第3話 セトレシア騒動

03.クリフに足りないもの


 着替えて店へ戻ってみると、最後見た光景から何一つ動いていなかった。え、何? 時でも止まってたの?
 私の怪訝そうな顔――ではなく、空気に気付いたのかヘルマンさんがこちらを振り返る。しかし、そこから何の話題に発展させるのか考えていなかったようなので、仕方なくこちらから話題を振った。

「えーっと、ヘルマンさんは店長とどんなご関係で?」
「うむ、儂は奴の師でな。店を出すと遠い昔に言っておったから、見に来た訳よ」
「ああ! じゃあ、あなたもパティシエなんですね。最近の菓子職人はムッキムキに筋肉を鍛えるスタイルが流行ってるんですか?」
「は? いや、儂は武術の師だぞ」
「えっ?」
「え?」

 ――……いやいやいや。待て待て。
 店長はパティシエ。菓子職人だ。では、その師であるヘルマンさんは武術の師? 何故だろう、前後の文脈が上手く繋げられないぞ。
 フォローするように店長がここでようやっと状況の説明を開始した。

「師匠は俺がケーキ屋を開く為に通っていた道場の師範だ」
「すいません、一個いいですか。何でケーキ屋を開く為に武術が必要だと思ったのか、そこんとこを端折らず正確に教えて下さい。関連性がまるで見当たらないです」
「強いは弱いを兼ねる」
「兼ねねーよ!! それ、大は小を兼ねるだから! 造語を挟むの止めて下さい!」

 何のフォローにもならないし、どうやら私には奥が深くて理解出来ない話だったようだ。これ以上突くのは止めよう、夜とか考え過ぎて眠れなくなってしまう。
 ここで、ヘルマンさんからの援護射撃が入った。

「うむうむ、そちらのお嬢ちゃんが言う事は尤もな事だな。儂はそれなりに有名な道場を経営しているが、後にも先にもケーキ屋を開きたいから武術を学ぶと言ってのけたのはお前だけだぞ」
「そりゃいないですよ、そんな特殊な理由で武術を学ぼうとか言い出す人なんて」
「しかし、構わん! 道とは求める者にのみ開かれるもの! 儂の道場を卒業したお前にはそれだけの覚悟があったという事だろうよ」
「ええー……」

 ちょっと意味が分からない。パティシエ志願のクリフくんはどう思っているのだろうか、とそちらを見やる。そして周りに味方などいない事を悟った。
 メモとペンを持ったクリフくんは、そんな店長とヘルマンさんにいたく感銘を受けたようだ。頻りに頷きながらメモを取っている。みんなおかしいよ。

「く、クリフくーん……?」
「成る程。俺に足りないのは武術と、それを習得した上での菓子作りの覚悟だったのか。盲点だったな」
「うん、私も盲点だったよ。クリフくんがそんなに頭悪かったのは。いや、もうこれは私がおかしいのかな?」

 話は終わったと言わんばかりにヘルマンさんは適当なテーブルに腰掛けた。それを見た店長もまた、店の経営者としての顔に戻る。尽きない疑問もあったが、私もそれに倣ってトングを手に持った。

「えーっと、ヘルマンさんは何を食べますか?」
「ううむ、お嬢ちゃん……エレインとか言ったか。手は洗ったか?」
「あ、洗いましたよ失敬な! 良いから、何食べるんですか!」

 元はと言えば血塗れになったのはあんたのせいだ、とは流石に言えなかった。お客様は神様。

「では、そうよな。店長のお勧めを1つ貰おうか。あとは一番左端のタルト、甘芋の乗ったそのプリンも良い。ついでにガトーショコラも貰おう」
「全部食べて行かれますか?」
「おうとも」

 よく食べるおじいちゃんだな、そう思いながら注文の品とショートケーキを皿に乗せる。スイーツ工房のお勧めはショートケーキ。店長曰く、どこの店でも取り扱っている品程味が分かれるらしい。これは数少ない、店長の自信の表れである。

「お持ち帰りとかは要らないですか? 今のうちに箱詰めしますけど」
「うむ、良い味だ。持ち帰り、弟子達に振る舞ってやりたいのは山々なのだがな、如何せん儂の道場は三つ子山でな。持って帰るうちに腐ってしまうであろうなあ」
「み、三つ子山!?」

 正式名称、ミカミザワ三つ子山。三つの瘤が繋がっている壮大なサイズの山で、王都を挟んだシリザンの森から見て正面に位置する山だ。当然、ここからだとかなり遠い。
 ここで興味を示したのは黙々とケーキを食べていたリリちゃんだった。

「三つ子山って言ったら〜、あなたって拳右道場のぉ、師範なんでしょ〜?」
「む、エルフか。人間と働いている姿を見るのは珍しいな。ともあれ、確かに儂は拳右道場の師範である」

 三つ子山の瘤には、それぞれ剣、拳、魔法の師範代が施設を持っている。道を極める者にとっての憧れであり、同時に行き着き先でもあるらしい。
 そんな三つ子山だが、シリザンの森と同じく出る魔物のレベルがかなり高い。Lv.3〜6という一般人が入れば八つ裂きは不可避の魔境。それがミカミザワ三つ子山である。そんな場所に住んでいる師範代のヘルマンさんが、この森を抜けられないはずがなかった。

 しかし、当の本人はリリちゃんを一瞥し、そしてクリフくんを見やっている。そして目を白黒させた。

「ううむ、雇用形態についてアレコレ言うつもりは無いが……。このエルフ達は喧嘩せぬのか? 天敵同士ではないか」
「しませんね」
「ほう、何故?」

 それは、とクリフくんが店長から説明を引き継ぐ。

「仕事ですから。従業員同士が店の中で血で血を洗う争いなどしていては、仕事にならないでしょう」
「いや、理不尽な理由で万年対立状態のお前達エルフ族にそれを解かれてもな……。まあよい、ブライアンよ。お前の手腕であるな、感心するぞ」

 何か勝手に話が良い方へ進んでしまった。そんなヘルマンさんに、クリフくんがすっとチラシを渡す。

「必要であれば、うちのエレインが拳右道場までケーキを運びます。ご連絡下さい」
「ああ、噂のデリバリーとやらか。なかなかに強靱な魔物が棲み着いておるが――いや、お節介であったな。どうやってナマモノを運んでいるのかも聞かんでおこう。詮索は老人の悪い所である」

 言いながらヘルマンはチラシを綺麗に折り畳んで懐にしまった。これは常連になってくれる予感。