2話 魔道士の国

07.本日の成果


 よくよく考えてみたら、釜の中身は空だ。いや、赤見ススキが入ってはいるのだが、素材液が一滴たりとも入っていない。
 釜を満たす程の量が必要な素材液は流石に持ち運びが難しいので倉庫用の魔法を大きなプールの底に描き、そこから液を喚び出すのがセオリーだ。勿論、メイヴィス自身もそうしている。
 この場合のプールはギルドの地下――の、もう一階層下にある地下2階。素材液用のプールが欲しいとオーガストに無理なお願いをしたところ、彼が一晩で造ってくれた。あの人、多分人間じゃないと思う。

 ともあれ、そんな思い出深いプール底の魔法式と対になる術式をローブから取り出し、釜の底に貼り着ける。術式を展開した。

「それは何の魔法だ?」
「『倉庫』の魔法です。これを改良した術式が、烏のローブには組み込まれているんですよ」
「原形か」

 釜を覗き込んだアロイスがさり気なく素材の小春石を返してくれた。そうこうしている間に、釜の中へたっぷりの素材液が満ちる。水より粘り気が強く、濃紺色をした液体。ローブから取り出したヘラでかき混ぜてみた。最近、素材液の調子を確かめていなかったが、体質変化なんか起きていないようだ。

「よし、準備完了。始めます!」

 化蝶の鱗粉と呼ばれる、魔物から採取出来る金色の鱗粉を加える。そこへ更に指示液の赤を加えながらゆったりと素材を溶かし混ぜていく。
 店頭へ並べて貰う事を考え、全てを多目に投入したが為に個数指定とサイズ指定をし、更にヘラで混ぜる、混ぜる――

「時間が掛かりそうなイメージがあるが、これは日が暮れるまでに終わる作業なのか?」
「終わりますよ。こういった素材は溶かし易いし、まあ、指示液を改良して時間調整出来る仕様にしてますから!」

 印を結ぶ儀式魔法で出来上がった製品を素材液ごと、脇に用意していた網の上に置く。手の平に握り込める程度の赤いビー玉のようなアイテムだ。
 布で素材液の残りを拭き取り、手にとってみる。赤く見えているのは、赤見ススキの毛部分だ。握りしめてみると温かい。全身を温めるのは無理だが、指先を温めるのには事欠かない温度を感じる。

「『子猫の暖炉』、完成です! そういえば、このアイテムの考案者は錬金術の生みの親、ルクス・アズリーらしいですね。錬金術の基本形だし」
「ルクス……。そういう偉人もいるのか、知らなかったな。基本形という事は、意外と知名度の高いアイテムなのか?」
「私の師匠はこれを作れるか否かで弟子にするか、しないかを選んでましたけどね」
「それならば確かに基本形なのだろうな」

 アロイスは出来上がったアイテムを興味深そうに眺めている。10個作成したアイテムの内、納品する1つだけを別の篭に入れておいた。

「次はマスクを作ります」
「マスクそのものを作るのか?」
「いえ、マスクの内側に塗る、薬のようなものです」

 喉が痛い時、乾燥は天敵だ。出来れば喉は潤っている方が、痛みがしみなくていい。そんな人の為に考案された『湿潤のマスク』。常にマスクの内側の湿度を上げてくれる優れものである。

 ローブの内側に手を入れて、大きめのフラスコを取り出す。しっかりと栓が閉められた上、テープで頑丈に補強してあるそれにはくびれ部分まで養液で満たされていた。透明な液体の中に、ポツポツと規則正しく黒い点が並んでいる。
 ここに来て初めてアロイスが顔をしかめた。

「それは? 俺には蛙か何かの卵に見えるんだが……」
「そうです。マカエルの卵なんですよ、これ」

 マカエル――放っておくと、全長4メートルから5メートルにまで成長する巨大な蛙の魔物だ。ちなみに、図体が大きいだけで人を食べたりはしない。むしろ、害虫系の魔物を駆除してくれる。
 ただ、見た目はかなりグロテスクなので特に悪い事をした訳でもないのに人間に狩られてしまうようだ。最近では、マカエル保護を訴える団体が出来たとか出来ていないとか。

 続いて、試験管――これもぴっちりと封がされた――を取り出す。カラメル色の、粘ついた液体で満ちている。ラベルには消費期限が大きく書かれていた。期限を過ぎていない事を確認していると、再びアロイスが口を開く。

「それは何だ?」
「これは対魔ナメクジの表皮です」
「は!? ナメクジ……」

 食べた事は無いが、プリンのような味がするらしい。余談だが、風邪薬の内容物にがっつり対魔ナメクジの表皮は入っている。非常に人間に優しい外皮をお持ちの魔物なのだ。

 全ての素材を釜へ投入。更に指示液・青を加え、混ぜ合わせる。混ぜるのに抵抗がなくなってきたところで、再びローブに手を突っ込んだ。
 取り出したのは豪奢なガラスの瓶。中には月聖水という種類の聖水系アイテムが入っている。今日使った素材達の中で最も入手に困難を極めた素材だ。何せ、普通の聖水を入手後、およそ30日間月光に晒す事で完成する素材である。計画的に使わないと、肝心な時に数が足りなくなって非常にストレスだ。

 そんな月聖水を3滴垂らし入れる。流石、上位種の素材なだけあって素材液の濃紺色が一瞬だけ輝かんばかりの白みを帯びた。
 好かさず巨大なおたまで素材液ごと内容物を掬い上げ、溢れないように軟膏などクリーム系の器に移し替える。空気に触れた傍から液体は徐々にクリーム状になり、やがて指で掬い取れる程度の硬さになった。
 それを10セットほど作り、おたまを置く。

「よし、完成!」
「それはどうやって使うんだ? マスクとは関係が無さそうに見えるが」
「マスクの内側に塗る薬なんです。保湿効果バッチリ」
「別の用途にも使えそうだな」
「そうですねぇ、もっと硬く作ったらリップとか?」
「いや、その、リップは……まあ、マスクも似たようなものか……?」

 クリーム入れの蓋を閉める。これもまた、リクエスト用の1つだけを除けた。

「ユリアナさん――いや、店長に提出して来ます。ついでに使い心地も聞いてみよ……。アロイスさんも、お一つどうですか?」
「いや、俺は良い」

 今日の成果を持って、メイヴィスは立ち上がった。