第3話 セトレシア騒動

06.国家指定の魔物


 お前さ、と小汚い系の男が口を開く。すでにタルトを2つ完食した彼はその手に煙草を持っていた。ただし、視線は手元ではなくアリアちゃんに向けられている。

「んな言い方したら怪しまれるだろ。宗教の勧誘かと思ったぜ」
「え、そんなつもりは……。あと、かきげんきん、だから」

 男への忠告は少しだけ遅かった。ライターで煙草に火を着けた男が僅かに「あ」、と間の抜けた声を漏らす。外に出ようと思ったのだろう、腰を浮かせた彼の煙草はしかし、横からひょいと取り上げられた。有翼族のその人が取り上げたからなのだが、確か煙草には火が着いていたはずだ。にもかかわらず、素知らぬ顔でその煙草を火ごと片手で握りつぶす。

「礼拝堂で煙草など正気か? 天上の御仁はヤニの匂いが好かぬそうだぞ、控えよ」
「あーあー、悪かったって。つい、癖で」

「あっ」

 言い争う男共を余所に、不意にアリアちゃんが小さく悲鳴を上げた。何だ何だ、ゴキブリでも出たのかと床に視線をさ迷わせるが、よくよく観察してみれば彼女は外を見ているようだ。
 どうかしたの、その言葉は突如上がったけたたましいサイレンの音に掻き消される。
 不安を煽るような、耳に突き刺さる警告音。それは礼拝堂ではなく、街中に響き渡っているようだ。

「な、何!? 何のサイレン!?」
「街に魔物が近付いて来たんだろ。門番がやらかしたかな」

 言いながら煙草を吸おうとして失敗した彼が嘆息する。というか、彼等は落ち着き過ぎだ。アリアちゃんはオロオロしているが、他2人はブレイクタイムを中断する気すら無い。
 というかそのアリアちゃんは、今サイレンが鳴る前に悲鳴を上げなかったか?

 どうしよう、今帰ると言うのも面倒だ。嫌なタイミングで警報が鳴ってしまった。「じゃあ、私は仕事に戻ります」とは完全に言い出せない空気である。
 しかも、更に間が悪い事に街内放送が始まってしまった。

『街民の皆様へお知らせです。現在、南北出入り門に国家指定魔物「スワンプマン」が出現致しました。大変危険ですので、処置が済むまで決して街の外へ出ないようにお願い致します。繰り返します――』

 国家指定の魔物。国が多額の報酬を支払う、並の戦闘技術では太刀打ち出来ないとレッテルが貼られた魔物の事だ。ここは王都ではないので、今頃ギルドでは討伐隊が組まれ始めている事だろう。
 いよいよ帰りますと言える空気では無くなってきた。もういっそ、技能バレを覚悟で抜けてしまうか――

 という思考は礼拝堂の扉が勢いよく開け放たれ、そして勢いよく閉じられる音で中断させられる。何事かとそちらを向けば、例の小汚い格好をした男の姿が無くなっていた。ギルド構成員だったのだろうか。仕事へ行ったのかもしれない。

「おねえさん……!」
「あ、アリアちゃん、どうかしたの? 大丈夫、もし魔物が入って来ても私が逃がしてあげる――」
「ううん、そうじゃなくて……。あの、オスカーを追い掛けてほしいの」
「いや誰?」

 オスカーとは、と有翼族の男が言葉を引き継ぐ。

「今し方出て行った男の事だな! よくよく無鉄砲であるな! はっはっは!」
「笑い事じゃないよ……! おねがいおねえさん、オスカーをつれて帰ってきて? オスカーがしんじゃう」

 ――いやうん。話は分かった。何だか知らないけど、言わんとする事は理解した。しかし、一つだけ解せない事がある。

「えっ何で私!? 私、ケーキ屋、店員。オッケー?」

 意味不明なお願い過ぎて思わず片言になってしまった。しかし、ここはスイーツ工房ではなく礼拝堂。私のささやかなボケに突っ込んでくれるメンバーはいない。どころか、華麗にスルーされて切ない気分になった。

「おねえさん、遠くへ行ける技能をもっているでしょう?」
「もしかして、礼拝堂裏ってここから見えるのかな? い、いやいや。それ以前に私じゃなくてギルドに頼んだ方が良いって。ね?」
「間に合わないから……」

 確信した。彼女に私の技能の内容が筒抜けだ。どこかで知り合った可能性を考えてみたが、こんな特徴的な子に出会って忘れるなどそれこそあり得ない。
 とはいえ、私はケーキ屋の店員であって人助けをする為のギルド員ではないのだ。国家指定の魔物だと言うし、あのオスカーとかいう彼がそれを追って行ったのならば触りたくない。安全第一。

 なのだが、あまりにもアリアちゃんが悲痛な声を上げるので、ちょっと心が揺らいでいる。襟首引っ掴んで礼拝堂に戻って来るだけなら――まあ、引き受けても良いような。

「時間が惜しいな。分かった、報酬を出そう。我があの男を追い掛けても良いのだが、生憎とそこまでお人好しでは無いのでな」
「えっ、いや報酬とか良いですよ。いやもう、人助けのつもりで行って来ますって。そこまで言うのなら。金銭とか貰ったら処理に困るし」
「妙に現実的な事を言うな」

 まだ走れば追いつけるかもしれない。一旦は技能の話を置き、礼拝堂の扉を開く。そんなに長い間話していた訳では無いのに、オスカーの姿は見当たらなかった。