第5話 浮き草達の掟

12.ビエラさんの前職


 何とは無しに2人を見送り、振り返った瞬間、今度は別の誰かにぶつかりそうになった。さっきのサディアスと呼ばれていた彼程では無いにしろ、背が決して高い訳では無い私は成人男性に立ち塞がられると目線が大体肩ぐらいになってしまうのだ。

「うわっ!」
「アイツ等、俺に用だったかな」
「はあ?」

 衝突を寸前で回避したが、ぶつかられかけた男の方はというと呑気にそんな事を呟いていた。何なんだ、この無礼者は。見上げてすぐに何故こんなに馴れ馴れしく世間話をおっ始めようとしたか理解した。

「……オスカーさん、どうしてここに」
「それはこっちの台詞なんだがな。まさか、ケーキ屋の店員がギルドへかちこみとは……。意外と過激派だったんだな」
「どっ、どこから見てたんですか」
「最初から最後まで」

 ――居たのなら声を掛けろよ、声を。
 心中での呟きがあまりにも顔に出ていたせいだろうか。オスカーさんはやや顔をしかめ首を横に振った。

「お前と一緒に居た猪娘。アイツに俺まで殴られたら怪我じゃ済まねぇだろうが」
「否定は出来ませんけどね。オスカーさん、出で立ちがアレな感じだし。で、オスカーさんに用事って、さっきの奇跡狩りの人達ですか? あなたはどうしてここに?」
「質問が多いな。俺はクエストを受けにギルドへ来ていたが、そこでさっきの連中と会った。シリザンの森にはお前のせいでそこそこ行くから、話を聞かせろって話だよ」
「ふぅん……」
「そこ、疑う所じゃねぇぞ」

 仕方ない。彼は存在がやや疑わしいし、本人は割と良い人であるにも関わらず、格好付けているのか何なのか怪しげな空気が拭えないのだ。
 かなり失礼な事を考えていたが、オスカーさんには伝わらなかったらしい。涼しげな顔で未だにマスター・ブレヒトと何事かを話しているビエラさんに視線を移している。

「お前、アイツと同僚だったな」
「ビエラさんですか? 確かに、同じ店で働く仲間ですけど」
「ビエラ・ハルヴァートヴァー。かつてはミスト支部の看板メンバーだった」
「……そうなんですか?」
「1年前に失踪したがな。過労死とか噂されてたが、ケーキ屋に転職しただけだったか」

 つまりブレヒトとビエラさんは、かつての上司と部下なのか。それは積もる話もあるというものだ。というか――

「……過労死?」
「ミスト支部は過労死者を出す、珍しいタイプのギルドだ。まあ、問題になっているからそのうち今のマスターは辞めさせられそうだが。ただ、稼ぎの良いギルドとしても名を馳せてはいる。難しいところだな。クエスト処理率は近辺じゃ一番だし」

 そうなのか。ギルドなぞ利用しないので知らなかった。そういえば、浮き草村にまで出張して来ていたようだが、多忙な業務の合間に足を運んだのだろうか。そうであれば失笑ものだが。

「そんな事があったんですか……。うちも限り無くブラックに近いグレー経営だとは思いますけど……」

 ただスイーツ工房で過労死する事は恐らく無い。割と緩く、疲れて一人欠けた程度では特に問題も無いからだ。強いて言うならば、私が急な休暇を取ると交通が凍ってしまうくらいで。

「エレイン、貸しな?」
「何でもかんでも貸しにしますよね」
「取り敢えず、俺は今日の宿に帰るとするかな。奇跡狩りの連中もどっか行っちまったし」

 肩を竦めるオスカーさんだったが、何故さっき名乗り出なかったのだろうか。完全に忘れていたのでは? そこはかとなく漂う自業自得感。
 何か言ってやろうとしたが、ビエラさんに呼ばれたので我に返る。
 再びオスカーさんが居た場所に目をやったが、その場から彼は居なくなっていた。いつもの通り、神出鬼没である。

「彼は送って行かなくて良いのですか?」
「オスカーさんですか? 何か、前までビエラさんって、あの人に厳しい感じありましたけど」
「いえ、そこそこまともな方なので。居ないのならいいのです。帰りましょう、店へ」
「了解!」

 ***

 ミスト支部から撤退し、スイーツ工房へ戻って来た。丁度、店長は奥に篭もり、何故か他の仲間も居なかったので先程オスカーさんに聞いた話の真偽を確かめてみる事にする。

「そういえば、オスカーさんがビエラさんはミスト支部の看板メンバーだったって言ってましたけど」
「ええ。それは事実です」
「どうして辞めちゃったんですか? 向いてないって事じゃないでしょう?」

 ギルドの看板なんてそうそう名乗れるものではない。それだけギルドに貢献しているのだから、それなりのオプションも着けて貰っていたはずだ。ビエラさんはふ、と僅かに口角を釣り上げた。

「あの頃は毎日毎日、労働するのが当然だと思っていました。しかし、そんな事は無かった。私と一緒に働いていた仲間がギルドを辞めた時に気付いたのです」
「辞めた?」
「ええ。過労で倒れて、我に返ったのだと思います。何の為にギルドで働いているのか、と。だから私はギルドを辞めました。もっと他にやりたい事があったはずだと思って」
「それでケーキ屋に?」
「はい」

 ビエラさんが僅かに微笑んだ。目を眇め、いつもの鉄面皮が嘘のように控え目にだ。

「私、実は可愛い物が好きなのです。なので工房で働こうと声を掛けて下さった店長には本当に感謝しています」

 今日はビエラさんの思わぬ一面を垣間見た1日だった。貴重すぎる彼女の微笑みにどぎまぎしつつ、私は空いている席に腰を掛け、深々と息を吐き出す。今日は長い1日だった、本当に。