1話 豚男

05.後輩の南雲


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 機関支部というのは休暇を申請したり、新しい住居への引っ越し手続きをしたり、ある種の証明書を発行できる、事務的な活動の場である。一緒に仕事していた仲間の死亡報告書を出すのもここなので、少しだけ苦手だが。

 そんな支部はまだ昼間だというのにちらほらと人が行き交っている。皆一様に忙しそうだ。

「来ない……」

 そんな中、南雲との約束を果たすべくロビーにて時間を潰していたミソギは小さく溜息を吐いた。呼び出した本人である南雲はおろか、トキも来ない。時間はざっくりとしか決めていないが、それにしたって時間にルーズ過ぎないだろうか。

 アプリの通知は無いので、何か理由があって遅い訳では無さそうだ――

「センパーイ、先輩、ちわーっす!」

 除霊師という職業のイメージにはまるで合わない快活な声にはっとして顔を上げる。
 鶏冠頭の明らかに染めた茶髪、悪い人相に不釣り合いなフレンドリースマイル。ピアスの穴を三つも空けている耳は装飾品のせいでキラキラと輝いている。彼を一言で表すのなら、チャラ男で正しいだろう。

 そんなチャラ男こと南雲にはもう一人連れがいた。言うまでも無くトキである。しかし、性格的には真反対に見える二人が連んでいると何の集まりなのか首を傾げたくなってしまう。実際には、ただの先輩と後輩なのだが。

「遅かったね。え、二人で待ち合わせしてたの?」

 違うんですよぉ、と南雲が大袈裟に肩を竦める。

「俺、霊符が尽きちゃったんで受付でミコちゃんの霊符を注文してたんですけど、今日混んでて。待ってる間に駐車場側の階段から上がって来たトキ先輩と会ったんですよ。もー、最近マジで忙しいっすよね」
「トキ、車で来たの? あれ、車なんて持ってたっけ?」
「先月に買った。金は腐る程あるからな。使う暇も無い事だし」

 命を張っている職業、除霊師。一応、公務員なので高給なのだ。
 と、南雲から霊符を手渡された。白い長方形の紙片には、うねうねとした文字が書き殴られている。ほんのりと墨の匂いがした。

「これ、差し入れです! トキ先輩から聞いたんすけど、ミコちゃんから忙しくなるってお告げされたんでしょ? 霊符尽きたら焦りますからね! 補充は大事ですよ!」
「あ、ありがと」

 自分は基本的に支給品である霊符しか持ち歩かないが、トキは背に細長い袋を背負っていた。丁度、剣道部が使う竹刀くらいの長さだ。南雲はというと、一見すると財布しか入っていなさそうな小さなポシェットを腰に巻いているが、その中に入っているのは恐らく財布ではない。

 久しぶりに顔を付き合わせた南雲の言葉は止まらない。彼は元来、お喋りな気質なのだ。

「もう、この頃、アプリ開く度に救援ルーム出来てて全然休む暇無いじゃないすか。ぶっちゃけ、俺って若いし? ヤングだし? 体力的には平気なんすけど、精神的に保たないっていうか。グロ系は行けるんすけど、じわじわくる心霊系ってマジ無理なんすよね」

 そう言った南雲の首もとでは赤いプレートが揺れている。言うまでも無く、彼もまた救援が主な仕事の赤札だ。

「おい、その下らない話はまだ続くのか? そっちの間抜けの駐車練習に付き合ってあまり寝ていない。本題に入らないのなら帰るぞ」
「えっ!? ミソギ先輩、車駐めらんないんすか? うっわ、それヤバイっすよ! 車庫だったら車が一発で凹みます!」
「取り敢えず、今凹んでるのは私の心かな。車なんて、もう一生運転しないわ」
「何? 貴様、昨日の私の苦労を無にする気か!?」

 まあまあ、と南雲が怒りの形相を浮かべたトキを押し留める。

「先輩達も積もる話があるのは分かったっす。今度、パーッと何か食べに行きましょうよ。で、そろそろ本題に入っていいすか?」
「お前を待ってたんだろうがッ!」

 グルルルル、と呻るトキ。彼は気が短いのだが、その気の短さは寿命を縮めかねない。彼には平静を保っていて貰わなければ。

「落ち着こう、トキ? 私も今の発言は「は?」って思ったけど、耐える事も大事だと思うの」
「え? 何すか何すか、ハングリーな感じっすか?」
「いや、アングリーね」
「あそっか。ハングリーなのは俺なんすよ! 話聞いて下さいよ、マジで! 俺これ解決しないと餓死か怪異に呪い殺されるかのチキンレースしか無いんすよ、ホントに!!」

 全く完璧なタイミングで南雲のお腹が盛大に鳴った。本人は腹の虫に恥じらいを覚えるどころか「ほらね! ヤバイっしょ!?」、と全く意に介していない様子だ。彼のメンタルはどうなっているのだろうか。

 それで毒気を抜かれたのか、脱力したようにトキが傍にあったソファに身を沈めた。

「で、本題を話せ。さっさとしろ、見ての通り暇じゃない」
「うっす。実は昨日の救援に行った時に、怪異を消滅させられなかったんすよ。ちょーっと俺だけじゃ厳しいかなと思って。先輩達に意見を聞こうって訳っす。というか、俺、粘着されてるんすよ、その怪異に。お陰様で昨日から水しか飲んでないんすよね」

 赤札である南雲の霊力上昇条件は「空腹である事」だ。粘着されているのならば、いつその怪異が襲って来るか分からないだろうし、食事を摂る事も出来ないのだろう。