第2話

14.


 それは人攫いと言うより、鷹が獲物をハントする作業に似ている。
 走り抜け様、フリオに腕を掴まれ立たされるという事も無く、襟首を掴まれた。獲物の事を一切考慮しない猛禽類のような荒々しさだ。

「ヒッ!?は、離して!」
「煩い騒ぐな喚くな、人間」

 そのまま連れ去られるわけにも行かないので、当然珠希は抵抗した。が、機械か何かのようにビクともしない上、すでに両足は地面から浮いている。これは本格的に攫われると確信したが、そんな焦る視界の中に襟首を掴んでいるフリオの手が入ってきた。
 ――この指、逆の方向に曲げたら脱出出来るのでは?
 我ながらグロテスク且つ人道外れた発想だが、人攫い相手にそんな事を考慮している場合ではない。スプーンが曲げられたんだ、人体の、それも末端部をへし折れないはずがない。
 ぐんっ、と変な遠心力が掛かってカエルが潰れたような声を上げる。ダリルの怒号とイーヴァの悲鳴じみた声が聞こえてくるが、混乱している頭では何を言っているかまで判断出来なかった。
 一度落ち着く為に息を吐き出し、視界を精一杯背後に向けて念じる。すでに自分を呼ぶ仲間の声は遠くなってきている、ここは森林だ。障害物が多いこの場所で、獣のような速さで走るコイツに他のみんなが追いつける保証は一切無い。
 失敗したらどうなるか分からない。
 背水の陣にも似た心境の中、祈る、念じる、人の不幸を。

「うっ!?」

 頭上から呻き声が聞こえたと思ったらミシミシッ、と骨が軋む音が聞こえてきた。さすがにスプーンや斧とは違う感触に一瞬だけ躊躇うも、それで十分だったらしい。瞬きの浮遊感の後、強かに背中を地面に打ち付ける。
 ――投げ出されたようだ。

「……人間風情が、魔法を使うのか……?」

 指ではなく腕を押さえたフリオが呟いた。当然、投げ出されたとは言ってもそう盛大に投げ飛ばされた訳ではなく、誘拐犯はほとんど目前に鎮座している。ここからどうやって逃げたものか。
 素早く飛び起き、不審者に遭遇した時のような気持ちで一歩、二歩と下がる。どちらへ行けばイーヴァ達に再会出来るのか、そこまで考える余裕すらない。

「どこへ行く気だ?魔法の効果は切れた、随分と拙い魔法を使うんだな」
「わ、私なんて、食べたってオイシクナイヨー」
「食べる?君は地面を這っているナメクジのような存在を食す趣味があるのか」

 フリオ曰く、人間はナメクジと同等の存在らしい。人に対する憎しみの度合いとか今教えられてもどうしようもないのだが。
 押さえていた腕を放し、珠希を掴んでいた手をグーパーと曲げ伸ばししたフリオがゆっくりとこちらへ一歩踏み出す。そこには強者の余裕が伺え、ついでに言うと獲物を確実に仕留めるという気概すら感じる程だ。
 ――どうにか会話を引き延ばして、誰か来るのを待った方が良い。
 女子高生如きがこの腕力お化けに殴り掛かったところで逆に押さえ付けられるのは自明の理。ならば、きっと、多分捜してくれているであろうイーヴァ達がここへまで追い付くのを待った方が建設的だ。

「な、何で私を狙うの!?あなた達に何かしたっけ?それともあれ、『女子高生なら誰でもよかった』とかいう嗜好なの!?」
「何だい、それは。というか、君のお喋りに付き合ってる暇は無いんだ。ルーニーとも落ち合わなければならないからね。あと、私は冥土の土産という言葉が嫌いだ。もし万が一、君を取り逃がした時に面倒な事になる」
「案外常識人なんだなあ……人類滅亡とかガチで企んでるっぽいけど……」

 ロイと会話している時から、ほんの少しの常識人ぶりを覗かせていたが、それがどうして人類滅亡を企むようになったのか。生き物って考える事が複雑だ。
 ざり、と再び躙り寄るように一歩フリオが歩み寄って来る。
 先程の魔法疑惑騒動で警戒されている事は分かった。分かった上で、珠希は態とらしく、ルーニーやフェイロンがやっていたように掌をパッとフリオへ向けた。怪訝そうな顔をした彼は歩みを止めただけでリアクションが無い。

「……張ったりなら、せめて疑似術式くらい編んだらどうだい?」

 深い溜息と共にもう一歩、間合いを詰められる。最早誘拐犯は目と鼻の先。手を伸ばせば指先が身体に触れる距離にいる。
 ――不意討ちで突き飛ばして、来た道を戻ろう!
 人間は繰り返す生き物だ。むしろ反撃して誘拐犯を狼狽えさせ、その隙に逃げ出すという作戦はカモミール村で会った仮面男にも使って、そして失敗している。しかし、女子高生の矮小な知識ではその程度の対策しか取れない、知識容量の少なさを顕著に示した行動だと言えるだろう。
 突き飛ばす、突き飛ばす、突き飛ばす――
 イメージトレーニングだけはしっかり終えた珠希は、フリオが再び間合いを詰めようと足を一歩踏み出した瞬間、渾身の力で地面を蹴った。
 そうだ、前回失敗したのは両手で押したからだ。今度はラグビー選手になった気分でタックルをかまそう。

「でりゃあああ!!」
「飛んで火にいる何とやら、だね」

 突っ込んで行った珠希を受け止めるように構えたフリオ、成る程これなら確かに飛んで火にいる夏の虫。自ら捕まりに行ったようなものだ、と気付いたのはタックルだろうが何だろうがビクともしない、フリオに頭突きして、そしてその身体が全く動かなくなってからだった。

「よし、あと、は……」

 刑事ドラマの犯人宜しく、珠希を取り押さえていたフリオの力が急激に緩む。不審に思いながらも、簡単に拘束を振り解いた珠希は少し走って逃げて、そして背後を振り返った。追って来られるのは困るのだが、来ないなら来ないでどうしたんだという気分が勝ったのだ。
 茫然とした顔で口元を押さえたフリオはこちらではなく、地面を見ている。口を覆った手の隙間から赤い液体がつうっ、と滑って地面に吸い込まれていった。

「えっ!?だ、大丈夫……?」

 恐る恐る尋ねてみたが、返事は無い。代わり、一瞬の間を置いてフリオが倒れ込んだ。膝を突いている様はどう見ても大丈夫ではないし、口を覆っている手と反対の手は先程珠希が頭突きした腹部辺りに添えられている。
 ――傷害罪、殺人未遂。
 そんな単語が脳裏を掠めた。いやいやいや、そんな馬鹿な。平気そうな顔してたじゃん、もしかして持病?