第5話

12.朝と夜の混じり合う館


 肩口を押さえたチェスターが苛々と舌打ちする。氷の魔法を放ってきたが、イアンの付与魔法のお陰かさほど苦労すること無く魔法範囲外へ逃れられた。大規模な魔法を使って来ないあたり、館の事を気にして――

「えっ!?」
「何だ。注意を逸らす為にしては杜撰過ぎる――」
「いや、そうじゃない」

 色々試したい事がある。そう言っていたイアンが再び術式を紡いでいた。それはもう、とてつもないサイズの術式を。立てた金属製の杖、その先端を中心に蜘蛛の巣のように術式は今もなお成長を続けている。
 隙だらけの棒立ち、ジャックのその姿に思う所があったのかもう一度胡乱げな視線をこちらへ投げたチェスターがゆっくりと振り返った。

「……一応言っておくが、館を破壊したところで『夜』という特性は消えないぞ」

 引き攣った顔をした真・館の主は心底迷惑そうに宣う。彼がこの館を管理していると仮定して、やはり争いで破壊されるのは気に食わないのだろう。
 一方で、イアンはにこやかに微笑んだ。

「そんな勿体ない事は致しません。それに、『夜の館』はメイヴィスの遺物。そう簡単に破壊されるような仕掛けではないはずです」
「で? それを分かった上で何がしたいんだ」
「私はこの館に作用している魔法が、範囲結界であると仮定します。つまり、結界そのものを破壊するのは不可能。どこにあるかも分からない、結界維持装置を破壊しなければならないからです」
「……」
「であればどうするか。範囲結界そのものは結界内部の条件を書き換える魔法。その内側に、私が新しく条件を設定した範囲結界を張れば――即ち、『昼』の条件に書き換える事が可能なのではないでしょうか?」

 ドームの内側に新しくドームを建てる。端的に言ってしまえばイアンが言っているのはそういう事だ。理論上は可能のような気がしてくる自信満々ぶりだが、不安が拭えない。
 案の定、彼女の提案を黙って聞いていたチェスターはその推論を鼻で嗤った。

「人間一人の力で、膨大な魔力を消費する範囲結界など張れるものか。仮にそれが成功し、目論見通りに事が運んだとして。流石の元顧問魔道士殿でも結界の維持に手一杯ではないのかな? ならば、現状と何ら変わらないではないか」
「まあ、物は試しというものですよ。吸血鬼の性質を殺す事が可能なのか――吸血鬼を夜に殺害しうるのならば、それは人類にとって大きな前進ですね」
「詭弁はよせ。そもそも、術式を発動させるはずが――」

 自身の役割を思い出したジャックはチェスターがイアンを妨害するのを、妨害するようにタガーで斬り掛かった。すっかり忘れられていたらしく、ただ振り下ろしただけのタガーが僅かに吸血鬼の顔面を引っ掻く。
 振り下ろされたチェスターの手刀がタガーを持っていた腕を跳ね上げた。何て力だろう。得物を手放さなかったのは僥倖だった。

 転がるようにして距離を取ったチェスターが再び魔術式を展開、瞬きの刹那にはキラキラと輝く、ほとんど不可視の刃が襲い掛かって来る。それは逃げようとした脚を封じるかの如く太腿の肉をざっくりと裂いた。
 思った以上の深手に脚の力を失い慌てて受け身を取ってそのままの勢いで起き上がる。走ろうと思って脚に力を込めると鈍い痛みが襲う。

「ふん、お前はイアンがそこにいる間に館から逃げ出すべきだったな。127号」
「逃げられる状況じゃなかっただろ……」
「そうだろうか? 私の注意はアレに注がれていたのだから、その脇を走り抜ければ良かったのだ。その、与えられた脚力で」
「……た、確かに!」

 盛大な溜息を吐かれた。目の前の吸血鬼はおろか、術式作成中のイアンにまで。

 ――と、イアンが術式の展開されていた杖の柄で床を軽く打った。
 涼やかな、しかし荘厳などこか畏怖を覚える清廉な音が響き渡る。基本的に魔法を嗜まないジャックには彼女の紡ぐ術式は円形の意味不明な文字が並んでいる模様のようにしか認識出来ないが、今回のそれは違った。
 最初は1つの術式として編まれていた意味不明な文字列は分裂し、片方は見慣れた全く理解出来ないいつもの術式。もう片方は時計盤と一目で分かる造形を紡いでいる。

 9時を示していた時計盤が逆時計回りに時を刻み、一周して再び9時を指し示す。魔法には明るく無いジャックですら、それが何を意味するのか理解した。
 午後9時から、午前9時に変わったのだと。
 外の風景は異様だ。見える景色の半分は朝日の差し込む午前の風景に。もう半分は星の瞬く午後の風景に。あまりの意味不明さに、頭痛を訴える頭を押さえる。こんな風景、もう二度とは見られない事だろう。