第3話

05.切れない刃物


「何かマズイモノと遭遇したら私達死にますね。危機管理能力が低すぎて」
「イアン、俺はちゃんと警戒している」
「ジャック、貴方が警戒した如きじゃ全滅は免れません」
「酷……元気づけてやろうと思ったのに」
「わくわくしていますよ。とてもね」

 会ったら即全滅、そんなの素敵ではないか。こちらの妄想とは言え、そこまで強い存在、が出張ってきたらいっそ恋でもしてしまいそうだ。ぎりぎりの危うさの何と甘美な事か。

 そんなイアンの思考はガサガサ、というおよそ美しくない音によって遮られた。トんでいた意識が急速に現実へと戻って来る。
 少しばかり不機嫌になりながらも音がした方へ視線を向けた。
 ――そして興醒めした。

「大きいな、これは猪か?」

 リカルデが眉根を寄せる。そこにいたのは、まさに森の主といった体の巨大な猪の魔物。余談だが真っ赤な目をしている。
 あまり信じたくはないが、これが村人を震え上がらせている魔物だろうか。この程度に獣人が怯えていると言うのならば拍子抜け、もっと言えばこの先の生存競争には到底勝ち残る事は出来ないだろう。人間に淘汰されてしまう未来が透けて見えるようだ。

「よーし、やるか!イアン、パーッと魔法でやっちまってくれよ!」
「興味が失せました、そちらで勝手にどうぞ」
「えあっ!?」

 何故か驚いたような顔でブルーノに凝視された。驚いているのはこちらだ。こんな雑魚モンスターを処理する為に疲れた身体に鞭打って森まで出て来た訳では無い。

 応戦するぞ、とジャックが腰のタガーを抜いた。例の曰く付きタガーである。魔石が赤黒く輝いている――個人的にはその武器に興味があるのだが、これは本当に魔石だろうか。いやに濁った光を放っている気がする。

 ともあれ、果敢にも猪の魔物に向かって行ったジャックに、リカルデがアドバイスじみた声を掛けた。

「ジャック、喉だ!喉笛を引き裂いてやれ!」
「的確な指示!」

 魔物が反応するより少し早く、それへ肉薄したジャックがタガーの刃で猪の太い首を撫でた。実に滑らかな剣捌きである。
 勢いそのままに走り抜けたジャックの顔色は芳しくなかった。

「悪い、何かこれ、斬れないんだが……」
「はぁ!?ブルーノ、私達も応戦しよう!!」
「おう!」

 売られた時の状態のまま。タガーは一滴の血にもまみれること無く、ほとんど新品のような状態でジャックの手に収まっていた。
 困惑した顔のジャックはしかし、そのタガーを仕舞い、代わりにアート・ウェポン商会製のタガーを手に取る。

 一方でブルーノがリカルデに声を掛けていた。

「おい、リカルデ。こいつ首だけ落として村に持って帰ろうぜ!」
「ええ?何故……」
「猪鍋すんだよ、猪鍋!故郷にいる時は年に一度くらいの割合でやってたな!」
「ううーん、分かった」

 買ったばかりの騎士剣。それでリカルデが魔物の首回りを強襲する。しかし、ジャックの一件で臨戦態勢に入っていた猪は首を振り回して角を突き出した。リカルデが慌ててそれを回避する。

 リカルデが退避した間を縫うようにブルーノが今度は猪の脳天へとメイスを振り下ろした。重量のある風切り音がここまで届く。
 続いて痛々しい重量のあるそれが肉を叩く音がした。
 悲鳴を上げた猪が一歩二歩、よろよろと後退る。

「トドメを刺す、ブルーノ!」
「おう、任せた!」

 復帰してきたリカルデが猪の首を中程まで騎士剣で斬り裂いた。真っ赤な血が渋くのをひらりと回避する。
 弱々しく首を振り、踏鞴を踏んだ猪が盛大な音を立てて地面に倒れた。

「――……お疲れ様です、皆さん。では戻りましょうか。言うまでもありませんが、私はその猪を運んだりしませんので悪しからず」

 気持ちだけの拍手をしつつ猪の魔物――を通り過ぎ、ジャックに歩み寄る。何故か「ひぃっ」、と悲鳴を上げられた。

「な、何だよ、役立たないって罵りに来たのかよ……!」
「いえ、ジャック。貴方の事はどうだって良いのです。それ、私はそのタガーに興味があります」

 腰のタガーを指さすと、少しばかり躊躇う素振りを見せたジャックが再びそれを抜き取った。ごく自然にタガーへと手を伸ばす。
 斬れない、とジャックは言っていたが一応は柄の部分に指を掛けた。

「……普通の刀身ですね。変わった部分は見当たらない」
「そうかよ。おい、もういいだろ」
「良くありませんよ。これ、何を斬る為の短剣なのでしょうね。刃はちゃんと斬れるよう研がれているのに、魔物には傷一つ付けられなかった。逆に難しい事だと思いますが。まあ、貴方が相当なナマクラでない限り、ですけれど」
「切れ過ぎるのなら問題だが、切れないなら怪我する事も無いしマシだろ」
「いいえ。こんなに研ぎ澄まされている刃が切れないだなんて、そんなの、危険に決まっているではありませんか。気になります、とても」

 イアン殿、とリカルデから控え目に声を掛けられた。片手を挙げて聞いている旨を伝える。

「これが村の女性が言っていた魔物だろうか?私とブルーノはこれで解決だと思っているが、貴方はどう考える?」
「違うでしょうね。ですが、これ以上深入りするのは止めた方が良いかと」
「だが、危険かもしれない――」
「私の基準でモノを言っても聞き入れて頂けないようなので、貴方の基準で話をしますが、目撃情報はあるのに村で怪我人が出たという話をあの女性はしませんでしたね。であれば、ここに住み着いた『何か』に村人を襲う意志はないでしょう。件の魔物を討伐した、と言って発表すれば恐れという感情は消えるはずです。つまり、解決という事になりますね」
「それは、怪我人が出たり大事件が起きたりしない、と取っていいんだな?」
「どうでしょうか。断言は出来ません。それに、この村の行く末などそれこそ私にとってはどうでも良い事です」

 おーい、とブルーノが気の抜けた声を上げる。母音だけで紡がれた声に従いそちらを見ると首の無い猪の魔物を肩に担いだ仲間の姿があった。

「そろそろ帰ろうぜ。コイツ肥えてるなあ、結構重い」
「ぶ、ブルーノ!あんた化け物か……!途中で交代するから、ぎっくり腰とかにならないようにしろよ」
「ジャックお前優しいねえ。けどま、多分お前にはコイツは持ち上げられねぇから気にすんなって」