2話 理想と虚像

07.氷雨の動向


「よし、行きましょう。私、ギャーギャー騒ぎますけど、必要な事なので我慢してくださいね」
「ええ、知っているわ」

 それはよく喋る女だと思われているのだろうか。
 結芽は微笑むとゆっくり足を動かしてミソギの後ろに着いた。大丈夫かこれ、早歩きまでは可能のように見えるが体力は無さそうだ。

 果たして、予想は嫌な方向に当たった。
 足取りは決して遅くない。ただし、結芽はこちらが少しでも走ると、途端に着いてこれないようだった。個室の端から端まで走り、外へ出ようと外部の様子を伺っていると彼女は遅れて背後に到着した。

「……結芽さん、もしかして走ったりは出来ない感じですかね?」
「数秒くらいならきっと走れるわ。もう、数年は走っていないけれど」
「それは、どちらかと言うと、走れませんね」

 すぐにバテてしまいそうだ。仕方無い。結芽を無理矢理走らせるよりずっと、自分が雑誌メガホンで叫んでいる方が建設的だ。
 覚悟を決め、ポケットに常備されているのど飴に手を伸ばす。残念な事に飴は入っていなかった。

 ***

 支部にて。
 南雲は握り締めたスマートフォンを睨み付けながら、アプリの画面に文字を打ち込んでいた。
 曰く――『礼の怪異について知っている人がいたら、情報よろしく』という旨の。
 これは相楽が使ったミソギに関する情報を集める為の多目的ルーム。人口そのものは多いが、めぼしい情報はほとんど無い。白札の他愛の無い考察が飛び交うのみだ。手掛かりは無きに等しい。

 画面を消し、頭を抱える。
 ――俺が、今回はしっかりしないと……。
 トキは先程まで一緒に居たのだが、調べる事があると言って早々に姿を消した。あまりにも早急な態度だったので、どこへ行くのかも聞き忘れたのだが、それは余談とする。

「悩んでるなあ、南雲」
「そりゃなんでアンタと仕事する事になんだよ、とは思うに決まってんじゃん」

 盛大な溜息を吐く。目の前のソファにはニコニコ笑顔の十束がどっかり腰掛けていた。その隣には雨宮も居る。完全なる疎外感。何故、同期2人の中に後輩である自分が混ざらなければならないのか。
 トキが居なくなった事によって心労も増している所に追い討ち。嫌な事とは重なるものだ。

「ところで、一つ心当たりがある。ここで座ってるよりずっと、俺の話を聞いた方が有意義な時間になるかもしれないぞ!」
「はぁ?」
「実は俺と雨宮は氷雨と交流があってな」

 そうそう、と雨宮が大仰に肩を竦める。

「実は相楽さんから、新しく異動して来た彼の面倒を見るように頼まれていてね。私もこの間目を覚ましたばかりで、機関の新しいルールだとかを知らなかったから、ついでに学び直そうって魂胆だったのさ」
「はあ、そっすか」

 それで、と十束が人差し指を立てる。注目を集める動作に、渋々と南雲は視線をそちらへ向けた。

「氷雨の妹が302号室に入院している」
「今回の件と関係あるんすか、それ」
「うーん、俺としては氷雨の態度を疑いたくは無いが、露骨な動き過ぎだったな。今日も一緒に仕事の予定だったんだが、ミソギの件を聞いたら血相を変えてセンターへ向かってしまった」

 ――言う通り、何かあると言わんばかりの動きだ。
 十束の言葉が途端真実味を帯びてくる。それに、記憶が正しければ氷雨は何度かミソギを捜している場面が目撃されている。

「そういえば、あの人、ミソギ先輩の事をよく捜してたっすね。この間も先輩に接触を図って来て、何か忠告みたいな事をしてたらしいし」
「だろう? そこでだ、南雲。ここに座っていても始まらない。一度、俺達もセンターに足を運んでみないか? まだ氷雨もいるかもしれない」
「……分かった」

 正直、姿の見えないトキも心配だったが、ミソギを無事救出出来れば、トキの心配は要らなくなる。今重要なのは早急な事の解決だ。
 本来なら一緒に行動する事のない人達。一抹の不安を覚えながらも、南雲はソファから立ち上がった。