第1話

03.召喚獣キメラ


「こんばんは、ドミニク大尉」
「……イアン殿、まさかすでに127号を捕らえていたのですか。連絡して頂ければ、身柄を預かりに行ったのですが。御手を煩わせてしまってすいません」
「いいえ、そういう事情ではないのですよ。実は」

 左手で召喚術を起動させ、右手の指を鳴らす。
 ドミニクは無線の親機を持っているに違い無いので、ボタン一つで散らばっている兵士をここへ呼び集める事が可能だ。大尉を加えた状態での、規律の執れた集団戦は相手にするのが面倒である。
 であれば、人が集まった事を想定して召喚術を使用するのは自明の理と言えた。

 鳴らした右手の指に続き、左足の踵で地面を叩く。
 動作と魔力調整による儀式魔法を起動させたのだ。詠唱で口が塞がっている、別の魔法を使用している時などに有効で、最近はショートカット魔法などとも呼ばれているらしい。

 足下からゆらり、と火の玉が出現したところでドミニクが顔を歪めた。何が起きたのかを理解した上で、しかし対峙している相手の真意を測りかねているような表情だ。

「イアン殿!?血迷われたのですか?」
「はい。帝国のやり方には飽き飽きしていましたし、良い機会ですので脱走兵の仲間入りをしようかと。ああ、勘違いしないで欲しいのですが、提案者は彼――ジャックですよ」
「おい!俺の情報は今、必要か!?」

 「ジャック?」と眉根を寄せたドミニクはしかし、次の瞬間に彼視点での127号が声を荒げた事により誰の事なのかを察したようだった。
 元は騎士兵だった彼は数秒の躊躇いの後、腰の剣を抜き放つ。帝国印の騎士剣だ。年季が入っているようで、所々使い込まれた痕があるものの、刀身そのものはよく手入れがされている。

「まさか、仲間内――それも、顧問魔術師とやり合う事になるなんて。最近の僕はあまりツイていないみたいだ」
「元、ですよ。ドミニク大尉」

 火の玉を放る。
 それをドミニクの騎士剣が斬り裂いた。

「なにっ!?」

 刃に触れた傍から、火の玉が弾ける。ただし、それは殺傷力を持たない。代わりに視界が白く塗り潰された。
 幅の狭い廊下に白霧が立ちこめたのだ。

 余談だが――少し高めの剣には魔石が加工してある。何せ、剣士職と言うのはどうしても魔法に弱い。いくら剣の腕が立とうとさっきのように火の玉だったり雷、氷と言った人体が人体である以上防ぎようの無い魔法には太刀打ち出来ないからだ。
 そこで生み出されたのが、魔石の加工技術。鉄を打つ時に魔石の粉末を混ぜ込む事により、魔力で以て魔法を克すという暴論だ。話によると、現在における鍛冶士の最高技術でも魔石の割合が5割を越えた場合では打てないとか何とか。

 勿論、それを知らない訳ではないので、作った魔法式を敢えて二重にしておいた。火の玉そのものは相殺されても、その瞬間に別の魔法式が起動するように細工していたのだ。
 概ね想定通りに起動した魔法式の残骸を尻目に、得物である杖を取り出す。軽い金属で出来た、銀色の長い杖だ。
 召喚術が起動するまで少し時間が掛かる。
 その間の時間を稼ぐべく、新しい魔法式を作成し始めたところでようやく魔法の霧が消えた。
 現れた予想だにしない光景に、一瞬思考が止まる。

「何をやっているのですか、ジャック?」
「いや、あんたが魔法職だと思って……足止めを……!」

 霧の中でも相手がはっきりと見えたのだろう。ジャックがいつの間にか手にした凶悪そうなタガーでドミニクに斬り掛かっていた。
 ジャックが言っている事は間違っていない。
 本来、魔道士や治癒術師、召喚師は完全に後衛だ。魔剣士などと言ったオールラウンダーはどこにでも立たせて良いが、そうでなければ後衛。
 しかし――

「余計なお世話ですし、邪魔なので引っ込んでいてください。私がドミニク大尉如きに遅れを取る訳が無いでしょう」
「ああ!?」

 ジャックの意識が一瞬だけこちらを向いた瞬間、ドミニクが下段から伸び上がるようにタガーを弾いた。軽い音がして跳ね飛ばされたそれが天井に突き刺さる。何て斬れ味だろうか。
 折角新しい魔法式を作成していたが、ジャックの思わぬ行動により作業がズレ込み、召喚用の魔方陣が先に完成してしまった。

「もういいので、戻って来てください。ここから離れましょう」
「あんたそれ、さっきあれだけ止めろって言ったのに召喚術だろ!?人の話はちゃんと聞け!」
「聞いた上でやっていますので問題ありませんね」
「なお悪い!」

 彼の言葉を無視。
 左手を苗床としていた召喚魔法式を床に設置する。眩しい光と共に、喚び出したそれが大音量で吠えた。

「キメラ!?イアン殿、今ここには僕と貴方しかこんなのと戦える人間は――」
「私はもうおりませんので、ドミニク大尉が頑張って討伐しなければなりませんね。ですが……そう、我々はこの拠点から出て行きます。私達の足止めをせず、見逃せば魔力の回路がいずれ切れて彼も元の場所へ戻る事でしょう」
「ふざけるな!」

 酷く激昂したようにドミニクが叫ぶ。

「脱走兵を――それも、後々面倒な事を引き起こしかねない貴方を、見逃せと!?冗談じゃない!貴方のような人の心を失っているとしか思えない化け物を、今ここで見送れば軍に甚大な被害が出る!間違い無い!」
「そうですか、災難ですね」

 なおも何か叫ぼうとしたドミニクを無視。天井すれすれの場所にあるその合成獣の頭を見やる。獅子の頭に虎の胴体、蝙蝠の翼を持ち、頭には山羊の角。尾は蛇になっており、チロチロと赤い舌を覗かせている。
 いつみても芸術的で破壊的なフォルムにうっそりとした溜息を吐き出したイアンは、元同僚に対し一分の躊躇いも無くキメラを差し向けた。
 行儀良く主人の命令を待っていたケダモノはそれを合図にドミニクへ飛び掛かる。危うく巻き込まれかけたジャックが慌てたようにキメラの脇を抜けてイアンと合流した。

「さ、取り敢えず外へ出ましょうか」
「出ましょうか、じゃないだろ……。悪魔かあんた……」
「結局、この世で一番恐ろしいのは人間そのものですよ」