足下の子犬

 昼休みのお話。
 偶然にもその日は河野陽菜も、宇佐美禎侑も係活動とかで教室にいなかった。一人で寂しく弁当を食べなければならないのか、と若干沈んだ気分でいたら丁度良いタイミングで佐伯京也がやって来たのだ。
 彼は2年生らしいので、さすがに3年生の教室に転がり込んで弁当を食べるのには抵抗があったらしく、屋上へ移動。まるで恋人同士みたいだ、と口にしたら何故か後輩は顔を真っ赤にしていた。男女逆転している感が否めない。
 3−Cでは借りてきた猫のように大人しかった彼はしかし、屋上へ着いた頃には人が変わったように元気になっていた。

「志紀さん志紀さん!俺、明日テストなんスよ!」
「あぁ、だから英語の教科書を持ってるんだ。全然似合わないアイテムだから止めた方がいいよ、って忠告しようと思ってたのに」
「酷ぇッス・・・。俺、別にインテリキャラとか目指してねぇから」
「うん。人間無茶な事はしない方が良いよね」
「ちょ、だから違うんスよぉぉぉ!!」

 キャンキャン吠える様はまさに犬のようだ。そして、彼を見つめる自分の心境もまた、犬を愛でる飼い主のようだ。
 しかしここで彼をからかい倒しても話が進まない。箸も進まない。ので、教科書を持って来て勉強でもするのかと尋ねてみる。

「いや、志紀さんに教えてもらおうと思って。あ、もしかして英語って苦手ッスか?」

 ――なんて図々しい後輩なんだ。
 心中で呟きつつも、彼の勝手な想像妄想を打ち砕く為に言葉を発する。

「苦手だけど・・・さすがに1年前の教材は分かるよ。苦手とは言ったけど、出来ないわけじゃないからね」
「本当ッスか!?わーい、やった!俺、毎回再テストなんだよね。何だよ合格点って」
「合格する為に必要な点数の事でしょ。で?どこがテスト範囲?」
「えーっと、ここッス」
「・・・文法じゃなくて、単語テスト?」

 そうだった場合、教える事など無いだろう。何せ、書いて覚えろ以外に言う言葉が無いのだから。
 杞憂に終わってくれ、と祈りつつ彼の顔をちらりと見る。
 ――絶望した。彼は希望に満ち溢れた顔をしていたが、少なくとも志紀は絶望した。

「はいッス。単語テスト。単語とかどーやって覚えりゃいいのかさっぱり分からん」
「・・・佐伯くん佐伯くん」
「あ!俺の真似は駄目ッスよ!」
「いや聞け犬っころ。いい?単語はね・・・書いて、発音して、意味まで覚える必要があるの。つまり、私に聞いたって分からないものは分からない」
「うぇええええ!?志紀さんの事、超あてにしてたのにッ!!」

 しゅん、と項垂れる姿。それが犬が耳と尻尾を垂らしている姿と重なった。
 ――だからどうと言う事は無いのだが。小テストの再試は彼の実力的問題であるからして、手伝える事など無い。