6話 烏のローブ

04.雨の日


 ***

「最近、雨ばかりですね」

 シトシトと降り続ける雨のせいでぬかるんだ地面を踏みしめつつ、メイヴィスはぽつりと言葉を溢した。濡れた場所を歩くのは嫌いだ。足下がべちょべちょしていると、それだけでやる気が下がってくる。
 そんな気持ちが声音に表れていたのだろうか。先頭を進んでいたアロイスがクツクツと笑いながら肩を揺らした。何が面白かったのかは皆目見当も付かない。

「そうだな。靴の中が濡れるのが嫌いなのか、それとも濡れている地面が嫌いなのかは知らないが存外顔と声に出るな」
「うっ……。す、すいません」
「いい。お前の言う事は分からなくも無い」

 後どのくらいでウタカタがいる河辺に着くのだろうか。そもそも、山を登っているのだから、この段階で相当に上流だ。ウタカタとの接触を避ける為に結界を張り続けている魔道士達の横もさっき通り抜けたが、ぐったりと疲れ切っていたようだった。何でも、ここまで来るのに体力を使ったそうだ。

「あ。あれですか、アロイス殿!?」

 アロイスのすぐ後ろを歩いていたヘルフリートが目を見開き、一点を指さす。しかし、その方向を見る事は構わなかった。
 ウタカタを発見した、そう言いたかったらしい彼が腕を振り上げた瞬間、その振り上げた腕から真っ赤な鮮血が滴ったからだ。本人も全く予想外の出来事だったらしく、その目を見開き硬直している。

「な、何だ……!? 何かに魔法を撃たれた?」
「周囲に人はいないみたいだけど」

 低い声でゆっくりとナターリアが周囲を見回す。気配や匂い、音に敏感な彼女がそう言うのだから少なくとも近くに急に攻撃して来るような危険人物はいないのだろう。

「クソッ、傷が深いな。どこから、何故、いきなり?」
「落ち着け、ヘルフリート」
「まさか、あの化け物――ウタカタが自発的に攻撃して来たのか?」
「ウタカタはそういう神魔物ではない。……いや待てよ、雨……」

 何事か考え始めたアロイスを余所に、メイヴィスは恐る恐る周囲の状況を観察する。
 まず、ヘルフリートが指をさした先には人型の何かが立っていた。それは人型ではあるが、まるで水のようにどこか透明でそして同時に青っぽい色をしている。髪の長い女性の姿を模しているようだった。酷く儚げで、触れればすぐに壊れてしまいそうな危うさがゾッとする程美しい。
 そんな彼女――恐らく『ウタカタ』はこちらを向くでもなく、ただ悠然と膝まで流れる水に浸かっていた。かなり上流なので薄くしか水は流れていないと思っていた川だが、この間からの雨のせいか、細いくぼみ程度しかない川から水が溢れだして周囲の土を濡らしている。
 ――水が、川から漏れ流れている。

「撤退するぞ」

 何か嫌な予感がする、そう思った矢先に神妙な顔をしたアロイスが非常にスローな動きでこちらを振り返った。負傷した腕を抱えていたヘルフリートが「え?」、と間の抜けた声を上げる。

「動く前に俺の話を聞いてくれ。全員、なるべく大きく身体を動かさないように、ゆっくりと移動しろ。川の水が漏れ出ている。あの水を踏みしめている我々もまた、ウタカタのように脆くなっている事だろう」
「あっ、だから俺の腕……。さっき、急に動いたから俺の動きに耐えられなかった、という訳ですね?」
「そうなる。絶対に転んだり走り出したりするな。全身破裂して死ぬ事になる」

 恐ろしい言葉に身体が震えるのが分かった。エグい。全身破裂だなんて、周囲に内臓を撒き散らしながら汚らしく死ぬ事になるという訳じゃ無いか。
 それに対し、僅かながら恐怖を覚えているのはナターリアも同じだったようだ。顔をしかめ、片手で口を覆っている。

「メヴィ、そそっかしい所あるから気をつけてねっ!」
「ナタには言われたくないよ……。というか、え、撤退してどうするんですか?」

 そう尤もらしい言葉を口にしはしたものの、ここに留まるつもりは毛頭無い。自分とナターリアを追い抜かし、群れの先頭に立ったアロイスの背を黙って追い掛けるのみだ。

「ヘルフリートさん、大丈夫?」

 不意にナターリアがそう訊ねた。最後尾にいる騎士サマは後ろを気にしながら腕を押さえ、撤退作業に従事していたのだが彼女の言葉により前を向く。

「ああ。それにしても、最近の俺は負傷してばかりだな。気を引き締めないと」
「運が悪かっただけだよっ! あまり気にしなくて良いんじゃないかなっ」
「な、何だか今日は絶妙に優しいな……。俺は君のテンションがよく分からないよ」

 ――それは親友である私にもよく分からないから大丈夫だと思います。
 ヘルフリートの言葉に、心中でそう言って頷いた。