3話:忘れられない体験学習

06.レイモちゃん

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 体験学習、3日目。
 前日に聞いた話によると、今日は『魔物騎乗訓練』らしい。ジリジリと肌を焼く日差しが熱い。しかし、同時に窓からではなく普通に青空の下に出るのは久々のような気もする。

 ただ――魔物って、それは一般的に人が近付いて平気な生き物なのだろうか。この間のドラゴンは中身がイングヴァルという意思疎通の可能な存在だったので恐ろしくは無かったが、今回のそれに果たして意思疎通の出来る頭脳はあるのか。問答無用で襲い掛かって来たらどうしよう。

「あの、クラウスさん? これ……飼育施設っていうか、牧場ですよね?」

 牛の放し飼いの時点でビビる女子高生である以上、この放牧状態の魔物達は心底恐ろしい、まさに恐怖の対象だ。自分と彼等を区切っているのは頼りない木製の柵のみである。

 しかも、のしのしと広大な敷地内を歩き回っているその魔物等は牛より2周りは大きい。本能的な恐怖を覚えるサイズ感と言って良いだろう。
 恐々としていると、先程の問いにクラウスが答えた。

「そうだね。というか、もしかして恐がっているのかい……?」
「え? ええ、まあ。だってあんな大きな生き物、突進して来たらお陀仏ですよ。私達」
「えっ、でも君は結界を張っているよね。大丈夫さ。それに、彼等は僕達が攻撃行動を取らない限りは向かって来ないから……」

 本日のクラウスはあまり暗く無い。それが太陽の下に居てそう見えるのか、今日の学習は騎乗訓練であって暴力的な響きは無いからなのか。疑問は尽きないが、突っ込まないでおいた。

「それじゃあ、壱花ちゃん。僕はレイモを連れて来るから。そこで待っていてね」
「レイモ? あの魔物の名前ですか?」
「そう。レイモっていう種類らしいね。何でも、気候によって体色が変わるらしいけれど……」

 現状、遠目で見てもそのレイモという魔物は薄緑色の体毛に覆われている。今は春のような陽気に包まれているので、季節が変われば体毛の色も変わるという事だろうか。まあ、何だって構わないが。
 ぼんやりと壱花が思考を巡らせている間に、クラウスは易々と柵を越え足早にその辺に居たレイモの手綱を取った。更にもう一頭も確保。合計2頭を連れてすぐに戻って来る。

 ちら、と壱花は上から下までレイモを観察する。確かに穏やかな質らしく、のんびりとした様子は警戒に値しないものではあった。だが――

「あの、クラウスさん。鞍、高くないですか? ここに座るんですよね」
「そうだよ。大丈夫、足を掛ける所があるから。訓練兵を見ていても思うけれど、レイモを操るより、鞍へ上る方が苦戦するみたいだね」

 そりゃそうだろう。見上げる高さにある鞍は控え目に言って上るのが怖いと感じる高さがある。足を掛ける、と言ってもレイモが移動するのに邪魔にならない程度に拵えられた段差は、とても足を掛けられる幅があるようには見えない。
 そんな壱花の心配を余所に、クラウスが実演してくれた。ゆっくりと段差に足を掛け、軽やかに鞍へ上った彼は背の高さも相俟って非常に大きく見える。

「こんな感じで上ってみておくれ。じゃあ、僕は下で、君が落ちないように見ているから」
「あぶなっ!」

 そのままクラウスは鞍から平気な顔をして飛び下りた。ややあって、間の抜けた「あ」という声を上げる。

「降り方を説明しなかったな……」
「降りる方が厳しいと、私は思うんです。クラウスさん」
「そ、そうかもしれないね……」

 言いながらも、乗れたら楽しそうだという気持ちもあるので壱花は段差に足を掛けた。その段差一つ一つが既に高い。しっかりとベルトが固定されている事を確認し、両腕で全身を引き上げつつ足も持ち上げる。
 続いて二段目、三段目と足を掛けて行けば鞍を上る事は出来た。
 ――が。

「た、高くないですか!? これ、落ちたら怪我じゃ済みませんよね!?」
「そうだけど、小さな魔物に襲われる心配が無い安全な乗り物なんだよ」
「いや、今はそれはどうでも良いです。問題は……!!」

 降りる、という動作だ。
 壱花はゆっくりと目を動かして下を見た。最早、出る言葉は一つだけだ。
 ――高い。

「それじゃあ、壱花ちゃん。説明し辛いけれど……足を掛けた所に、もう一度足を掛けて降りると良いよ」
「かっ、簡単に言いますけど……! かなり難易度高いですよ……!!」
「流石に駄目そうなら、飛び下りれば僕が受け止めるけれど」
「それもそれで怖い!!」

 が、ここで脳が不意に正常な動きを始めた。一瞬の言葉の隙間、脳裏に過ぎるキーワード。
 そういえば、これは夢だった。
 高い場所から落ちる夢なんて在り来たりだけど、夢ならば落ちて全身がバラバラになろうが痛みを感じる事は無い。

 一瞬で冷静になった壱花は、淡々と段差に足を掛けた。一段一段踏みしめ、最後の一段――

「あっ! 壱花ちゃん、そこ、段差が無い――」

 慌てたようにクラウスがそう言った瞬間、足を掛ける場所があると思って掛けられた体重で全身が引き摺られた。夢と分かっていながらも掛かる遠心力に思わず息を呑む。