第2話 スツルツのウサギ

02.誕生日ケーキ


 ***

 一度家へ帰った私は、そのまま直接店内へと移動した。またあんなドッキリハプニングが起こって服を駄目にしたくはない。それに、血の染みはなかなか落ちないのだ。

「おはようございます、店長!」

 店長の姿は無かったが、奥の厨房にいるのだろうと思って大声を張り上げる。出勤したら挨拶、人間関係を円満に進める為に不可欠な事なのだ。
 早速、店内の軽い掃除をしようと何の気なしに店の中を見回す。
 そしてギョッとした。
 ――店長愛用の魔物狩り用の斧が、壁に立て掛けられたままだ。こんなもの、お客さんに見られた日には何と言われるか分からない。ただでさえ、王都ではシリザンの森に魔女が人間を食べる為の小屋がある、などと訳の分からない噂がまことしやかに流れていると言うのに。

 いつもの保管場所であるカウンター下に斧を直そうとして柄を掴む。

「重っ!」

 そして手を離した。バタン、と盛大な音を立てて斧が床に倒れる。危うく足の指がもう1本増える所だった。
 手で持って行くことを早々に諦め、斧を掴んだままカウンター内部に移動。そのまま何とかカウンター下に斧を押し込んだ。こんなことばかりしていたら、いつだったかクリフくんに「才能の無駄遣いだな」、と心底哀れみの籠もった声で言われた。腹立つ奴である。

「よし……11時か。ビエラさんの手伝いには――行きたくないなあ」

 そろそろ客が来るなり、デリバリーの注文が来るなりする時間帯だ。私は念話器の使い方が分からないので、ビエラさんかクリフくんには店内にいて貰わなければ困る。であれば、外の掃除を終わらせる手伝いをする事が最善の方法なのだが、驚く程気が乗らない。

 そんな私の気持ちを汲み取ったのだろうか。
 使えもしない念話器が、受信を告げた。頭に直接響くようなキーン、という音が響く。まずい、相手を知らない以上こちらから念話し返す事は出来ない。切られてしまえばそれまでだ。

「ビエラさ――」
「取りましょう。少し待っていて下さい」

 流石はビエラさん。魔物狩りとかやってるアホとは違って、本当に優先すべき仕事を弁えている。
 すでに店内に足を踏み入れていた彼女は、床を鮮血で汚しながら念話を受け取った。カウンター奥にまで彼女が残した赤黒い足跡が続いている。自分で拭いてくださいね、これ。

『誕生日ケーキ、注文したいのだけれど』

 念話器から聞こえて来たのは若い女性の声だ。球体に手を翳したビエラさんがその言葉に応対する。

「畏まりました。ホールのサイズはどう致しましょうか?」
『ホールのサイズ?』
「何名程で召し上がるのでしょうか」
『えーっと、5人くらい? あっ、そうだ。一度に5人くらい祝うから、ロウソクの数は多めにお願いするわ。みんな年齢がまちまちだから、ケーキにロウソクを立てて華やかに見えるように』
「ええ、承知致しました。5名程でしたらホールのサイズは5号がお勧めですね」
『あ、そうなの? うち、ギルドなのよ。1つ大きいサイズで注文出来るかしら?』
「6号ですね。どのようなケーキに致しましょうか?」
『フルーツがたくさん乗っている、生クリームのケーキが良いわ。出来るだけチョコレートは使わないで。獣人がいるの』

 獣人の中にはチョコが食べられない者がいる。というか、ネギ類も食べられない者がいるのだ。食べたところで死にはしないが、嫌いらしい。というか、生クリームも駄目な獣人は多くいる。よく分からない世界なので、客が明らかに人間ではない場合は変な気は遣わず好みをさっさと訊ねるのが吉だ。

「いつまでにお届けすればよろしいでしょうか?」
『明日の昼頃にお願い出来るかしら?』
「確認して参りますので少々お待ち下さい」

 念話器から一瞬だけ手を離したビエラさんが厨房の奥へ入って行く。そして、すぐに出て来た。

「お待たせ致しました。明日ですね。どこで受け取られますか?」
『スツルツ街、門の前は大丈夫かしら?』
「街の中での受け渡しも可能ですよ」
『いいのよ。あたし、丁度その時間は門付近で門番やってるの。仕事上がりに貰って行くつもりよ』
「畏まりました。では、そのように注文致します」

 ビエラさんは客と注文内容の確認をもう一度行った後、念話器から手を離した。どうやら今日ではなく明日の仕事らしいのでその様をぼんやりと見つめる。

「ふん、ギルドからの注文か」
「あ、クリフくん」

 全身返り血まみれのクリフくんがいつの間にか店に入って来ていた。うわぁ、と私は心底引いたような声を出し、その上で苦言を溢す。

「クリフくん、今日一日は食べ物に触らないで欲しいな」
「馬鹿言え。何の為に店まで来たか分からないだろうが、間抜けめ」
「間抜けはそっちだと思うけどなあ……」

 彼は私達店員とは立場が違う。何せ、従業員の傍ら、菓子作りに精を出すパティシエの卵だからだ。ある日、突然店長に弟子入りしたらしい。菓子だけ作るのもあれだから、と存外積極的に接客もこなしてくれる。とはいえ、彼の表情筋に営業スマイルという筋肉は含まれていないが。