1話:イキガミ様

01.明晰夢


 桐生壱花は一般的な女子高生だ。1日の半分を学校で生活し、家へ帰れば一般家庭の模範解答のような家で身体を休める。
 本を読む、漫画を読む、休日は友達と出掛ける――挙げだせばキリが無いが、そんな生活をずっと送っていた。休むこと無く弛むこと無く淡々と。
 ――なのに。

「ああ! ああ、イキガミ様! 今年も、我々村の皆にご加護を! 災厄を遠ざけて下さいませ!!」

 広がる一種異様な光景に眩暈を覚えた壱花はそうっと目を閉じた。意味不明な状況を一つ一つ解きほぐしていく。

 目の前に広がる光景。ひっきりなしに訪れる変わった格好の人々が拝んでは去り、供え物をしては去りを繰り返している。どうやら自分は彼等より数段高い場所に座らせられているようだ。立ち上がった成人男性がやや上を向かなければ視線が合わない辺り、数メートルは高い場所に居る。

 ややくすんだ赤い布が頭上から垂れている。同時に線香のような濃い臭いが鼻についた。ただ、現代日本人がするお葬式などの線香より、ずっと匂いが強いだろう。あまり品の良い香りではない。
 壱花が座っている場所から鑑みて、これは座っているのではなく『奉られている』という状態が正しいのかもしれないが、何とも言えない状態だ。一先ず、この場所は祭壇とでも形容しておこう。

 空の状態を確認する。夕方だ、午後6時くらいだろうか。もうじき、昼と夜が入れ替わるような不安定な色をした空が不気味で仕方が無い。
 その奥に見える家屋はとても日本の建造物とは言えない。もっと脆くて、吹けば飛んでしまうのではないかと目を疑うような簡素な家だ。しかも疎ら。人口はそう多くないようだ。

――訳が分からない。
 言うまでもないが、桐生壱花のお家は神社神主系統でも無ければ、寺の関係者がいる訳でも無い。つまり、拝まれる理由は皆無である。

 あまりにも意味不明過ぎて、自分の頭で考えるのが段々と馬鹿らしくなってきた。仕方が無いので近場にいた変わらず祭壇に頭を下げているおじいさんへと声を掛ける。

「あの、あの! すいません! ちょっとお尋ねしたい事があるのですが!!」

 老人が顔を上げ、こちらを見た。一瞬の無表情の後、恭しく深々と頭を下げる。

「ありがたや、ありがたや。イキガミ様が話し掛けて下さった!」
「え?」

 ――いやいやいや! 質問に答えてよ、おじいちゃん!!
 心の叫びは届かない。ちょっと声に出してそう言ってみたが、こちらが恥ずかしくなってくるくらい華麗にスルーされた。

 なおも「ありがたや」、と繰り返しながら老人は人混みに紛れて消えてしまう。
 その後、祭壇に近付いて来た数名に話し掛けるも、似たような反応を返されるだけ。およそ会話は成立しないが、「話し掛けている」事は伝わっているようだ。つまり、言葉は通じている? いや、彼等の言葉を聞き取れる時点できっと同じ言語を話しているのだろう。

 ――もしかして、これは何となくリアルな夢なんじゃないだろうか。
 明らかに近場の光景ではないし、展開が突拍子なさ過ぎる。何だよこの、色んな宗教がミックスブレンドされたかのような光景は。歴史の授業なんかで資料集を見たから、こんな夢を視ているに違い無い。

「何か楽しくなってきた!」

 誰も反応しないのを良い事に、その場に立ち上がってみる。やはり誰も何も言わないし、強いて言うのならば壱花を見ているだけだ。
 しかし、祭壇のようなこの場所から下りようとすると止められた。曰く、「まだ準備が整っておりませんので。少々お待ち下さい」との事だ。なかなかに凝った夢である。

 これはきっと明晰夢に違い無い。
 夢の中で夢を視ていると知覚出来れば、ある程度自在に視たい夢をコントロール出来るというもの。

 そんな壱花の脳裏に過ぎったのは『女子高生超能力者・八代珠希』の番組だ。両親は彼女の存在をヤラセだと言うが、自分はそうは思わない。というか、実際にそういう力が存在しているかもしれない、という事実にロマンを感じる。

 人とは違う力を持っている、というのはどんな気分なのだろうか。夢とは言え、それを味わう機会だと心が躍る。
 テレビの中にいる彼女が、常日頃からそうするように目の前のお線香を摘み上げようと、手の平を向けた。火の着いた線香が持ち上がり、くるりと一回転する。

「ああ……。流石はカミサマだ」
「奇跡に感謝を……」

 ヒソヒソと躱される言葉達。それが賞賛の意を孕んでいると気付き、シンプルな充足感を得た。楽しい。人と違う事が簡単に出来るのは、楽しい。
 尤も、これは夢であるからわくわくするのであって、現実にこんなものを持ち込みたいとは思わないが。

 なおも途切れること無く拝みに来る人の群れを見つめ、壱花は機嫌良く鼻を鳴らした。自分の矮小な頭脳からは考えられない、凝った夢だと。というか、『イキガミ様』とは結局何なのだろうか。

「ああ、イキガミ様、今年も――」

 土着神か何かかもしれない。そんな神様が居るなんて聞いた事も無いし。とはいえ、夢は夢なので意味などないのかもしれないが。