「ねぇちょっと、悠那ちゃん!」
「え、どうしましたか先輩・・・」
今日はお菓子作りの日だった。ので、家研部員達はあくせく働き、今やすでにマドレーヌの甘い匂いが調理室に漂っていた。そんな中、少し怒ったような調子で話し掛けて来た檜垣玲璃に神埼悠那は首を傾げた。
彼女が怒っている所はほとんど見掛けない。それは多分、温厚だからではなく――怒るのが面倒だからだろうが、とにかく彼女の沸点は高い。そうそう声を荒げる事も無いはずだ。
「わ、わわわ私があげるから、駄目だからね、絶対に」
「えぇっと・・・何の話をしているのかまるで分からないんですけど・・・」
「え・・・お菓子の話だけど・・・?」
何の脈絡も無くそう言われた挙げ句、何を言っているんだこの子は、という目で見られる。これが先輩じゃなかったら一発ぐらい殴っているところだ。
しかし、悠那は根気強かった。ので、もう一度分かり易く訊いてみる。気分はまさに保育士。
「すいません、先輩。あの、主語が抜けてるっていうか・・・よく意味が分からないので、もっと噛み砕いて説明してくださいませんか?」
「いやだから・・・草薙に!・・・・を!あげるのは・・・」
「あ、はい結構ですよく分かりました続きはいいです」
訳――草薙人志に作ったマドレーヌを渡すのは私だぜ。
本人の前では堂々としているのに、こうして周囲にカノジョアピールする時だけは照れる先輩は実に可愛いと思うが何故にそれを自分に言うのかはまるで理解出来ない。
部員全員で『乙女モード』と呼び、檜垣先輩の同学年方はその状態時が一番可愛いと言うが、その『可愛い』状態を彼氏の前で発揮出来ないのがネックである。
「それで・・・何でそれを私に言うんですか?」
「えっ!?だって悠那ちゃん、うちでお菓子作り一番上手だし・・・草薙は美味しければ誰のでも食べるし・・・」
――何それ意味分からない。
開いた口がふさがらない、とはこの事を言うのだろう。よく見ればもじもじ乙女モードの瞳にゆらゆらと揺れる嫉妬の炎。おいおい、昼ドラか。セルフ昼ドラ。巻き込まれた側にしてみれば迷惑なことこの上ない。
普段は頼りになり過ぎて逆に心配な彼女がこうも取り乱す姿を見ていると、恋って偉大だなと思うが自分にはまだ早過ぎる上、そういう相手がいない事を思い知らされる。
「えっとですね・・・私、そんなつもりは微塵も無いんで全然心配しなくていいです、はい・・・」
「そうだよね!ちょっと最近神経質で・・・ゴメンね悠那ちゃん」
「いえいえ・・・」
まるでスキップでも始めそうなテンションの先輩を見送り、やれやれと悠那は溜息を吐いた。日本の縦社会恐い。