10.対神(1)
「ぐぅ、うぅうううう……」
烏羽が笑い転げていつも通りに発狂している傍ら、突っ立ったままの薄藍は奇声を発している。とてもではないが、正気には見えない。ガシガシと頭を掻き毟り、こちらもこちらでシンプルに正常な状態とは言い難かった。
「ちょっと、烏羽」
「ええ! 説明が遅れてしまい、申し訳ありません召喚士殿! 少々、愉しくなってしまいまして!」
「は? いや、愉しいとかそういう話じゃなく――」
「先程も申し上げました通り、奴は神使。薄藍です。ええ、薄色しりぃずの一角ですね。ところで……神使は必ず、2人以上を一組とした対神なるものが存在します」
「対神?」
「ええ。もともと、独立した1体で主神が神使を創り出す事はありません。必ず、同時に2体以上を作成し、それを対神とします」
「……同期みたいなもんかな」
「ふふ、ええ、あながち間違ってはいませんよ。ただまあ……そのような関係性より、一等濃い物ではあるかと。ええ!」
――何だか嫌な予感がしてきた。
未だに頭を抱えて発狂している薄藍をちら、と見る。何故急に烏羽は対神の話を始めたのだろうか? その意図はどこに?
背筋に嫌な汗が滲む。とんでもなく最低な理由が今目の前にあるのを、本能が先に悟っている。それでも花実は彼の愉しげな様子について、尋ねざるを得なかった。
「……それで、烏羽はどうしてそんなに楽しそうなの?」
「よくぞ聞いて下さいました! ええ! 実はそこの薄藍と――薄桜、件の対神です! あの小娘、コレを隠していたのですねぇ、ええ! あっはっはっはっは!! んふふふ、いえ、失礼! ふふふ……」
「確かに様子はおかしいけれど、敵じゃ無いかも――」
「まさか! 召喚士殿、先程奴に殺されかけたのをもうお忘れですか? 何の躊躇いもなく、先に消すべき対象である貴方を狙ってきたではありませんか!」
――そういやそうだった。
あまりにも速すぎて見えなかったせいで、記憶からも信じられない速度で消えていた。そもそも現代日本において命を狙われるなんて、そんな事はそうそう起こらない。それをゲームの中だけ危機感を持てというのは土台無理な話だ。
そして同時に薄桜と薄藍の関係性が対神という事実。自分から見れば同期のようなものなのだが、烏羽にとっては現状がお気に召しているらしい。
では薄桜は何を隠していたのか? もう答えは目の前に。明らかに様子がおかしい薄藍という神使を主神から遣わされたであろう召喚士から庇っていたのだ。では何故、自分から彼を隠し立てしたかったのか?
理由は先程分かった。汚泥側の戦力として薄藍が倒されるのを回避する為だ。烏羽を恐がっていたのも、現状を鑑みれば面白がって引っ掻き回す未来が見えていたから。状況を掻き乱されないよう、早々に帰るように言ってきたのだ。
「烏羽にも、対神っているの?」
「今、それを確認します? 勿論、私にも対になる存在が1人存在しますね。ええ。もういいですか、その話。私に彼奴の事を思い出させないで頂きたいので。ええ」
心底嫌そうな顔をしている烏羽のそれは、紛れもなく本心のようだった。彼等の関係性はそれのようだが、薄藍と薄桜はどうだろうか。分からない。
チラ、と少し落ち着いて来た薄藍の様子を伺う。濁った暗い瞳がこちらを見ていてゾッとした。そこに明確な意思が存在しているようにはまるで思えなかったからだ。
「――さて、薄藍殿。申し開きはありませんか? 貴方が今、襲い掛かった相手は召喚士……ええ、主神への背信行為でございます!」
「……める」
「はい? 何でしょうか?」
「沈める……村も町も……うう……」
「おや、お話にならないようですね。ええ」
ブリキの人形のようなぎこちなさで、薄藍が持っていた短刀を構え直す。切り裂く、と言うより相手の急所を一突きにするような体勢だ。薄桜の鉄扇といい、烏羽の徒手空拳といい、神使ごとに異なる戦闘スタイルを持っている様子。勿論、全て同じ戦闘エフェクトよりずっと良い事なのだけれど。
意識を飛ばしていると、第二ラウンド開始を告げるかのように烏羽の周囲に水の気配が満ちる。
それに応じるように薄藍もまた、ぐっと姿勢を落とした。汚泥の中から飛び出してきた時のように、素早い攻撃を得意とするのかもしれない。見た目もかなり身軽そうだし、長期戦には向かないようなステータスとかパラメーターを――
――いや、待って。そういえば神使のステータスとかって、どこにも見当たらないけど数値周りはどうなってるの?
はたと気付く。このゲームが始まってから、まだ一度もそう言った類いの数字を見た記憶がない。所詮はゲームエンジョイ勢なのであまり気にしないのだが、こうも他神使と能力差があり、且つレア度が見た感じ存在しないのに。こんなに性能差がある事ってある?
攻略サイトとかに公式には存在しないレア度とか、未来では書かれていそうだなとそう思った。
が、このシリアスな空気で烏羽へ訊ねる訳にもいかない。ストーリーが終わって、社に戻ったら確認してみよう。
そう決めたと同時、全く急に薄藍が動いた。彼はまるでネコ科の動物みたいだ。軽やかに地を蹴ったかと思えば、えげつない速度が生まれる。見た目は少年のそれでも、やはり神使は人外的な存在と再認識させられた。
はは、と乾いた笑い声を漏らした烏羽が、ひらりとその身を反転させた。必要最低限の動きで薄藍の特攻を躱す。しかし、完全には避け切れなかったのかヒラヒラとした裾が一部、ざっくりと裂けてしまった。
「――む、耄碌しましたかね……」
本人も完璧に避けたと思っていたのか、やや不思議そうな顔をしている。
ぶつぶつ、と愚痴では無い文言を口の中で転がした彼は、一連の作業を終えると不敵な笑みを浮かべて見せた。
「やはり、突っ込んで来る猪に真正面から挑むなど、理性ある神使のする事ではありませんでしたね、ええ。もっと賢く! 優雅に致しましょう、ええ!」
薄藍は言葉を発さない。聞いていない訳ではないのだろうが、烏羽に対しまともにうてあう気は無いようだ。
再度、薄藍が疾走を開始する。弾丸のような速度で繰り出される、蜂の一刺しのようなそれ。大抵の人類であれば、それを知覚する事も出来ないまま串刺しにされているであろう。
ただし、対峙しているのも神使。烏羽だ。一般人のセオリーに沿うはずもない。
薄藍が一直線に烏羽へと迫り、迫って――瞬きの刹那、非常に痛々しいゴツンという鈍い音が響いた。
「なにこれ」
間抜けな台詞を吐いたのは花実自身である。
というのも、先程までは絶対に存在していなかった不可視の壁。それにぶつかった薄藍が短刀を持った方の腕をピンと伸ばした姿勢で静止していたのである。
壁がある事に気付けたのは偏に薄藍その人が刃物を持った方の腕で何枚かの壁を貫き、不可視の壁を破壊したからだ。卵の殻のようにパリパリと剥げ落ちたそれは不可視性を僅かに失い、肉眼で確認が出来るような半透明さに落ち着いている。
ポタポタとガラスのような鋭利さを持っている壁の破片で傷付いた、薄藍の腕から鮮血が滴り落ちる。加えて壁に衝突したであろう彼の額にも血が滲んでいるのが見て取れた。
人を襲う姿勢の見本。そんな体勢のまま停止していた薄藍が僅かに身動ぎする。対し、仕掛けた張本人である烏羽はそれを鼻で笑った。罠に掛かった害獣でも見るかのような、冷え冷えとした視線を湛えてだ。