2.





 いや待て――もしかすると、何かの間違いかもしれない。
 というか、間違いであって欲しいと言う願望。
 そうこうしているうちに、見知らぬ方の女性がエリザから離れ、どこかへと消えた。追った方がいいか、エリザに確認を急いだ方がいいのか。考えた末、嘉保は結局後者を選択した。
 エリザが裏切り者であった場合、彼女を助ける為に例の女が帰って来る可能性が高いからだ。今、エリザを取り逃がして国外なんかに逃亡されたら堪ったもんじゃない。

「――エリザ様」
「っ!?」

 声を掛けるとエリザは息を呑んで勢いよく振り返った。誤魔化すのが下手過ぎるし、すでに目が泳いでいる。どう見てもクロっぽい。
 一歩、主人の側室が化け物でも見るような目でさがる。頭の中が急速に冷めて行くのがよく分かった。あの、蘇芳を追い掛ける姿勢も、恋する乙女のような振る舞いも。全ては嘘だったと言うのだろうか。そうだとしたら、それは正気の沙汰とは思えない。

「か、嘉保・・・あなたどうしてここに・・・?」

 引き攣った顔のままでそう尋ねられた。いつも通りの表情を張り付けた嘉保はにこやかに問い返す。

「いえ、エリザ様がいらっしゃるのが見えたので。ここで、何を?」

 こんなのは茶番だ。けれど、これで彼女を騙す事が出来るのならば、それはそれで上手く事が運んでいるとも言える。
 エリザが疑いの眼差しを向ける。さぁ、乗ってくるか、来ないか――
 ちらっ、とエリザの右手が動いた。ただ、それだけの動作だったが、その手が一瞬だけ微かな光を帯びたのを嘉保は見逃さなかった。何か、魔法でも使う気だろうか。
 僅かに構えると、不意に背後の気配を感じた。
 瞬間的に視界に入ったエリザの顔は嘉保――ではなく、その背後を見ている。

「なっ、んだ・・・!」

 勢いに任せて振り返る。エリザなど構っている場合では無い。真後ろに立たれると完全に視界の死角だ。
 黒い切り揃えられた髪。忘れるはずもない。先程去ったはずの女だ。
 狂気的な笑みを浮かべている彼女は両手に厚く長い刃を持つ得物を握っていた。しかも、それで球でも打つように振りかぶっている。それが自分の首筋を狙っているのだと気付いた嘉保は抜いた得物でそこを庇うように構えた。

「ンなもんで防げるかよ」

 嬉々とした声。けれど、やはりどこか狂気的なそれに背筋が粟立つ。同じ言葉を共有しているはずなのに、まったく違う言語を聞いているような違和感。会話が成立しないであろう感覚。
 凄まじい空気の摩擦音を伴ってその得物が振り抜かれる。
 耳元で持っていた得物の刀身が砕け散る音が聞こえた。それと同時に衝撃、ブレる視界。視界が一瞬だけ真っ赤になって、次の瞬間には暗転した。身体の倒れる音が、やけに遠くで聞こえた気がする。