1話:対神の治める土地

04.村の神使(1)


 キッと薄桜が烏羽を睨み付ける。彼女にはプレイヤーの存在が見えていないようだった。

「それで、どういった用事? 一刻も早くお帰り願いたいのだけれど」
「おやおや、私の事をそんなに邪険にして。悲しいです」
「嘘吐け!」

 分かりやすい程に分かりやすい――否、これはもう煽りと言って良いだろう。おざなりに悲しげな演技をして見せた烏羽は、笑いが殺し切れていないのか目元をニヤニヤと歪めている。
 始終こんな態度なら、そりゃ同寮にも嫌われるだろうなと花実は小さく溜息を吐いた。

「薄桜殿、こちらは主神が用意した召喚士――それだけ伝えれば、お分かり頂けますね?」
「召喚士……? 確かに、主神様からそういった存在を用意している事は聞いているわ。けれど、あんたがそれに従うとは……残念だけど、思えない。適当な生者を引っ張って暗示でも掛けたんじゃないの?」
「ええ、では、我々に牙でも剥いてみますか? ええ、ええ。主神への裏切り行為と相成りますが」
「私はそっちの人間が召喚士だとは思えない」

 きっぱりと言い切った薄桜は、なおも鋭い視線を烏羽に向けている。非常に警戒しており、このまま彼が語りかけた所で話を信じてくれそうにない。
 なので、当然ながら烏羽が次に声を掛けたのは黙って突っ立っているプレイヤーこと召喚士である。

「ねえ、召喚士殿。薄桜殿はああ仰っていますが……。どう致しましょう? ふふ、処理してしまいましょうか」
「人の子、騙されては駄目。どこから来たのかは分からないけれど、そいつはとっても危険な奴なの! 今すぐ離れて、危ないわ」
「薄桜殿。召喚士殿は今、私と話をしているのですよ。横槍を入れないで頂きたい」
「あんたのそれは、洗脳でしょ! 忘れないからね、あんたの悪辣!」
「おお、酷い。私、とっても繊細なんですよ。ええ。悲しい悲しい」
「だから、寒気のするような嘘は止めなさい。烏羽、あんた、この有事に起床していたにも関わらず全てを無視してどっかに消えたり、元々主神様の意向に興味が無いだなんて言って事ある毎に反発したり……。少し前なんて、月白と大喧嘩して意味も無く周辺の輪力を枯らしたりもしたわよね? 駄目、全然信用できない」
「あんなの、ちょっとしたお遊びですよ、ええ」
「百歩譲って喧嘩の件は見過ごすとしても、主神様への背信行為は数知れず! 汚泥の侵略に乗じて、何か企んでいるんじゃないの!? 早く立ち去って!!」
「ぐすん。召喚士殿ぉ、彼奴めが私を虐めるのです……」
「気持ちが悪い! あんたみたいな奴がそもそも、召喚士の喚びかけに応じる訳がないじゃない!」

 神使が互いを詰り合うのを尻目に、花実は小さく頭を抱えた。悲しい事に、烏羽の悪評は全て真実らしい。薄桜に虚言を吐いている様子は見受けられない。至って普通の、三次元の人間を相手にするよりも清廉潔白さがある程だ。
 人格的には烏羽より、彼女の方が好きかもしれない。比べる対象がアレな上、外見の落差も凄い事になっているけれど。
 ちょこちょこ自分に援護を求めてくる烏羽だが、返事が無いと知るや薄桜に反撃を試みる。意地の悪い顔をしているので、実際には彼女の言葉などほんの一欠片も気にしていないのだろう。丈夫なメンタルだ。

「知ったような口を利くのですねえ、薄桜殿。私と召喚士殿の間にはそれはそれは壮大な冒険譚が――」
「嘘と分かる嘘を吐かないで!」
「ええ、はい。確かにまあ、嘘なのですが。良いではありませんか。実際にそのような事実があろうが、なかろうが。大事なのは気持ちでは?」
「いや……? 何言ってんの、あんた。とうとう耄碌した? とにかく、何でも良いから早く阿久根村から出て行って。あんたの相手をしている暇は無いの。ああ、そっちの人間は私が責任を以て引き取るわ。汚泥の中にでも捨てられようものならば、可哀相だものね」
「はい? 何を馬鹿な事を。折角、顔を見せた同寮と召喚士に茶の一つも振る舞えないのですか? はは、戦闘も不得手なお人形さんのくせに言う事ばかりは尊大ですねぇ」

 ――唐突に牙を剥く烏羽に目を白黒させる。それは急変という言葉がよく似合う、鋭利な刃物のような罵倒だった。流石の同寮、薄桜でさえ変化について行けず一瞬だけ静止する。
 少しの怯えを滲ませた薄桜はしかし、威圧的な態度を取り始めた烏羽にはっきりと要望を告げた。

「いいから、速やかに村から出て行って。さもないと――」
「さもないと? ええ、さもないとどうされるのでしょう。ええ、胸が高鳴ってしまいます」

 舌舐めずりすらして、獰猛な本性を最早隠しもしない烏羽は酷く愉快そうだ。一方で気丈に振舞いつつも、薄桜はその可愛らしい顔に僅かながら恐怖の色を浮かべている。
 格上の相手が、格下を嬲って遊んでいるような構図だ。ストーリー1話目でこんな構図になる事はあり得るのか? 急展開にプレイヤーが置いて行かれる。

「さ、さもないと、力尽くで排除するんだから!」
「大きく出ましたねぇ。ええ、よろしい。縊り殺してしんぜよう」
「ふ、ふん! 本当に召喚士と契約してるなら、神使としての機能はほぼ封印されているはず。そうじゃないのに私に殴り掛ってくるなら裏切り行為として、主神様に進言してやるから!!」
「あっはっはっは! ええ、どうぞ、お好きに。貴方、弱い上に頭も悪かったんですねえ、私吃驚です」
「うるさい!」

 キャンキャンと怒鳴った薄桜の両手。不意に小さな手の中に大きめの扇子――否、鉄扇が出現する。叩かれたらとても痛そうだ。
 一方で余裕綽々の表情を浮かべた烏羽は徒手空拳。彼は武器を持たないのだろうか。

 先に動いたのは薄桜だ。左手の鉄扇を振るう――と、彼女の周囲に花弁にも似た光が無数に出現する。淡く輝くそれは、右手の鉄扇を振るった瞬間、見た目とは裏腹な速度で烏羽に飛来した。

「はは、可愛らしく、大変お綺麗な術で。そんな物では汚泥すら退けられないでしょうに」

 烏羽の小馬鹿にしたような言葉と同時、烏羽と薄桜の間に薄い水の壁が立ち上る。恐らくは地面から湧き出たのだろうが、真偽の程は不明だ。
 烏羽へ真っ直ぐと向かって来ていた淡い光達は水壁にぶつかると、小さな火が消えるような音を立て、一瞬でその光が失われる。
 それを見ていた薄桜が悲鳴のような声を上げた。

「ちょっと! この輪力不足の土地で、そんな派手な術を使わないでよ! 少ない輪力が更に少なくなるでしょ!?」
「はい? 先に術を撃ってきたのは貴方でしょうに。おかしな事を仰る。そもそも、如何に薄色しりぃずであろうとも輪力の消費量は零ではありません。息をしているだけで輪力を貪る木偶が、よくもまあしゃあしゃあとほざけましたねえ。ええ」
「そう、私は薄色の身。あんたと違って、少量の輪力で活動が出来るようにできてる。ちゃんと輪力の計算をしながら立ち回っているのに! あんたがノコノコと村に入ってきたせいで!!」
「無茶苦茶な理論展開はおやめ下さい。ええ、笑いが止まらなくなってしまいますので!」