第5話 浮き草達の掟

10.ミュールの人質ライフ


 しかし、マスター・ブレヒトの誤算は恐らくただ一つ。
 今、彼へと殴り掛かったミハナは子供が大人にじゃれつくくらいの力だったのであって、同じ威力の攻撃を変わらず連打出来るという事だろう。

「オラァ! ミュール返せコラァ!!」

 立ち上がったブレヒトへ、ミハナが再び殴り掛かる。真っ直ぐ突き出された拳は彼が緊急回避行動を取った事で、背後にあった関係者入り口に突き刺さった。破壊の代名詞じみた破壊音が響き、入り口の床が抜ける。
 それを冷静に見ていたビエラさんが不意に呟いた。なお、戦っていたギルド員はいつの間にか地に伏している。

「まずいですね。彼女、マスター・ブレヒトが思いの外頑丈だったせいで滅茶苦茶しています」
「そ、そうですね。確かに……!」
「エレイン、とにかく先にミュールさんを取り戻して来て下さい。このままではミハナさんの攻撃に巻き込まれて死亡してしまう恐れがあります」
「いやそっちィッ!?」

 ミハナがマスター・ブレヒトを殺害する前に止めよう、という言葉を期待していたが彼女の心配はミュールさんのようだった。最初から思ってたけど、ビエラさんミスト支部に対して冷たくない?
 しかし、彼女の言い分も最も。まさかミュールさんを救出に来といて、味方の攻撃で亡き者になりました、だなんて全く笑えない。
 幸い、ミハナとブレヒトの戦闘はジリジリと移動し、ロビーの広い場所にまで来ている。今のうちにミュールさんを助けに行った方が良いだろう。

「ビエラさん、ちょっと行って来ます。ミハナの事、見張ってて下さい!」
「ええ。マスターが彼女に手を挙げそうになったら、この拳でブチ抜きます」
「そっちじゃないんだよなあ、さっきから……」

 ミハナとブレヒトに気を取られて誰も見ていないのを良い事に、関係者入り口へ跳ぶ。パッと見た感じ、誰もいない。

「ミュールさーん! 居ますかー!!」

 がたん、と奥から物音がした。続いて覗く、気の弱そうな顔の女性。間違い無い、控え目な自己主張が得意なミュールさんだ。

「え、エレイン……!」
「ミュールさん、助けに来ましたよ!」
「何だか、外が……騒がしいけど。どうしたの?」
「ミハナが――」

 ヒッ、とあからさまに怯えて息を呑んだミュールさんは恐れを含んだ双眸で部屋の外を見ている。元々、争いが嫌いなタチである彼女はミハナの暴力的さも苦手だ。
 案の定、生まれたての子山羊のように震えているミュールさんは頭を抱えて懇願する。

「え、エレイン……わ、私を村まで送って、欲しい……!!」
「そうなんですけど、ミハナを落ち着かせる為に一度だけギルドに顔を出して貰っていいですか? 私達、特に証拠も無くギルドへかちこみに来ちゃって。このままミュールさんを村へ返すとただのギルド破りになっちゃいます」
「えぇ?」

 分かり易く困惑の表情を浮かべるミュールさん。私も今、口に出して気付いたがこれって相当に無茶苦茶な理由じゃなかろうか。出来るだけ穏便に事を済ませようとしていたはずなのに、どうしてこうなった?
 私の疑問を余所に、ミュールさんは憂いのある顔をする。そりゃそうだ。浮き草では珍しい非戦闘主義なのだから。

「エレインも、結構、粗暴なところ……あるよね」
「いやまあ、私もミハナも魔物世代ですからね。良識なんて持っていても生き残れませんし。さ、来て下さいミュールさん!」
「ううん……」

 嫌そうな顔をしたミュールさんを半ば引き摺るように立たせる。

「ミュールさんを誘拐したのって、結局マスター・ブレヒトで合ってるんですか?」
「うん……。私が、外で薬草の調達をしていたら、急に来て……」
「うわあ。何か酷い目とか遭ってないですよね?」
「うん。夕飯が美味しかった」

 ――もてなされてんじゃねーよ!!
 意外と快適な人質ライフを送っていたようだ。
 ともあれ、ミュールさんを連れてギルドの出入り口に跳ぶ。何かあった時、すぐに彼女を外へ逃がせるようにだ。
 しかし、続いて広がる光景に私は言葉を失った。

 倒れているマスター・ブレヒト。その胸ぐらを掴んだミハナが激しく揺さ振り、ミュールさんの行方を鬼の形相で尋ねている。地獄絵図。

「み、ミハナ! ミュールさん、見つかったから!! それ以上はマズイよマズイ!!」

 半壊したギルド。ゴロツキ達の屍。まさに死屍累々。
 当本人のミハナはと言うとこちらを見るや否や、パッと笑みを浮かべた。それと連動するかのようにブレヒトの胸ぐらを手放す。

「あっ! ミュール、無事で良かった! 何か酷い事とか……されてない?」

 裏のある言葉だと思った。これでミュールさんが泣き言を漏らそうものなら、折角開放されたマスターは再び窮地に立たされる事となるだろう。
 空気を読むのが得意な彼女は小さく悲鳴を上げると、首を縦に振った。

「そっか……。ミュールの仇、ここで討つ!!」
「えっ!? あ、いや、ちがっ――」

 何か酷い事をされました、と受け取ったらしいミハナは再び拳を握りしめる。しかし、勘違い過ぎるので流石に止めた。何故かミハナとビエラさんは若干不満そうだったが、アレな理由が飛び出しそうだったので訳は訊かないでおいた。