ヘルシーではないが、食べた、という確かな感覚がある。問題の猪肉はやはりスープと同様に癖もないし、不思議な食感が病み付きになりそうだ。

「何か良いよな、こういうの」
「何ですか、いきなり」

 不意にジャックがぽつりと呟いた言葉は言い知れない充足感が含まれているようだった。

「いや、大勢で飯喰うのって悪く無いなと。あんたは、そうは思わないのか?」
「何が悪く無いと思うのですか?具体的に」
「ええ……?一人で冷めた飯を食うより、大勢で温かい飯を食った方が、精神衛生上よくないか?少なくとも俺はそう思っ――ん?あれ、もしかして俺がおかしい?」

 抱いた感情に疑問を持つ人造人間をまんじりと観察する。もはや独り言のように何事かをぶつぶつと呟いているが、中身の無い内容だったので聞き流した。

 そもそも、ホムンクルス127号ことジャックは客観的に見る限り、確実に感情と呼べるものを有している。何かを悩み、人を気遣い、時に恐怖する様は人間と何ら変わらないだろう。本来、人格とは積み上げてきた記憶によって形成される。
 127号が製造されたのはおよそ10年前。その瞬間から感情を持っていたとしても、人格の形成が速過ぎやしないだろうか。何かベースがある?例えば、ホムンクルスを造る際にベースになった人間の人格に引き摺られているとか。

 いや、第一に何故彼だけが生を謳歌していられるのか。彼とその他の未完成の欠陥品との違いは何だろう。
 研究員が気付かないうちに、何か予想外のモノが混入したとか。それとも、或いは単純な奇跡か。それにしたって――

「いや、やっぱり俺は変じゃない」
「……ああ、それで結論したんですね。良いんじゃないですか」

 思考を遮られて気付いたが、そういえばそもそもの話題は「食事は大勢で取った方が良いか」、ではなかっただろうか。
 質問に質問を返すのはマナー違反だ。
 例の問いに関する答えをイアンは一応口にした。

「先程の答えですが、少なくとも現状は悪くないですね。ただ、良くもありませんが。猪鍋自体は大変美味しかったです」
「あんた、友達とかいないだろ」
「その言葉はそのまま貴方へお返ししますよ。それに、私にだって友の一人や二人くらいいます。行方不明ですけど」
「えっ!?さ、捜さなくていいのか」
「良いのです。行方不明にさせたのだし、わざわざ捜すのも野暮というものでしょう」
「行方不明に、させた……!?」

 胡乱げな瞳を向けられたが無視した。甘やかすだけが友とは言えないし、こちらにはこちらの友情の形というものがある。彼にとやかく言われる筋合いは無い。
 その辺の機微を読み取ったのかジャックはそれ以上の追求をしなかった。ただし、幽霊でも見る様な表情はそのままだったが。

「あー、これからどうするんだ?予定は」
「少し前にもチラッとお話しましたが、目的地はナミノ港町です。名前の通り港がある帝国内部の町なので、そこから船に乗って大陸を出ればいい。貴方達は」
「あんた、本当にここに残るのか?一人で?」
「ええ。ですが、先にバルバラ少佐と一戦交える事になれば、変わるかもしれませんが。それに、港の船、あれは使えるのでしょうか。私が追う側であるのなら、一番に船を止めますけどね」

 帝国の末端兵は目も当てられない雑魚ばかりだが、内部は案外と整っている。個人の持つ力の差が開きすぎている、とも言うがドミニクでさえ船の出港停止という手は打つだろう。
 やはりドミニクを殺害した場での、残った兵士は始末しておくべきだった。冷静さは欠いていないつもりだったが、共同生活を送る同行者達に気を遣ったのは失敗だっただろうか。ヘイトを溜めないつもりが、要らない事をした気がしないでもない。

 ――船は出ない、と思った方が良い。
 とはいえこの情報をジャックに話したところでどうにもならないし、船が止まっているかいないかも不明瞭なので、詰まるところナミノへは一度行かなければならないか。

「おい?何だよ、急に黙り込んで」
「少し考え事をしていました。不安要素の、ね」
「え?何かヤバイ事でもあるのか?」
「貴方に伝えたところでどうこうなるとも思えませんし、必要に駆られればお話しますよ」

 全員に同じ説明を何度もするのは面倒だ。全員が揃った時にまとめて話そう。ジャックの何か言いたそうな表情が視界に入ったが、やはり無視した。