09.笛ロケット花火
エサイアスが何かぶつぶつと唱えたかと思うと、視界が揺らいだ。これは新しい結界を張ってくれたのだと思う。頗る顔色が悪いエサイアスはぐったりと溜息を吐き出した。疲れ切っているのが傍目にも分かるようだ。
「エサイアスさん、どうしますか……?」
「ナターリア達を待つしかナイな……。とはいえ、オレ達の横を通り抜けテ、湿地帯から出てしまっタかもしれないガ」
「そうなったら私達は――」
「仲良くあのガイコツの餌食だナ」
再び魔法の詠唱に入る魔物を前に、出来る事が無い。自分は攻撃を仕掛けられないし、エサイアスは結界を維持するので手一杯だ。このままで一方的に魔法を撃たれ、何れは守るものを失い――
暗い思考に陥っていたが、何か音がする事に気付いた。ピー、と一定のリズムで吹かれる笛のような。あまり聞き覚えの無いそれだが、確実に人為的な音だ。
「エサイアスさん、何か、笛の音が聞こえませんか?」
「……? イヤ、オレには聞こえない」
「えっ、私にだけ聞こえてるんですか? こわっ! ナターリア達が捜しているのかと思ったんですけど、ナタは笛なんて持って無さそうだし」
「ヘルフリートの持ち物については、オレに聞かれても分からナイ。しかし、ヤツは騎士だし仲間を呼び戻す為の音が鳴るアイテムを持っていてモおかしくはナイはずダ」
存在を主張すべきだろうか。もうこれ以上状況が悪化する事は無いだろうし、何か大きな音でも立てて笛の主を呼んだ方がマシのような気がする。
「エサイアスさん、私、呼び寄せてみます!」
「どうやッテ?」
「今ローブの中を見たら、夏に使った笛ロケット花火が1本だけありました! というか、多分私が救援依頼用に持っておいた花火なんですけど」
「火ハ? 要るカ?」
「ライター持ってます! 解毒剤作るのにも、火は必要ですからね」
メイヴィスは片手で花火を持ち、もう片方の手で安物のライターのネジを捻った。鋭い摩擦音の後、赤色の小さな炎が灯る。そのまま導火線に直接火を着けた。あまり表情を動かさないエサイアスがギョッとした顔をする。
「そのやり方は危ナイだろう!?」
「え? いつもこうなんで平気です」
「しかもソレは、手持ち花火じゃナイはずダ!」
張られている結界から手だけを出し、導火線が火薬に辿り着く一瞬前に手を放す。それは意思を持ったように盛大な音を立てながら空へ打ち上がった。
そして、衝撃。厚いガラスをまとめて叩き割ったかのような音が鼓膜に響く。
見ればエサイアスの張っていた結界が粉々に砕け散っていた。先程と同じく、スケルトン・ロードがまた上級魔法を撃ってきたのだと思われる。
自分と魔物の間に攻撃を遮るものが無くなった。
エサイアスに肩を押される。
「笛の音? のする方へ走れ。2人で逃げる事は出来ナイが、お前一人でなら、ヤツも追って来ないかもしれナイ」
「えぇっ!? そ、そんな事出来ませんよ!」
「仲良くお陀仏するのカ?」
「はい!」
「いや、力強く言われても……」
一際近くで笛の音がした。ただし、ずっと聞いていた一定のリズムではなく。鋭く、警戒を促すような力強い響きでだ。
思わず音がした方へ顔を向ける。こんなにもハッキリ音が聞こえる大きさだったにも関わらず、いきなり顔を上げたメイヴィスをエサイアスは怪訝そうな顔をして見ていた。本当に聞こえていないのだろう。
続く、聞こえて来た声は聞き覚えこそあるが今この場にいるはずのない人物の声だった。
「そこから動くなッ!」
「あ、アロイスさん!?」
驚いたのも束の間。横を何か重量感のあるものが走り抜けて行った。それはそのままの勢いでスケルトン・ロードへ一直線に駆け抜けて行き、風切り音を奏でながら手に持った得物を振り抜く。
身の丈程もある大剣が大髑髏の腕を跳ね上げ、切り離した。べちゃっと本体から離れた骨の腕が湿地帯の地面に落ちる。
それを見届ける暇もないままに、奇襲を仕掛けた本人が目前にまで下がって来て再び臨戦態勢に入った。
「アロイスさん? ど、どうしてここに……」
「詳しい話は後でする。ヘルフリートの為に解毒剤を頼みたい。あと、危ないからナターリアの指示に従って退避しろ。貴方もだ、エサイアス殿。随分と疲労しているように見える」
「えっ、ヘルフリートさん何かあったんですか?」
「それも本人から聞いてくれ。ヒルデガルトがいるはずだ、俺に手を貸すように言っておいてくれるか、メヴィ」
何故かヒルデガルトも来ているようだ。救援要請は出したが、こんなに早く救援が来るとは思えない。何か別の案件でここまで来たのだろうか。
色々な情報が頭の中で渦を巻いている。それに追い打ちを掛けるように、ナターリアのかましい声とヒルデガルトの困ったように宥める声が聞こえてきた。