1話 人間と魔族

01.繁盛記は無休の職場です


「起きてください! そんなところで寝ていると、風邪を引いてしまいますよっ!」

 溌剌とした女性の声。決して楽しそうでは無いながらも、熱意がひしひと伝わってくる情熱的な感情が伺える。
 それとは別に、何だか顔の側面が痛い。これは固い物に顔を押しつけて転た寝してしまった時の状況と酷似していると言えるだろう。

 諸々の情報を起き抜けの頭で照らし合わせた男性、イグナーツは機械的に目蓋を押し上げた。どうやら寝てしまっていたらしい。

「――すまない、寝ていた」

 起こしてくれた人物に礼を言うと、彼女はその首を横に振った。

「いえ! ですが、眠るのであれば仮眠室を使ってください。お身体に悪いですからね!」

 時刻は21時。とてもはしゃげる時間帯ではないが、彼女は非常にパワフルである。
 そんな彼女の名前はセシリア。プラチナブロンド、勝ち気なグリーンの瞳。女性の平均身長よりかなり高めの身長がトレードマークの部下である。

 背伸びをしながら、突っ伏していた机を観察する。
 まだまだ片付いていない仕事が山積み。机の持ち主である自分自身にしか区別が付かない重要書類の乱雑な整理。一気に押し寄せてきた現実に対し、目頭を揉む動作で平静を保つ。

「……夕飯、いや夜食の時間だろうか? セシリア」

 非常に情けない話だが、自分は生活力が著しく低いらしい。仕事に熱中すれば食事・睡眠を忘れるのは日常茶飯事。気付けば2徹していたのは記憶に新しい。そんな自分の生活管理をしてくれているのが彼女である。
 パワハラで訴えられないか心配だが、心優しい人物なので、そうなる前に相談してくれると信じている。
 そんなわけで、起こして来たのだから仮眠室への移動か食事のどちらかだと思ったのだ。
 しかし、セシリアは顔を曇らせて首を横に振る。

「すいません、食事を摂っていない事は重々承知の上なのですが……。お仕事の通達です」
「仕事か。君が悪い訳では無いから気にしないで欲しい。転た寝していた私が悪い」

 そもそも居残り管理なので外へ出る支度は最初から整っている。日が落ちて気温が下がっている事が想定されるので、ハンガーから厚手のコートを卸した。

「そうだ、空腹では何かと問題かと思いまして……パンだけ持ってきました! どうぞ、召し上がってください!」
「ああ、ありがとう。貰おう」

 バターブレットが2つ。小ぶりだが、仕事が終わって戻って来てから夜食は摂ればいいので問題無いだろう。
 手に持っていたコートを一旦椅子に掛け、パンを囓りながら仕事の概要について訊ねる。とは言っても急ぎの用件と言われて当て嵌まる職務は限られてくるのだが。

「お仕事の内容ですが、魔族の連中が区域から出て来たとスタッフからの報告がありました。進行方向はこの場所、王都ですので至急処理する必要があります」
「そうか、了解した。大規模な戦闘に発展する前に、追い返すとしよう」

 パンを飲み下しながら、大陸の現状について思考を巡らせる。
 区域――魔界区域。10年前、大陸の端に突如として現れた異界の一部を指す言葉だ。便宜上、魔界と呼んでいる。
 その突如として現れた魔界には当然の如く先住民がいた。人間とは形容しかねる、異形の化け物達。自らで魔族と名乗っているので、彼等の事はそう呼称されている。

 1体1体が一般人より遙かに強いその魔族達の住まいである魔界と、王都は向かい合わせの立地。大陸に王都より人を収容できる都市は無い。
 その現状によって何が起きたかと言うと、自らの領地を広げたい魔界側の侵略と、奪われた領地を奪い返したい人間の小競り合いだ。色々と制約や事情があるので、一進一退の攻防。どちらかの勝利が無いので永遠に平行線の状態。

 パンの一欠片を飲み込み、再びコートを手に取って肩に掛けた。

「現場へ向かおうか、セシリア」
「あのぅ……。イグナーツ、貴方は朝から働きっぱなしではないですか。良ければ、私が一人で様子を見に行きますよ!」
「そんな事はさせられないな。境界より王都側だとはいえ、厄介な連中と出会さないとも限らない」
「天秤は慢性的に人手不足ですからね……。まあ、それもこれも、10年前に急な襲撃があったせいですけれど」

 秩序の天秤。王国の指示の元では動かない、王国の防衛組織である。矛盾しているかもしれないが、それでも大陸が有事の際には誰よりも働いているので、その矛盾を指摘された事は無いようだ。
 とはいえ、10年前のあの日から大陸はずっと有事。休む暇も無ければ終わりも見えない仕事に、メンバー達の間でも精神的な疲労が見え隠れしているのは事実だ。