第4話 有望な人材と現実

02.ケーキ屋と掃除屋の違いについて


 ***

「おはようございまーす!」

 スイーツ工房の中へ移動した私は声を張り上げた。5分の遅刻だが、この程度なら小言を言われる事も無いだろう。店内に誰もいないなと周囲を見回していると、キッチンから店長が顔を覗かせた。

「おはよう。店の前の掃除を頼む」
「了解でーす。今日は誰がいるんですか?」
「クリフとビエラがいる」

 彼等は店内にいないが、店長が外掃除を命じたのなら多分外にいるのだろう。今日は掃除をしたい日なのだろうか。それとも、魔物の襲撃で店の前が汚れてしまったのだろうか。
 前者であって欲しいなと願いながら、箒とちりとりを持って店の外へ出る。予想通り、クリフくんとビエラさんがテキパキと掃き掃除をこなしていた。あれ、これ私要らなくね?

「おはようございます。手伝いますよ」
「おはようございます」

 短く答えたビエラさんがスッと店の一角を指さした。私は素直にその指示に従う。クリフくんは若干店から遠い場所を掃除していた。

「ビエラさんは、いつも何時くらいに店に来てるんですか?」
「午前8時です」

 はっや! 8時、つったらまだ夢の中だ。しかもビエラさんは私と違って徒歩。一体何時起きなのだろうか。彼女の生活が心配である。

「それってかなり早起きしなきゃいけないですよね? 店長と相談して、出勤時間を変えて貰うっていうのはどうですか?」
「いえ、朝は7時起きですので。苦ではありません。前の職場では徹夜など普通、酷い時は泊まり込んだりもしていました。今の仕事は毎日帰宅出来る上、帰りは貴方に送って貰えるのだからとても良いですよ」
「前職場の過酷さが気になって仕方ないんですけど」

 前々から思っていたが、ビエラさんはやや社畜戦士じみた一面があると思う。もっと自由に生きればいいのに、何が彼女を駆り立てるのだろうか。
 恐々としていると、クリフくんから呼ばれた。

「エレイン」
「はーい、何?」
「昨日、お前が帰った後に配達の電話があった。スツルツ支部のチェチーリアだ。開店したら冷蔵庫に入っている箱を持って、先に配達しろ」
「チェチーリアさん? ああ、あのウサギの。結構愉快な人だったなあ」
「はあ? あっちもお前の事を随分と愉快な人間だと思っているだろう。今更何を」

 何故彼は口を開けば喧嘩を売ってくるのだろうか。
 まあいい。私の海より深く、スツルツ平原より広い心に免じて許してやろう。二度は無いと思え。
 とにかく、掃除を終えたらまずはスツルツへ行けばいいのか。

「――おや」

 不意にビエラさんが手を止めて頭上を見上げた。釣られて私も空を見上げる。

「え? どうかしましたか?」
「いえ、今、魔物の影のようなものが掃いている地面を過ぎったので」
「ビエラさんどんな視力してんですか?」
「戦場では一瞬の油断が命取りですよ」
「ケーキ屋のバイトなんだよなあ……」

 ビエラさんが神経質なんじゃないですか、と話を終えようとした矢先だった。今度は私にも捉えられる程に大きな影がつーっと過ぎって行ったのは。
 シリザンの森だし、魔物がいて当然なのだが何か腑に落ちない。酷いデジャブを覚える――

「おい、そっちに行ったぞ!」

 苛立ったようなクリフくんの声が耳朶を打った瞬間、鮮やかな黄色の嘴が一直線上に落ちて来た。急な事に反応が遅れた、と思えば腹回りにぐっと圧力が掛かる。更に視界が上下に揺れ動いた。

「ぐぅっ……!!」
「無事ですか」

 私を小脇に抱えて店の屋根の下へと撤退したビエラさんが淡々と抑揚無く訊ねる。私はそれに、うんうんと頷いた。朝食べた物が迫り上がって来そうな感覚を必死に抑える。

「あ、ありがとう、ございます……」
「珍しい色をした怪鳥ですね。何故か我々を狙っているようですし、処理します」
「鳥、ですか。撃ち落としますよ?」
「……いいえ。彼がやってくれるようです」

 指さされた先を見やれば、クリフくんが魔法をすでに展開していた。バチバチ、と凶暴な電気の爆ぜる音が聞こえて来る。魔法であの怪鳥を撃ち落とす気か。
 私は空を見上げた。
 その怪鳥は、朝、村で退治した魔物と瓜二つだ。

「あれ、あの魔物――」

 溢した言葉はクリフくんが発動させた雷魔法の轟音で掻き消される。弾丸のような速度で射出された、ボールのような電気の塊は見事、怪鳥に着弾。眩しい光を撒き散らして爆ぜる。
 度を超えた電力を真正面から浴びたせいか、ぎこちない動きになった怪鳥がそれでも翼をはためかせながら落下。ビエラさんが目を眇めた。

「仕損じましたね。息の根を止めてきます」
「……あれ。おかしいな、私ってケーキ屋のアルバイトをやってるんですよね?」
「? 何を今更」

 疑問そうな顔をしたビエラさんはいつの間にかその両手にゴツイ手甲を装備して、落ちて来た怪鳥へと小走りで近寄って行った。うちのバイトメンバーは魔物狩りが優秀過ぎやしないか。職業を間違っているとしか思えないのだが。

「チッ、一撃とはいかなかったか」
「トドメを刺せる魔法を撃つべきです。逃げられていれば厄介でした」
「悪い」

 ――うん、やっぱりケーキ屋の会話じゃないわこれ。
 ビエラさんとクリフくんのやり取りを見て、私はぐったりと頭を抱えた。平和、平穏、静寂、今の世の中とは無縁の言葉達の事を考えながら。