01.村の新婚夫婦
その日の災難は出勤前から始まっていたのだと今となってはそう思う。
***
ばっちりと髪を結わえ、粗がない事を確認した私は出掛ける事をご近所さんに伝えようと天幕を出た。大自然の匂いが鼻を掠める。
朝9時だが、すでに村の住人達は活動を開始していた。朝食でも作っているのだろうか、大人数用の鍋で何かを煮込む者や家畜に餌をやる者など様々だ。この大草原の真ん中で放し飼いにされている羊が軽快なリズムで走ってきた。何故か懐かれているようなので、頭を撫でる。
「おはようございます」
近所に挨拶しながらぼんやりとテントが配置されている敷地内を歩き回るも、特に目新しい物は無い。シリザンの森、ひいては王都まで行くので買い出しを請け負うつもりだったが特に必要な物は無いようだった。
鳥の鳴き声が聞こえる。大自然のど真ん中なので当然と言えば当然だが、いやにその声が近い気がして私は空を見上げた。
「んあ!? 魔物、魔物来てるよおばさん!」
「誰がおばさんだって」
近場にいた誰かに話し掛けたら思いの外瑞々しいフレッシュな声が返って来た。ぎょっとしてそちらを見ると、最近結婚したばかりのロヴィーサさんがこちらを見ている。ただただ無感情な視線に背筋が凍り付いた。何でそんな、虚無の塊みたいな目をしてるんだろ、この人。
ロヴィーサさんは典型的な獣人だ。黄色の下地に黒い斑点模様の付いた耳をぱたりと動かし、自身の天幕に視線を移す。
「魔物。見ての通り、あたしは忙しいから任せる」
「ああ」
のっそり、天幕から出て来たのはまたも獣人、ドグラスさんだ。奥さんであるロヴィーサさんと似た毛並みをしているが、圧倒的に何かが違う、そんな風体。良い体格のドグラスさんはぼんやりと頭上を見上げた。
「ロヴィーサ、ミハナはいないのか」
「今日は帰ってない」
「お前、あれに俺の手が届くと思ったのか? エレインにやらせろ」
「エレインは今から仕事よ」
ロヴィーサさん同様、感情の無い目でこちらを一瞥してきたドグラスさんは頭を振って肩を竦めた。
――今更だけど、凄く申し訳無い気持ちだ。
仕事前に働くのは嫌だけれど、村は小さな共同体。ご近所さんは近所と言うより家族だし、このご時世村住みなんてみんな家族だ。身を寄せ合って助け合い、生きている。
戦闘能力が無い者は家事を、戦う力がある者は狩りと魔物からの防衛を。適材適所、一切の無駄なく運営されている村の一員である事は私も変わり無い。
「行って来ますよ、私。まあ、うちのバイト先は身内っぽいところありますから。多少遅刻したくらいじゃ誰も何も言いませんよ。多分」
クリフくんが居たらネチネチ煩いのだが、まあ、今日はいないだろう。恐らく。きっと、多分。
「じゃ、行って来ます!」
改めて飛来している鳥の魔物を見上げる。随分とカラフルな鳥、怪鳥だ。大きく翼を広げれば大きいサイズの猛禽類より遥かに巨大。緑色の羽毛に、首回りに赤い羽根が散りばめられ、更に翼の内側は黄色。カラフルが過ぎるし、何に適用してそんな配色になったのだろうか、疑問だ。
ともあれ、まずは物置へ移動する。ほぼ私の為に作られたと言っても過言では無いそのスペースには錆び付いた刃物や折れた木材や鉄材、中程から折れた槍など道具としては使えない物ばかりが収納されている。
結構大きな魔物だったし、1つ2つ突き刺した程度では落下しないかもしれない。木材を両手に1本ずつ装備。
瞬間、私は魔物の背に移った。手に持っていた木材達が、鳥の体内に突き刺さる形で出現する。この方法を発見したのは友人のミハナだが、割と有用だ。
何が起きたのか分からず、怪鳥が悶絶し激しく揺れる。叩き落とされる前に、下で見ていたロヴィーサさん達の元へ移動した。
「どうですか? もう落ちそうですか――え」
空を見上げて絶句した。怪鳥が暴れながら落ちて来る。この、村の、真上に。ギョッとして息を呑んでいるうちに、ドグラスさんが動いた。地面を強く蹴り、跳躍する。天幕の天辺程度にまで軽々とジャンプした彼は、そのまま降って来た怪鳥の腹辺りを押し返してボールでも弾くかのように村の外へと怪鳥を弾いた。
流石は獣人、腕力が凄まじいというか、身体能力が本当に高い。
思わぬ自らの失態に心臓をバクバクと慣らしていると、華麗に着地したドグラスさんがのろのろとこちらを見た。
「落とす場所は考えろ」
「あっはい」
多くを語らない男、ドグラス。あんなもの落下して来ていたら天幕が2つ、3つは潰れていただろうがそれ以上の小言は言わなかった。
更に一部始終を見ていたはずのロヴィーサさんも、その話題に興味を示すこと無く全く別の話題を開始する。この人たちどうなってんだよ、神経は。
「引き留めて悪かったわ。仕事、行ってらっしゃい」
「はーい、行って来ます」
エレイン、とドグラスさんが引き留める。心なしか、眉根が寄っているように見えた。
「都会へ行くのも程々にしろ。好ましく思わない奴もいる」
「うっ、はーい。気を着けます」
面倒だったので嘘を吐いた。残念な事に、シフトというものが世の中にはあっておいそれと休む訳にはいかないのだ。それに、少なくともスイーツ工房の床は板だ。村の天幕にいるよりずっと休んだ気持ちになれる。
ドグラス夫妻の今日の夕飯は鳥料理だ何だという会話をBGMに、私は今度こそ出勤すべくスイーツ工房へと跳んだ。