03.館の主人
館に到着したのは、それから15分程歩いた後だった。本当に遠い。街へ行く時なんか不便ではないのだろうか。疑問だ。
施錠されているのだろう、シオンが鍵を取り出して玄関の鍵を開ける。ものものしい館ではあるが、よくよく観察してみると部屋のほとんどにカーテンが引かれ、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
「えっ」
入った瞬間、館の住人に出会した。
仕事にでも行くのかというスーツらしき服を纏った、顔色の悪い妙齢の男性だ。鈍いブロンド、薄氷のように淡い色をした視線がこちらを向く。顔色がかなり悪い。健康的とは言えない肌の白さは血の気が引いているようにしか見えなかった。
ホラーじみた展開に思わず小さな悲鳴を上げてしまい、慌てて口を閉ざす。失礼な事をしてしまった、とシオンの様子を伺えば彼女もまた目を丸くしていた。
「だ、旦那様……!? 玄関に何か御用だったのですか?」
「旦那様」
ボソッとアロイスがシオンの言葉を反芻する。それがやや間抜けに館内に響いた。流れた如何ともし難い空気。ややあって、『旦那様』はゴホンと態とらしく咳払いをした。
「いや、用という用は無かったのだがね。客が来ると聞いて、落ち着いていられず……」
「ええ、確かに館にお客様がいらっしゃるのはおよそ2年ぶりでございます。旦那様の懸念も尤もでしょう。しかし、このシオンがお客様を案内すると約束したはずです」
「ううむ、いや、そうなのだがね……。寝過ごすと問題だろう? それに、あの男が斡旋した術師とトラブルを起こすと面倒だ」
――大丈夫ですよ旦那様! 私! 知らないおじさまに喧嘩を売る度胸は無いです!!
心中で『旦那様』にエールを送る。実際問題、スポンサー様は確実に権力者だが、自分はそうではない。しがないフリーの錬金術師だ。それが依頼人に対して文句など付けられようはずがない。
「――取り敢えず、客室へ移動しては如何でしょうか」
「そ、それもそうだな。シオン、茶を」
「承知致しました」
「お前達はこちらだ。顔合わせ、と言うより幾つか確認しておかなければならない事がある」
手招きされるまま、旦那様の後に続く。
というか、彼とシオン以外には誰も住んでいないのだろうか。人の気配はまるでない。通されるまま、整った部屋へ通された。明らかに高価な家具を使用している事が伺える室内に、今更ながら緊張が込み上げて来る。
そしてそれは招いている側も同じだったようだ。旦那様は若干心配そうな顔で周囲を見回していた。
どうしよう、話が始まらない。どちらも無言で時間だけが過ぎて行く。見かねたアロイスが一番に口を開いた。
「メヴィ、紹介をしてくれないだろうか」
「はいっ!? え、あ、了解です」
「悪いな。俺は護衛という名目でお前に着いて来ている。この場では最初に発言出来る立場じゃない」
そうだった。確かにこの場における地位的な問題でアロイスは口を挟む事を許されない立場だ。否、本来は自分にあらゆる指示を出せる人間ではあるのだが、場の序列における彼は無力なのである。
「あ、あああ、あの! スポッ、いや、エディス様? からの紹介で来ました、メイヴィス・イルドレシアです。あ、こっちの彼はその、護衛で。同行して頂きました」
明らかにおかしな言葉を口走ったメイヴィスに対し、館の主人は軽く会釈した。
「フィリップ・ベーベルシュタムだ。ようこそ、ヴァレンディアへ。……客をもてなすのは苦手でな。何分、客が来なくなって久しいので不備があれば私かシオンに言ってくれ。抜けがあっても気付かない」
「い、いえ……」
――不備っていうか、今の会話がすでに不備しかないのでは?
そう思いはしたが、彼にも何か考えがあるのかもしれない。ちら、とアロイスを見やると彼は穏やかな笑みを浮かべていた。今この部屋で一番肝が据わっているのは明らかだ。