01:雨音が煩い
降り止まない雨が静まり返った道路を叩き、何重奏という音を奏でている。
「大変ご迷惑お掛けします」
「いい、気にするな」
本当にご迷惑だと思っているのか怪しいイーヴァの声音が鼓膜を叩く。淡々としていて感情の読み取れない声が耳元で聞こえてきたが、もうそれを気にする段階はとっくに行き過ぎた。
眼下に広がるのは青いような銀色にも見えるような、巨大な魚の尾。ただしその尾の形はイルカやクジラなどの哺乳類を思わせる形状をしている。まあ、そんなものは気休めで触った感じ、魚屋に並んでいる魚の鱗を何も変わらないのだが。
その魚の尾をなぞるようにして、視線を上げると腰から上は服を着た人間の女性のそれだった。端的に言えばお伽話に出て来る人魚そのもののイメージ。
本来ならば陸上にいる中級魔族・人魚はどちらかと言うと魚人を彷彿させる姿形をしており、その美しさは水中でのみ発揮されるものだ。が、人間と人魚の混血である彼女は陸上にいる時は人の姿を、水中では人魚の姿を取れる希有にして珍妙な存在である。
――が、そんな便利能力を持つ彼女の能力は今、完全に裏目に出ていた。
「まさか、傘差さないだけで水中認定とは誰も思わないだろう・・・」
今だ降り続ける雨。
そう、任務が始まる前はまだ曇り空で雨が降る程ではなかったのだ。いつもの量産型晶獣を相手にするだけなので、パッと行ってパッと帰れば雨に降られない算段で出た。見ての通り失敗してその上更に面倒な事になっているのだが。
傘を差さないとすぐずぶ濡れになる程の雨を、イーヴァの無意識では「水中にいる」と捉えたらしい。いきなり彼女の姿がブレて見えなくなったと思えば陸に上がったアザラシのような体勢で地面に蹲っていた。
「もう少し早く切り上げるべきでしたね」
「そうだとしても帰る途中で雨だっただろうな。終わった後で良かったと言うべきか・・・」
肩に担いでいる彼女はさすがに陸に適さないこの形で無駄に足掻いても仕方が無いと思ったのか、いつもの人を突っぱねる姿勢は見せなかった。ただちょっと、さすがに魚の部分に触れるのは抵抗があるので無理のある運び方にはなっているが。
「雨、止みませんね。どうしますか?本部辺りは人の目があります。雨宿りして帰りますか?」
「雨宿り?もうずぶ濡れで見る影も無いのにか」
「はい」
あっけらかんと言ってのけた彼女の言っている事は間違っていない。まさか水中に棲む彼女が雨に濡れて風邪を引く事はないだろうし、自分もそんなに柔な身体をしてはいない。ならば適当な人通りの少ない所で雨を待つのが得策ではあるが、濡れた服をいつまでも着ているという不快感は耐え難いものがある。
「イーヴァ。これを腰に巻いていろ。いつまでも濡れた服は着ていたくないだろう?」
器用に上着を脱ぎ、それをイーヴァに手渡す。彼女はほんの少しだけ様相を崩し、ややあってこう宣った。
「体勢的にこれをこの位置から腰に巻くのは不可能です。一度降ろしてください」
「お、おう・・・。地面に置くぞ、いいのか?」
「構いません。もう最初の時点で服なんてドロドロですから」
言いながらそれを上手く魚の尾の部分に巻き付けた彼女は小さく頷いた。
「やはり男性のものですね」
体格差があったからか、イーヴァの尾は先の方まですっぽり隠れている。目論見通りではあるが、やや犯罪臭がする構図と言うか、これだと彼女の見た目が普通であった場合、警察に通報されてしまうのではないかという謎の不安が脳裏を過ぎった。
そんな漠然とした不安に駆られているギルバードの事などお構いなく、当然のようにイーヴァが腕を伸ばす。
「お待たせしました。帰還しましょう」
この後、機関に帰ったらサイラスには怪我をしているのかと心底心配され、事情を説明すればレックスとカイルに爆笑された挙げ句、ドルチェには汚いから服を着替えろと罵られた。