07.
変に律儀なフェイロンを尻目に、数歩後退る。ダリルの事だから「いいから早くスライム駆除しようよ」、「珠希ちゃんに無茶させちゃ駄目だろ」、などと言ってくれると思っていたのだが、宛が外れた。何かの意趣返しだとしか思えない。
ニヤニヤと明らかに何か企んでいます、と言わんばかりの笑みを浮かべたコルネリアが躙り寄ってくる。その動きたるや、獲物を狙う猫のようだ。
怯えるなって、と恍惚とした表情の彼女は自身の頬に手を当てた。悩ましげな美女のようにも見えるが、その爪は毒々しい深紅。色のチョイスをミスっているとしか思えない自己主張の激しさに、くらりとした眩暈すら覚える。
「別に、スライムに腕を突っ込めだとか言ってる訳じゃ無いだろ。ただちょっと、お前お得意の超能力とやらで、あのスライムをぶちのめしてくれればいいんだから」
「そんな事出来る訳無いでしょ!フェイロンに頼んでよ!」
「アイツに頼むくらいなら、むしろあたしがさっさと始末するわ」
――聞く耳を持たないようだ。
もうここは、いっそ盛大に無理だという事を分からせた方がいいかもしれない。現代日本人の虚弱さをあまり舐めないで貰いたいものだ。
「じゃあ、やってみるから……出来なくても、私を責めないでよ!」
「あー、イイコイイコ。珠希ちゃんは良い子だなー」
―― ム カ つ く !
自称相棒を思いきり睨み付け、木に纏わり付く透明な物体に視線を移す。目を離していたから分かったが、それはナメクジよりも遅い歩みでだんだん木の上へ上へと進んでいるようだった。少しだけ位置がズレている。
平素、スプーンを曲げる時のように、しかしスライムとの距離が少しばかり空いているので狙いを定めるように手の平、指の先を対象へと向ける。
そこではたと気付いた。
フェイロンも似たような動作をする時がある。魔法を使用する時だ。つまり無意識的に取ったこの行動こそが中心点を定める、という行動なのかもしれない。
「珠希ちゃん?」
「あ、いや、何でも無いです」
意識をスライムへと戻す。自分でコイントスを提案したくせに、ダリルは少しだけ心配そうな顔で、視線を右往左往させていた。この人もこの人でほんの少しだけ癖のある人物なのだろう。
しかし、スライム駆除とは具体的にどうすればよいのか。
首を傾げつつも、木と自らの念力で押し潰すイメージを浮かべる。脳内で描いた光景通り、べちゃりと木に押し付けられたスライムは断裂され、地面に落ちた。
――のだが、2つに分裂したスライムは再び寄り添い合い、そして1つに戻ってしまった。不定形なので当然と言えば当然だが酷く釈然としない気分である。
痺れを切らしたフェイロンが、機嫌も悪く言い放った。
「核を破壊せねば、何度でも奴は復活するぞ」
「そんな情報、知らないんだけど……。核?どこに?」
「それだ。目玉にも見える、あの、黒い点粒」
それを見つけ出すのに予想以上の労力と時間を使ってしまった。当然だろう。
「いや、ちっさ!ほぼほぼ見えないじゃんこれ!」
「まあ、だからスライムの駆除は基本的に火を使うんだよ。全部燃やしてしまえば、核も何も無いからね」
暴論過ぎる。が、同時にそれが一番楽である事もよく分かった。これを棒で潰そうと言うのなら至難の業である。
目を凝らし過ぎて痛くなった目頭を揉む。
そんな人間の視力問題など露知らず、魔族コルネリアは嬉々としてその核を指さした。
「さあ、珠希、あれを破壊しろ!」
「簡単に言うけどね。人間の視力じゃ、あんなのずっと見てるだけで目が疲れるわ!」
「じゃあ、さっさとどうにかしなきゃならないな」
「コイツ……!」
ぶつぶつと文句を言いながらも、珠希は目を細めつつ、その核に狙いを定める。ノミか何かを潰すように、それを押し潰した。
プチッ、というどこか水分を感じさせる感触。
ピギィ、と鳴き声らしき声を漏らしたスライムが文字通り溶けて地面に吸い込まれて行った。あまりにも呆気ない最期を茫然と見送る。それと同時に、あんな姿形をしていたが立派な生き物であった事にも気付いてゲンナリした気分に陥った。
「何か……可哀相な事しちゃったな」
「いやいや、正気かい、珠希ちゃん。あんな水の塊に対して」
「何を言ってるんですか、ダリルさん。人間だって70%は水で出来てるんですよ。もうこれは水と言っても過言では無いじゃないですか。だったら、あの99%は水っぽいスライムだって私達と同じ生き物なんですよ……」
「えあっ!?スライムを通して人間について語るなんて、意外と高等テクニックだね!」
目を白黒させるダリル。今思えば、凶悪な物質で覆われている、という一点以外には特に害のない生き物だった。
フェイロンが本当にスライムの駆除に成功したのかを確かめに行っている傍ら、コルネリアは上機嫌だ。やっぱりあたしの見込み違いじゃなかった、などとほざいている。