10.地下
明かりも持たず駆けだしたトキを、思わず追い掛ける。とはいえ、相手は男であり同時に怪異騒動のせいで身体能力が鍛えられた隠れムキムキマンだ。当然追いつけるはずもなく、今にも死にそうな喘鳴を漏らしながら見失わないようにするので精一杯。
途中で十束にミコ、相楽を追い抜いて行ったが呆気にとられた顔をしていた。何をこいつ等はいきなり大騒ぎしているのだろう、とでも思われたのかもしれない。
幾つかあった部屋を素通りし、トキが一つのドアの前で立ち止まる。今一瞬だけ聞こえた声を頼りによくもここまで迷い無く進めたものだ。いっそ感服する。
ドアの前に仁王立ちしたトキは、声を掛ける事も無くそのドアをまったく唐突に開け放った。
「ひぎゃああああああ!? ……て、あ、センパイ!!」
「うるさいっ!」
トキのものではない悲鳴と、鵜久森の苛立った声が同時に聞こえる。信じ難い事に、警察犬のような有能さで彼は南雲を捜し当てたのだ。
――が、一連の万能感を打ち消す、トキの怒声が響き渡る。
「みっともなく騒ぐな、南雲ッ!! 貴様の情けない悲鳴は向こうまで聞こえていたぞ、恥を知れ!!」
「……はあ、すんません……」
「その性根、叩き直してやるッ!!」
「ええ、勘弁してくださいよ、今俺、ナーバスな気分なんですよ……」
怒鳴りながら部屋に突入して行ったトキと入れ替わるように、鵜久森が部屋から出て来た。「うぐ姐さん」、と声を掛ける。
「大丈夫でしたか? 相楽さんから聞きましたけど、穴から飛び下りたんですよね?」
「大丈夫さ。この程度で怪我をする程、柔じゃないよ」
「柔っていうか普通に頑丈ですよね、姐さん」
鵜久森と再会を喜んでいる所に相楽達、後続組が到着した。ミコが飛び跳ねながら手を振る。
「姐さん、元気そうで良かったですっ! 南雲さんも普通に元気そうですね!」
「私は無事だよ。南雲は、トキに驚いて叫んだがあまり無事とは言えないな」
「ええっ? 怪我でもしたんですか?」
「いや……、ちょっと隣の部屋が酷かったというか。気分が悪くなる部屋だったというか……。怯えている後輩の手前、何事も無いような顔をしていたが正直、あの部屋にはあまり入りたく無いな」
鵜久森が悩ましげな溜息を吐き出した。
それを聞いた相楽の表情もまた曇る。怖がり南雲の話はアテにならないが、鵜久森の情報は客観的で受け取りやすい。そんな彼女がぐったりとしているのだから、相当問題のある部屋だったのだろう。
「どんな部屋だったのかは聞かないでおくが、どうだ、何か手掛かりはありそうな部屋だったか?」
「それそのものでしたね。『供花の館』を知る為には、もう一度入って調べる必要のある部屋だと思われます」
「げ、じゃあやっぱおじさんも入らなきゃダメか」
南雲にギャンギャンと怒鳴っていたトキが静かに帰還した。首を傾げているが、一歩後ろを歩いている後輩はゲンナリした顔をしている。鵜久森の言う通り、隣の部屋が頭から離れないのだろう。
そんな彼を指し、トキが言い放った。
「相楽さん、南雲の奴は使えません」
「うん……うん、話を聞いた限り、お前は今日頑張ったよ。南雲」
「うっす、あざーっす」
隣の部屋を見に行かなきゃならねぇな、と相楽が鬱屈とした調子でそう言った。まさにそのタイミングで、十束が自らを指し示す。
「俺が様子を見て来ましょうか?」
「んにゃ、鵜久森と南雲は置いて見に行ってみるか。ドアとドアの感覚的に、この部屋の隣は結構広い。手分けして手掛かりを探した方が効率的だろ」
――ヤバイ。これ私も着いて行く流れだ……。しれっと鵜久森さん達の方に混ざってお見送りしようかな。いや、それしかない。こっそりフェードアウトしよう、そうしよう。
南雲と同じくらいの強度しかないメンタルが耐えられるとは思えなかったので、そろりそろりとミソギは戦線を離脱しようと目論んだ。しかし、それは他でもないトキその人に見咎められる。
「おい、どこへ行くつもりだ、ミソギ」
「へあっ!? あ、いや、別に? 先輩として南雲が心配だっただけ? 的なアレみたいな」
「何を言っている。南雲は放っておけ、行くぞ。次逃げようとしたら赦さない」
「あー、行きたくなーい、勘弁してよー、もー」
駄々を捏ねてみたが、無駄に睨まれただけだった。酷く虚しい気分だ。
先輩、と南雲の小さな声が聞こえたのでそちらを振り返る。
「な、なに……?」
「ファーイオー。思ってたよりスプラッタなんで、心の準備した方がいいっすよ。俺から言えるのはそれだけっす……」
「何か南雲、見てない間にちょっと老けた?」
覇気が無いと歳を取って見える、遠回りにそう言ったが南雲は薄い反応をしただけだった。元気だけが取り柄の彼から、元気ををも取り上げる隣の部屋。何と恐ろしい事か。
その事実がすでに精神面に重くのし掛かっているが、トキの「早くしろ」と言わんばかりの眼光も結構エグい感じに心を抉るので、心の準備を整っていないにも関わらず終えなければならなくなった。