第3話 セトレシア騒動

05.神の存在について


 素早く詰められたケーキの箱を受け取る。ご丁寧な事に、綺麗な字でメモ書きまで添えてあった。

「早急に届けろ。寄り道をせず早く帰って来るように」
「はいはい。じゃ、行ってきます」

 そういえば、セトレシア街にチラシなんて配りに行っただろうか。記憶が曖昧だが、そんな街に行った記憶は無い気がする。であれば、どこから魔力波数を調べてきたのだろうか。案外、うちの店も少しずつ人気になってきているのかもしれない。

 メモに視線を落とす。『セトレシアの礼拝堂』、とあるが何を仰ぐ為の礼拝堂なのか。村暮らしだと神とは縁遠すぎて上手くイメージが出来ない。
 ともあれケーキをデリバリーしよう、と私は行き先を強くイメージした。

 ***

 やや冷たい風が頬を撫でる。人の気配が遠い。薄目を開けて周囲を見回してみると、どうやら礼拝堂の裏に出たようだった。小ぶりだが立派でしっかりした造りの礼拝堂。最新の技術を取り入れて建てられている。
 流石に関係者でも無いのに裏口から入る事は憚られたので、表へ回った。美しいステンドグラスは赤や緑、青い光を放っている。これは何を象ったものなのだろうか。

 綺麗だなあ、なんて子供の感想を心中で呟きながら無遠慮に扉を開く。開いた後で、失敗したかもしれないと思い至った。礼拝堂は神へ祈りを捧げる為の施設。いきなり入るのではなく、一度声を掛けた方が良かっただろう。
 ――が、その失敗は運良く誰に見咎められる事もなかった。礼拝堂の長椅子に座っているのが1人、一番前の聖壇に立っているのが2人しかいなかったからだ。

 しかし、目を疑う光景が、1つ。

「え。……えっ!?」

 私は神の存在など信じてはいないし、常日頃からその存在を忘却している、そんな人間だ。
 が、今日ほど神の存在を信じた事は無いだろう。

 聖壇の中心、祈りを捧げていた少女がふわりと振り返る。天窓から注がれる太陽の光を纏った彼女は実に尊い存在だった。
 明るい赤、もしくは桃色の双眸と目が合う。透けるように白い肌、初雪のように色素のない長髪を華麗に編み込んだ頭。ただの白いワンピースでさえ心なしか神々しく見える。
 無色であるはずの少女はしかし、礼拝堂の中で一際異彩を放っていた。生まれたばかりの赤ん坊が外に一度も出ること無く成長したような純粋無垢さは、いっそ毒だ。
 茫然と突っ立っていると、先に少女が口を開いた。

「あ、ケーキ……ありがとう、ございます」
「え? あ、はい」

 思いの外元気に聖壇を駆け下りて来た少女――否、注文者であるアリアちゃんにケーキの箱を渡す。配達先で言わなければならない文言など吹っ飛んでいた。というか、え、この子が注文したの?

「あの、お代は?」
「あ。あーっと、2760円です」
「はい、あの、丁度です」
「毎度」

 気付けば代金を片手に握りしめていた。握りしめられたお札はぐちゃりと歪んでいるし、目の前のアリアちゃんも若干引いている。
 そうこうしているうちに、3人しかいなかった礼拝堂の面々が会話を始めた。そこでようやく、アリアちゃん以外の2人にも目が行く。

 どちらも男性だ。アリアちゃんの隣に立っている男は30代前半くらいだろうか。白い羽毛が服から見え隠れしているので、有翼族だと思われる。
 もう1人の男性は20代半ばか後半くらいだろうか。何だか小汚い格好をしており、礼拝堂の荘厳な雰囲気とは悪い意味で浮いている。とても礼拝堂へ祈りに来るような人物には見えない。

 一番に口を開いたのは、ケーキの箱、中身をアリアちゃんに見せられていた小汚い男だった。神のように麗しい少女を前に、遠慮もクソもなくぶっきらぼうに訊ねる。

「何だよ、これ俺の分もあったのか? 勝手に寝泊まりしてるだけだから、気にしなくて良かったんだがな」
「お腹、減ってるかなと思って」
「神かよ」

 食べないのなら、と面白可笑しそうに口を挟んだのは有翼族の男性だ。

「我が食べよう!」
「いや、あんたにやるくらいなら素直に俺が食べるわ。何で貰えると思った」

 ――これ知り合いか。身内トーク始まったな、帰ろう。
 すでに礼拝堂には用など無いので、バッグに詰め込まれているチラシを一応は渡して帰るべきか否かを思案する。味が気に入れば常連となってくれそうな空気だが、さてどうだろうか。フェアの予定なんかを持って行けば次も注文してくれる、もしくは礼拝堂に来る信者達に宣伝してくれるかもしれない。
 よし、置いて行こう。

「あの」
「ひえっ!?」

 バッグに手を突っ込んだ瞬間、狙い澄ましたかのようにアリアちゃんが話し掛けてきた。変な声が漏れたせいで、行儀悪く手掴みでタルトを食べていた小汚い男に睨まれてしまう。

「ど、どどどどうかしたのかな?」
「あの、おねえさん……。タルト、美味しいみたいです」
「あ。本当? 良かった、店長にそう伝えておくよ」
「うん、あのね、おねえさん、本当にケーキを運ぶだけのおねえさんなんだよね?」
「えっ。まあ、原則私が運ぶのはケーキだけだよ」
「おねえさんは今後、いろんなことに巻き込まれそうな気がする。気を着けてね」
「マジかー」

 街角で店を開いてる占い師の客引きみたいな発言にやや引いてしまった。そうか、彼女は祈りに来ている信者ではなく、礼拝堂を取り纏める存在なのかもしれない。11歳くらいに見えるが。