第1話

04.常識人女騎士


 特に急ぐ事も無く基地から出た時だった。何をするでもなく、強いて言うのならば拠点の入り口でしきりに中を覗き込む不審行動を取っていた女性が「あっ!」、とこちらに気付いて声を上げたのは。
 軽装とは言え甲冑、腰に提げた騎士剣を見、帝国兵の可能性よりジャックに脱走を持ち掛けたリカルデ・レッチェではないかと予感する。少し簡略化されてはいるが、装いは騎士兵のそれだったからだ。
 案の定、イアンの予想は当たった。

「来たな、ジャック!……と、イアン顧問魔術師……本当に連れて来たのか。よく承諾したな……」

 騎士兵――否、彼女は最早リカルデで間違い無いだろう。彼女は少しばかり目を丸くしてこちらを見ている。イアンは軽く会釈した。

「どうも。イアン・ベネットです」
「あ、ああ……リカルデ・レッチェだ、よろしくおねっ――よ、よろしく」

 態度の取り方を考え倦ねている彼女へ、気さくに手を差し出す。一瞬だけ硬直した彼女はその手を恐る恐る握り返した。その顔はやや引き攣っているように見えなくもない。

「じゃ、ジャック。あの人はどうやって――」
「拠点を離れながらお話しましょうか。ここからなら、一度帝国の領土内であるリナーブ村へ寄った方が良いでしょうね。我々の格好からして、シルベリア横断の旅は難しいでしょう。装備を一度整えてからでなければ」
「それもそうだな……」

 リカルデは着込んだ帝国印の甲冑を見、腰に差した騎士剣を見て納得したように頷いた。この格好のままでは一番安全な道ではあるシルベリア王国を突っ切って行くことは出来ない。何せ、帝国と王国は戦争状態だからだ。
 困惑しているようなぎこちない動きのリカルデだったが、指針が決まりさえすれば後は早かった。即座に身を翻し、戦場にいる時のようなフットワークで後に続く自分とジャックを先導する。
 それにしても、と少しずつ小さくなる拠点に視線を向けながらリカルデがポツリと溢す。

「誰も――追って来ないな。ドミニク大尉がいたはずだから、統率は執れているだろうに」
「そりゃ来ないだろうよ。奴等はキメラの相手で手一杯だ」
「キメラ?正気か、建物の中だぞ!?」

 隣を小走りしているジャックの詰るような目と目が合う。イアンはその唇に小さく笑みを浮かべた。

「私は正気ですよ。それに、キメラというのは建造物の中でこそ真価を発揮するのです。何せ、壁や柱なんて彼の力で粉砕出来ますからね」
「え、あ、そうか……まあ、この状況ならキメラはイアン殿が……」

 全く追って来る気配が無いのでイアンは走る速度をいきなり落とし、完全に歩きの状態となった。力の関係性のせいか、何故か他2人もまたイアンの歩幅に合わせる。
 おい、とジャックがやや困惑したようにリカルデへ声を掛けた。

「何をそんなに怯えてんだよ、あんた。天下の騎士兵様なんだろ」
「研究所暮らしは胃痛に悩まされる日々が少ないようで何よりだが、正直、一緒に逃げるのならばドミニク大尉の方が良かった……。彼が帝国を裏切るとは到底思えないが、彼が仲間になるのならば寝首を掻かれる心配は無いだろうからな」
「はあ?」
「イアン殿の噂は前衛である私達、騎士兵の間だって有名だったよ。詠唱魔法から魔法式による魔法、召喚術に治癒術、そして優れた付与術者でもある。帝国随一の魔道士だ。それはいい、それはいいが――如何せん、不穏な噂が絶えない。退屈が嫌いで一カ所に留まっていられないとか、脱走兵の首をその場で落としたとか、部下がいるのに爆発魔法を使っただとか……可愛いペットのキメラに、人肉を与えている、とか。不機嫌な時には近付くな、魔法の実験台にされる、なんて噂もあったな」

 ぎょっとしたような顔のジャックがイアンから大袈裟に距離を取った。

「あ、あんた、そういう事は早く言えよな……!あれ、もしかしなくても、俺は本当に気分次第で殺されてた……?」
「ああ……!」
「リカルデ、あんた俺に『お前は研究所からの要請で何をしでかしても殺される事は無い』、って言ってただろ!」
「イアン殿は例外だったのに、お前が自信たっぷりに『アイツは付いてくるはずだ!』と言ったんじゃないか。そのへんどうなんだ、イアン殿!」

 唐突に振られた話題に対し、最初から最後まで自分の噂話を聞いていたイアンはそうですね、と至って冷静に頷いた。

「タイミングが悪ければ、今頃キメラの餌になっていたかもしれませんね。ジャック」
「色々ヤバイ事が同じタイミングで肯定されて別の意味で薄ら寒くなってきた」

 沈痛な面持ちのリカルデが緩く首を横に振る。

「つまり、例の盛りすぎと話題の噂も……大体本当の事、という訳か」
「曲解されているようですが、概ねその通りですね。微々たる差ですよ。キメラの餌だって、単に作戦中だったのでいつもあげている豚肉ではなく――ああいえ、止めておきましょう。とにかく、普段は買った物を与えていますよ。彼だって生き物ですからね」
「概ねどころかドンピシャなんだが……」

 まあそれはいいのです、と半ば強引にイアンは話題を差し替えた。

「私の噂話など話していたって何の実にもならないでしょう?一先ず、貴方方はどうやって知り合ったのですか。私が合流する前までの経緯を話してください」

 リカルデとジャックが顔を見合わせた。先に口を開いたのは元騎士兵の彼女である。

「どうもこうも……私は元来、人を殺すのが好かなくてね。領土を増やすという意味不明な帝国の方針もそうだが――私が幼い頃憧れていた、国を守護する意味での騎士兵では無くなった事に端を発し、今に至る訳だよ。潤沢な資材と国土があるのに、それ以上に他国を侵略するのは好ましくない」

 なるほどな、とジャックが頷く。その様子からして念入りに計画を立てて今に至った訳ではないようだ。あまりにも彼とリカルデは互いを知らなさすぎる。
 リカルデの話を聞いて少しばかり考え事をしていたらしいジャックが不意に話し出す。

「俺は――ま、研究所で身体を弄くられるのも嫌になって来たから、か。俺はホムンクルスだが製造されて10年以上経ってる。ま、あんた等程じゃないだろうがなかなか人間らしく振る舞ってるだろ。そうなってくると、自分の存在意義だとか人権が欲しくなってくるもんなんだよ。研究所に軟禁状態で人体実験紛いの事をやらされてるなんて、ごめんだ」
「で、リカルデさんに声を掛けられ、脱走した、と」
「おう。そんなところだな」

 話は概ね理解した。成る程、耳を疑う程の見切り発車感が否めない。リナーブ村に着き、支度を終えたならばすぐ次の町になり行く必要がありそうだ――
 あの、とリカルデから遠慮がちに声を掛けられた。

「あー、イアン殿は何故?我々に手を貸した……?」
「刺激が欲しかったので。丁度、彼は私に新鮮な驚きを提供してくださいましたし、まあ、たまにはこういうのも悪くないでしょう。ご安心下さい、寝首を掻くような真似はしません。やる時は正面切って襲い掛かりますから。それに、もう私達は上司と部下でもありませんし、ジャックにそうするよう気軽に声を掛けて頂いて構いません。腹が立てばそう言います。ものによりますけど」

 大丈夫なんだろうな、とリカルデがジャックに訊ねる。ホムンクルスは人がそうするように肩を竦めてみせた。

「まあ、裏切るっていう意志はあるだろ。ここへ来るまでにドミニクと戦ってる訳だしな」
「そうか……。ドミニク大尉は無事なのか?」
「さあな。イアンがキメラを放したせいで、よく分からん」
「今日はキメラの話題をよく聞く日だな……」

 リナーブ村へ続く道はまだまだ長い。召喚獣の魔力範囲から今まさに外れたのを感じ、イアンはゆったりと目を閉じた。徒歩での長旅はとても久しぶりな気がする。