第5話 浮き草達の掟

09.マスター・ブレヒト


 ――いや、一緒になって見てる場合じゃない。早くミュールさんを救出しないと。
 現状、彼女は争いの根源。ミュールさんが戻って来るまでミハナは暴れるだろうし、私が出来る事は圧倒的被害者である彼女を早々に救出する事だ。ギルド員の様子を見ていても彼女がここに居るのは明白。

「首尾はどうですか?」

 私達の速度に付いて来られなかったビエラさんが悠々と登場した。俄にギルド内部が湧く。まだ仲間が居たのか、と悪態を吐く者までいた。完全に悪者扱いだが、一概に否定出来ないのが悲しい。

「ビエラさん、私、ミュールさんを取り返して来ます! どう見てもミスト支部にいるみたいな反応だったので――」
「お待ち下さい。出て来ましたよ、支部のマスターが」
「えっ」

 昨日は村を訪れたと話題のミスト支部、ギルドマスター・ブレヒト。その人物はギルドの関係者出入り口からゆらりと姿を現した。
 目のぎょろっとした中年男性で、屈強な体付きをしている。ここはギルドではなく盗賊のアジトだったかな? と錯覚してしまいそうな粗野な風体。とても組織を管理する立場の人間には見えない。
 とはいえ、彼もギルドを背負う身の上。人を見た目で判断するのは愚かだ。

「あっ、あなたがマスターのブレヒトさんですね!」

 ミハナが余計な事を言い出す前に声を張り上げる。ギルド員はミハナへと今にも襲い掛からんばかりの空気を醸し出してはいるが、自分達のドンが出て来たせいか静まり返っていた。
 一方で私の問いを受けたブレヒトは重々しく頷いた。

「いかにも。お前達は依頼人ではないようだが……ミスト支部へ何の用かな?」
「白々しい事を! ミュールを返せ、つってんだよ!」
「さて、何の事やら。知らんな。ところで、随分とギルドの内部を破壊してくれたようだが、それはどうする? 被害費用の総額は幾らくらいだろうか」

 ミハナが苛立ったように地団駄を踏んだ。バキッ、とギルドの床板が真っ二つに割れる。世界一暴力的な地団駄だったと言えるだろう。
 まずいな、この人、シラを切る気だ。あくまでミュールさんを攫ったという事実を認めないつもりらしい。しかもミハナが先に手を出している。このままミュールさんが見つからないと、ただギルドへ私怨で殴り込みに行ったという状況になってしまう。

 ブレヒトは不敵な笑みを浮かべる。

「これは酷いな。何もしていないギルドのメンバーまで殴り倒したのか。この始末、どうつけよう? そうだな……一生タダ働き、というのはどうだろうか。何、住めば都と言う。ギルドでの生活もその内慣れるさ」
「ん? それは私に言ってるわけ?」
「ああ、そうだとも。随分と良い技能を持っているようだな」

 ブレヒトの視線はミハナへと注がれている。なるほどね、と状況を理解したミハナがこちらもやはり不敵な笑みを浮かべた。

「死人に口なし。エレイン、こいつはもう、殴り殺そう! 大丈夫、私達の細腕でギルドのマスターを殴り殺せるなんて誰も思わないって!」
「犯罪なんだよなぁ……。駄目だって、ミハナ。私がミュールさんを捜して来るから! 足止めよろしく!」

 ――ミハナがいるし、負ける事は無い。ただ心配なのは、頭に血を上らせた彼女がうっかりで人を殺してしまう事だけだ。
 エレイン、と再びビエラさんが口を開く。

「先程、ブレヒトが出て来たあのドア。ミュールさんがいらっしゃるのなら、そのドアの向こう側です。彼が不在の今、あの部屋にはギルド員など居ないでしょう」
「分かりました! 行って来ます!」
「もし誰かいたら、私の事を連れに来て下さい。同行致します」

 言うが早いか、ビエラさんはぶつぶつと何かを唱え始めた。魔法には詳しくないのでよく分からないが、多分、第六冠くらいの付与魔法だろう。ビエラさん自身はパワーファイター型なので付与魔法と相性が良い。

「行くぞオラァッ!!」

 気合いの入りすぎたミハナの声。見れば、彼女はすでにブレヒトへと躍りかかっていた。まずい、このままあの薄いドアの向こう側へ行ってしまえば彼女に殴られたブレヒトが飛んで来かねない。
 思わず使用しかけた技能をキャンセルする。
 案の定、信じられない速度でブレヒトの正面に躍り出たミハナはその拳を突き出した。決して速くは無いのだが、殺人的な威力を伴ったそれを。大丈夫か? 思いっきり拳握りしめてたけど、これうっかり殺しちゃったんじゃ……。

 ビエラさんに判断を仰ごうとしたが、彼女は彼女で既に別のギルド員と交戦中だった。流石、シリザンの森で散々魔物をしばいているだけあって人間の相手など何のその。危なげなく距離を取ったり、孤立した者を攻撃したりと堅実に戦っている。
 話し掛けられる状況じゃ無さそう。

「み、ミハナ……! それは死んじゃってるんじゃ……!!」
「いや、大丈夫! まだ行けそう!!」

 ――え、何が?
 意味不明な彼女の言葉の真意は直ぐに判明した。自ら関係者用出入り口を破壊してしまったブレヒトが素早く立ち上がる。よくもまあ、あのほぼ一撃必殺の拳を喰らっておいてケロッとしたものだ。
 よくよく見てみると周囲に光の粒子が舞っているのが分かる。どうやら、防御系の技能を持っていたか、或いは第四冠相当の結界魔法を使用していたのだろう。伊達にマスターをやっている訳じゃないようだ。