第5話

08.


 浮遊感、そして暗い所からいきなり明るい場所へ来た時特有の眩しさに目を細める。風を切る音が焦りを助長させるが、風圧で上手く体勢を入れ替えられない。
 この速度で落下していれば流石に口を開くも何も無いが、討伐対象の全容は明らかになった。
 人と同じくらいの大きさの巨大な鳥。それが無数に飛び回っている。
 トワイライト・マウンテンは細長い鍾乳洞を逆向きにしたように切り立った山が立ち並んでおり、それは無数の針山にも見えた。つまり、最初に着地したのはこの1本1本の針の間。相変わらず夕暮れの国特有の茜色の空なので、斜めから差し込んだ光は針の間全てに光を届けるには足りない。
 ――一度、初期地点に戻ろう。
 このままでは討伐も何もあったものじゃないので、独断と偏見で元の場所へ移動する。

「うっぷ……。もっと優しく出来ないわけ?」
「ええ、ごめん……。乗り物酔いとかする感じなの、イザークさん」
「いや、それ以前の問題でしょ。これ」

 それにしても、先程の光景は完全に人智を越えたものだった。夕暮れの国自体が人の住める環境ではないが、それにしたって次元が違う。
 真っ暗闇の中でイザークさんが思案するように唸り、そしてこう結論した。

「君さ、あの鳥の背に着地出来ないわけ?背中に乗って、仕留めて、そのままギルドへ戻れば良いと思ったんだけど」
「えー、ラグがあるからやってみないと分からない。大丈夫?吐いたりしない?」
「……じゃあ、それやってみようか」

 一瞬の間は私を不安にさせるに足るものだったが、敢えて気付かないフリをした。ここでつべこべ言ってはいつまで経っても依頼が終わらない。

「よし、移動するよ!」

 返事は無かった。
 巨鳥の背をイメージする。と言っても、人間2人が乗るには狭すぎるので恐らく背中に着地した瞬間、鳥を巻き込んで落下する事になるだろう。タイミングが命取りだ。
 僅かなラグの後、身体を浮遊感が襲う。
 目の前には白い羽毛を纏った巨鳥の背が見えた。
 ――が、それもやはり刹那だった。イザークさんが手にした大剣を突き立てるよりずっと早く自由落下が始まり、それに巻き込まれた巨大な肉食鳥は耳障りな悲鳴を上げる。その声に釣られたのか、元より仲間を呼ぶ為の雄叫びだったのか、近くを飛んでいたモンスターが大きく旋回。こちらへ一直線に向かって来る。
 迷わず撤退を選んだ私は、先程イザークさんから苦言を呈されたのも忘れ、荒々しく初期地点へ戻った。再び視界が闇に閉ざされる。

「あのさぁ……あのさ。いい加減、目が光に慣れないし、何より三半規管が限界を訴えてるんだけど」
「でもメッチャ向かって来てたよ、モンスター」
「1羽仕留めれば良いんだから、あのまま僕がモンスターを討伐したらそのままギルドへ戻れば良かったんだよ」
「えー、あの風圧の中でそんな大きな剣、振るえるの?」
「それは……何とかなるでしょ。多分」

 良く理解した。今撤退していなければ、今頃鳥の餌になっていた。常日頃からササミを食べまくっている人間への鉄槌だろう。

「分かった、モンスターの真上に移動場所を設定するから駄目なんだよ!直に背中に移動すれば、イザークさんもスムーズに事を運べるんじゃない?」
「君の能力の事は僕にも分からないよ。出来るのなら初めからそうしてくれる?」

 後何回、失敗出来るだろうか。イザークさんの毒舌にも心なしかキレが無いし、実は結構参っているのかもしれない。
 頑張って次で成功させよう――

「じゃあ、2回目、行ってみようか」

 暗いのでイザークさんの反応は分からなかったが、その微妙な空気からして明らかに歓迎している感じではない。本当に次で終わらせないと、大変な事になりそうだ。
 意識を集中する。
 今回ばかりは適当な事はやっていられない。何せ、この肩には自分と、そしてイザークさんの命運が懸かっているのだ。
 溜めに溜め、ここだ、という謎のタイミングで技能を発動させる。
 再び景色が雲の立ちこめる高度まで変わった。私の両手には羽毛の感触がある。落ち葉のようにクルクルと回転しながらも、しっかりモンスターの背に着地したのだ。
 イザークさんが激しい空気抵抗の中、大剣を鳥の背に突き立てる。多分、イザークさんのギフト技能の中には筋力を高める系の技能が混ざっているのだろう。とても人間とは思えない力だが、それなら説明が着く。

 ***

 数十分後。依頼終了報告を無事に完了した私は、ぐったりとギルドのカウンターに突っ伏していた。同じく、背後の丸テーブルでは乗り物酔いで介抱されるイザークさんの姿がある。彼の師であるエーベルハルトさんも同じ机に腰掛けているが、大変楽しそうだ。

「ミソラ、やったわね。『空中歩行』、習得したよ」
「マジですか!?や、やったー!今週ずっとこの調子だったら、流石に心折れて移動費0の傷心旅行に繰り出してましたよ!」
「フェリアスも、ミソラはそろそろバックレるって言ってた」
「私の信用なっ!」

 ははは、とギルドメンバーを全く信頼していないフェリアスさんが他人事のように笑う。

「やっぱり、人間追い詰められると本来以上の力を発揮するものだね。ミソラは叱って伸ばすタイプらしい」
「いや、誉めたらその倍は頑張りますよ。怒られるのは嫌いですって、ホント」

 背後でイザークさんが「胡散臭い奴め……」、とボヤいていたが今回ばかりは全面的に同意だったので心中で賛同の意を示しておいた。
 忘れているようだが、とアレクシアさんと一緒に座っていたラルフさんが困ったように言葉を紡ぐ。

「ミソラ、本番は水嶺迷宮の探索だ。今回の事なんて、まだまだ序の口だぞ」
「そ、そうですけど……えぇっと、その、ら、ラルフさんがいれば……大丈夫かなって……」
「何だって?時々、そうやって声が小さくなるのは何なんだ」

 何でも無いです、と再び机に突っ伏す私を見てアレクシアさんが笑っているのが分かる。チクショー笑えよ、好きなだけ!
 取り敢えず、少し休憩したら家に戻ろう。
 そう固く決意し、私は目を閉じた。転た寝だ、転た寝。不貞寝とも言うが。