3話 久々の休日

01.第一にやるべき事


 コゼットの街にある自宅にて。昼食を終えたメイヴィスは本日の予定について脳内で論じていた。

 というのも、先日の緊急クエストにて大怪我――というか、普通だったら死んでいる大怪我を負ってしまったのが事の発端だ。『人魚の涙』の効力は素晴らしいもので、傷自体は自宅に戻る頃にはほぼ完治していた。
 しかし、それをアロイスに見られた事、先日のクエストには仲間が複数人いた事に関しては今更どうこうしようがない。
 アロイスからの強い言葉で、クエストの翌日に当たる今日はお休みを頂く事になった。本当にあり得ないくらい元気なのだが、大事を取ってという事らしい。しかも、彼がギルドマスターにまで詳細を話してくれるとの事。扱いが怪我人のそれだが、本当に治ってはいるので気を遣わないで欲しい。

 つまり今日はギルドにも顔を出していない。先日の一件が、みんなへどんな風に伝わっているのかを思うと身体が震える。

「――いや、そうだ! 部屋の片付けをしないと!」

 ここでメイヴィスは部屋の惨状を思い出した。帰ってからこっち、真っ暗闇でカーテンまでしっかり引いていたのでよく周囲の状況が見えていなかったが、汚れが酷い。昨日、慌てて帰宅したせいで泥も落とさず中へ入った為、床の泥汚れ。
 加えて大怪我をしていた上、雨も降っていて身体はドロドロ。それは風呂に入ったので問題無いが、メイヴィスが手を突いた壁などは血みどろ。控え目に言って、暴力的な何かが巻き起こった部屋のような状態となっている。

 一時この部屋で療養していたので鼻はイカレているようだ。臭いこそしないが、あまりアテになるものでもない。早々に片付けなければ、隣人などに異臭がするだの変な染みが見えるだのと大家にチクられ、部屋を追い出されかねない。
 アロイスからは安静にしていろと口を酸っぱくして言われたが、由々しき事態だし、外に出た訳でもないので無問題。早速片付けに取り掛かろう。まさか起き抜けに特殊清掃する事になろうとは。

 まずはベッドのシーツと掛け布団からだ。この2つは大怪我と倒れ込むように睡眠を取ったせいで、分かりやすく鮮血が散っている。一応、自分でブレンドした洗剤を使うが血汚れが落ちなければ新品を買わなければならないかもしれない。薬品で強制的に汚れを落とす事は出来るが、薬品臭くなるし。

「えっ、お客さん?」

 シーツを引っ張ったその瞬間、来客を知らせるベルの音が響いた。とはいっても、ギルド業なので日中部屋にいる事はほぼない。誰かが訪ねてくるはずもないのだが――セールスの類いだろうか?
 警戒を怠らず、覗き穴から外を確認する。

「ヒエッ!? あ、アロイスさん!?」

 見知った顔だったのですぐにドアを開けた。昨日の今日だが、騎士サマは片手を挙げて簡易的な挨拶を返してくる。

「こ、こんにちは。どうしたんですか、こんな辺境の地まで」
「いや、ギルドへの報告が終わったからな。様子を見に来た」

 そう言ったアロイスは珍しく鎧はオフ。物々しい大剣も持っていない。が、腰のホルスターには短剣の柄が見える。
 暇だったし、昨日のお礼も言いたかったので部屋へ招く事にした。本当に何から何まで面倒を見ていただいて申し訳無い限りである。

「折角ですから、うちでお茶して行きますか? といっても、さっき起きたばかりで片付いていないっていうか、室内が殺人現場みたいな惨状になっていますけど」
「そうだろうな……。ならば、今から片付けでもするのか?」
「はい。流石にこのままじゃ、異臭の発生源とかになって近所迷惑になりかねないですし」
「そうか。手伝おう、大変だろうからな」
「いえいえ、お構いなく! 私、すっかり元気になりましたから」
「気にするな」

 玄関で押し問答していても仕方が無いので一先ずアロイスを中へ招き入れる。部屋に一歩入った瞬間から、彼は苦笑を漏らした。

「予想していたよりずっと酷いな。昨日はお前をここへ運んで来て、回りを気に掛ける余裕も無かったから仕方が無いが」
「私も起きて吃驚しました。でもまあ、汚れを落とすのは得意です。こっちにはマジック・アイテムがありますからね」
「壁紙まで落とさないようにしろ」
「確かに……」

 茶を淹れながら、更に我が家に不釣り合いなイケメンに話し掛ける。本当に浮いているというか、庶民の家の風景が似合わない人だ。

「アロイスさんは今日、この後はもうクエストも受けないんですか?」
「そうだな。そういった状況ではないから、昨日のメンバーも大人しく帰宅しているはずだ。お前はどうだ? 元気だと言っていたが、完治したという意味なのか?」
「そうですね。昼前にお風呂に入ったんですけど、跡形もありませんでした。ちょっと怖いですけど……痛い思いをせずに済んだのは、その、良かったです」

 戦闘職であればある程度、痛みに抵抗力のある者達も勿論いる。しかし、それはメイヴィスには当て嵌まらなかった。ちょっとした切傷で慌てふためくタイプのアイテム・ボックス枠だからだ。
 あの状況から生き残れたとして、治療を施しても傷の痛みが全て消える訳ではない。薬で痛み止めする事になるだろうが、考えただけで地獄。メンタルが耐えられないのは分かりきった話だ。かなり恐ろしい身体能力ではあるが、その一点においては助かったと思っている。

 あからさまに困った顔をしたアロイスは実にコメントに困った人のような返答をした。

「それは……不思議な話だな」
「本当に。それに、運んで貰ったり、その他にも色々とご迷惑おかけしてすいません。私が考え無しだったばっかりに……」
「いや、いい。人を分けた俺にも責任がある。少し急いでいた……のではなく、余裕が無かったようだ」
「やっぱり私達だけでは、あのクエスト難しかったですよね」
「マスターの方も、想定外の事が多かったようだ。どちらかというと、事故だな、今回は。何にせよ、お前が無事で良かった。心臓が止まる思いをしたが」
「またまた! アロイスさん、かなり冷静で理性的なのでそんな事は無かったでしょ?」

 2つのカップに紅茶を注ぐ。少しだけ考えるように黙った彼は、ややあって終わり掛けていた話題に言葉を返した。

「本当に何も考えられなくなるくらいには、動揺したんだ。どういう状態であれ、俺はお前が生きていて良かったと思う。話を聞いた今でも、エジェリーに少し感謝しているくらいだ」
「えっ……? え?」
「紅茶、淹れてくれたんじゃないのか」

 色々と混乱しながら、カップを1つアロイスの前に置く。湯気を立てているそれを、彼は和やかな目で見ていた。