5話 アルケミストの長い1日

15.命拾いした話


 一悶着している間に、スポンサーとその娘も報告会を終えたようだった。こちらをじっと見つめているスポンサーことジャックは不意に口を開く。

「メヴィ、うちのイアンが新たな依頼を勝手にしていたようだ」
「あっ、いえ。貰える物を貰えれば、仕事自体は請け負いますから……」
「ああ。よろしく頼む。仕事を増やして悪いな、報酬は支払う。正式に依頼しよう」
「ご贔屓にどうも……」

 ――金、持ってるなあ。
 潤沢な財産はどこから溢れているのだろうか。あれだけの金を使ってなお余りある資産とは。是非とも簡単に稼げるコツというものを伝授して欲しいものだ。

 ところで、と明るい調子でルーファスが話題を入れ替えた。穏やかでありながら、何か一物抱えていそうな胡散臭い笑み。

「イアンと君が地下に籠もっている間に、そちらのアロイス殿から話は聞いたよ。メヴィ、君って何だか呪われているようだね」
「あっ、あー、そういえばそれを訊こうと思ってここまで来たんでした」
「そうなの? てっきり好きで憑けてるのかと思って、今まで触れないでおいたけれど。不本意な状態であるのなら、イアンに錬金術を教えてくれたお礼に解呪して差し上げようか?」
「是非お願いしたいです。午後から散々な目に遭いまして」

 どっこいしょ、とおじいさんみたいな掛け声を上げたルーファスがソファから立ち上がる。そのまま真っ直ぐにメイヴィスの目の前まで歩を進めると、視線を合わせるように屈んだ。澄んだ宝石のような瞳と目が合う。
 その目の奥が、僅かに細められたのを、見た。その真意を伺う前に小さな小さな独り言めいた言葉を漏らす。

「……ああ、こっちは態となんだね」
「え?」

 目線を外した魔道士が片手に小さな術式を形成する。それは淡い光を放ちながら瞬時に幾何学模様を形成。完成した瞬間に一瞬の煌めきを残し、消える。

「――さあ、これで呪いは解けたはずだよ。驚く程にテンプレートな、取り敢えず『それ』に手を出した者に不幸が降りかかる呪いさ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。強欲な商人なんかが、自分の荷物に掛けるまじない。宝石なんかに触らなかったかな?」
「そういえば、朝から宝石と装飾を分離させる作業をしましたね」
「それだよ、それ。いやあ、曰く付きを掴まされちゃって可哀相に。けれど、魔道士が引っ掛かるようなトラップでもないから、君は本当にアルケミスト一筋なんだね」

 馬鹿にしているのか感心しているのか分からない声のトーンでそう言ったルーファスは、目を眇めている。何だかそれがとても恐ろしいものに見えて、一瞬呼吸すら忘れた。更に何事か言いかけたがしかし、ジャックの声が割って入る。

「明日には自宅へ戻る約束をしている」
「自宅? ああ、あのお嫁さんの? ジャック、君ってふらふらしているけれど、奥さんに愛想尽かされたりしないのかい?」
「だから帰ると言っているだろう」

 ぴょこん、という動きがぴったりなくらい軽やかにソファから下り立ったイアンは頻りにジャック――父君の整った顔を見上げている。
 それまで黙っていたフィリップがカップをソーサーに置き、訊ねた。

「帰るのか貴様等」
「ああ、邪魔をした。そもそも私はイアンを迎えに来ただけだからな」

 その言葉に押され、アロイスが壁掛け時計を見やる。

「午前12時――今からこの夜道を下るつもりか? 子供も居るのだから、朝方に出掛けた方が良いと思うぞ」
「心配は無用。夜の闇で視界が利かないなどという事は無い。ただ、お前達は時間を見て退去した方が良い」

 そう返したジャックが薄く笑みを浮かべた。視線の先に居るのは自惚れでなければ恐らくは自分だ。

「ではメヴィ、次の時に良いアイテムが出来上がっている事を願っている」
「えっ、期間決められた……!?」

 まるで自分達の館。そう言わんばかりに慣れた足取りでイアンとルーファス、更にジャックが退室した。その後ろ姿はまさに家族と近所のお兄さん。ベタベタとした関係性ではないが、それなりに仲はよろしいらしい。

「行っちゃいましたね、アロイスさん。というか、館の鍵は閉めなくて良いんでしょうか」
「構わん。この館、この時間帯にここまでやって来る物好きに鍵など通用せん」

 ――確かに。それはそうかもしれない。
 妙なところで感心していると、アロイスから笑みを手向けられた。優しげな、吃驚する程綺麗な笑みだ。

「メヴィ、新しい仕事が増えたな」
「何でちょっと嬉しそうなんですか……」
「仕事が舞い込むという事は、お前の才能が認められているという事。であれば、俺もここまで出張って来た甲斐があったと言うものさ」
「ええ? て、照れます。そんな事を言われると――」

 おい、とフィリップが不機嫌そうに喉を鳴らす。酷く獣的な仕草に驚いて言葉を呑込んだ。あまり下品な、というか俗っぽい反応をしない御仁だと思っていたのに。

「メイヴィス、貴様は運が良かったな。イアン――あれの命よりも大事な娘に粗相をしでかそうものならば、お前の首は物理的に跳んでいたぞ」
「ええっ!? そんな事しますかね、ジャックさん」
「する、間違いなくな。幸運に感謝せよ、恐らく次は無いぞ」

 ――どうやら危険な事に片足を突っ込んでいたらしい。
 今更冷たい汗が背を伝うのを感じる。

 しかし、張り詰めた空気を塗り替えたのはこの場に居る誰でも無かった。急にノックをしてリビングへ入って来た侍女・シオンだ。

「失礼致します。泊まる部屋の準備が整いました」
「え、あ、私達の?」
「はい。フィリップ様より、そう仰せつかっておりました」

 腕を組んだ館の主は小さく鼻を鳴らした。照れ隠しというか、意外と親切で驚愕を隠せない。ともあれ、流石にこの夜遅い時間に店へ戻る訳にも行かなかったので、ありがたくとめて貰う事になった。