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それは爽やかな朝だった。トーストの焼ける臭い、紅茶の香り漂う優雅な朝。大きすぎる机には3人分の食事が並んでいる。
「いただきまーす」
全員が揃ったのを確認したエプロンドレスを着た少女――エレインが誰の了解を得るでもなくそう言い、誰よりも早く朝食に手を着けた。野生児のような振る舞いに溜息を吐いた給仕長のチェスターもまた家の主人が朝食を食べ始めたのを見てフォークを手に取る。
正面に座る雇い主は優雅さとは無縁の、そう、ガツガツと朝食をかき込むエレインを眺めていた。
彼こそが屋敷の主、ファウストその人なのだが中性的な美貌に溢れた顔は直視するのを躊躇うレベルで美しい。事実、外へ出ようものならわらわらと人が集まってきて毎度それを追い払うのは大変だ。
「――何だか、ちょっとアホな事考えてます?チェスターさん」
「お前の上司に対するその口の利き方だけはいつまで経っても直らないな。矯正してやろうか」
「無理だと思いますけど・・・」
「努力する姿勢を見せろ」
カチャリ、正面から微かにそんな音がした為、チェスターは主人を見やった。宝石のような赤い瞳がこちらを向いている。何か話したい事があるようだ。
あまりにも真剣な顔をしているので思わず背筋を正す。何事かと疑問そうな顔をしているエレインもまたそれに倣った。小ガモのように従順なところは大変好感が持てる。が、惜しむらくは彼女の頭が小ガモ以下という事実だ。
満足そうに一つ頷いたファウストの唇からようやく言葉が漏れた。
「今日の予定はどうなっている?」
沈黙。それだけか、とも思ったが主人はそれきり口を閉ざしている。
最初に問いに答えたのは特に何も考えていなさそうな、悪く言えば阿呆丸出しの顔をした部下だった。
「私はこれを片付けたら町まで買い出しに行きます。夕食どころか昼食の材料もありませんから。あ!もし私が昼までに帰らなかったらパスタをレンジでチンして食べてくださいね、ファウスト様」
「主人に対して平気で冷食勧めて来る部下に、私は震えを抑えられないぞエレイン・・・!」
ごほん、と咳払いする。まあ、ファウスト自身は口に入れる物は何だって構わないタチらしく、昼にカップ焼きそばが出ても文句は言わなかった。かといって何を出しても良いという事にはならないが。
「えー、私は特に予定はありませんね。1日ここにいると思います。あの・・・突然、何故我々の予定を?」
「チェス」
「はい?」
「チェスの相手を探していた。この間外へ出た時に町の者から貰ってな」
――この間?この間とはいつだろうか・・・。ファウスト様はかれこれ一月程外出されていないが・・・。
そもそも出掛ける時は自分を呼べと言ったはずなのに彼とここ最近出かけた記憶が無い。
「ファウスト様。いつお出掛けになられたので?まさか、1ヶ月も前からずっとチェスの相手を捜していたわけでは・・・?」
「あ」
ほんの微かに驚いたような顔をしたファウストの視線が滑り、食器の片付けを始めたエレインを捕らえる。それだけで何が起きたか理解した。
「まさか、エレインを連れて外に出られたのですか?あの小娘、抜けてるところがあるので私に声を掛けてくださいと言いませんでしたか?というか、エレイン!お前ホントいい加減にしろよ!!」
「うわーん、怒らないでくださいよぅ!だってチェスターさん忙しそうだったしぃ・・・1週間くらい前は・・・」
「すまない、エレイン」
何事も無かったかのように朝食を摂る作業へ戻った屋敷の主人は目を伏せた。反省というか、エレインに悪いと思ったのだろう。