第1話

01.サイコ魔道士


 安物、同じ意匠の家具が並んでいる。それは自室と言うより宿で借りる、仮の自室のような体をなしていた。しかし、そのイメージは間違いではない。何せ、ここは軍から貸し出された拠点の一室だからだ。
 アレグロ帝国顧問魔道士、イアン・ベネットは誰も居ない自室で小さく溜息を吐いた。
 現在、帝国は大陸統一作戦を推し進めている最中だ。つまり、物理的な争いを伴った戦争状態だと言える。地図の上から見れば小さく見えるこの大陸の為に毎日毎日毎日、軍議に次ぐ軍議。軍議の合間に隣国を侵略。役職に就いて買った土地と大きな家、そこに帰る暇だってない。
 今も隣国、シルベリア王国に勝手に建てた拠点に住み込んでいるのだ。

 ――何てつまらない毎日なんだろう。

 ふとそう思う。帝国は最初から大陸一の国土を誇る強国だった。それは、戦争を始めた今も変わらない。隣の国土を侵すなんて朝飯前だし、こちらは大まじめに侵略作戦を進めているのだから隙は無い。力の差は天と地程もあり、これが作戦ではなく作業と成り果てている要因でもある。
 つまらない。何度でも言える、本当につまらない。
 自分がここにいる必要はあるのだろうか。現場監督をするだけなら、魔道士じゃなくても出来る。何も起きない毎日に辟易し、期待という感情が薄れていくのを感じるのだ。
 もういっそ、帝国を脱走して裏切り者の烙印を背負い、逃げ回っていた方が幾分か楽しそうに思える。
 刺激が欲しい。勝ちが確定しているのは参加していて楽しめない。勝敗の境界線上に立っていたい――

 何かが引っ繰り返る盛大な音で我に返った。
 酷く外が騒がしい。もしかして、シルベリア兵の抵抗?或いはシルベリアの、更に隣国からの襲撃?
 そうであった場合、事態に対処出来るのは自分と駐屯しているドミニク大尉しかいない。イアンは嬉々として立ち上がった。開けてみるまで何とも言えないが、こういうハプニングは大歓迎だ。
 「どうしましたか」、そう訊ねる為だけにドアノブに手を掛ける。鍵を外そうとしたが、その行動はしかし、ドアに重いモノがぶつかる音で中断された。
 2回、3回、4回――
 5回目を数えたところで、ドアが外れた。蝶番が限界を超えたものと思われる。ノックして来ないあたり、真っ当な理由でこの部屋を訪れた訳ではないだろう。
 胸が高鳴る。長らく会えなかった恋人との逢瀬のように。
 ドアが倒れる。現れた人物は余所の兵士でも、命知らずな強盗でもなかった。

「おや?貴方は確か――そう、研究所預かりの……127号じゃないですか。どうされました?」

 どうした、と聞いておきながらまともな返事があるとは思えなかった。
 彼はそう、今回作戦に試験導入されたホムンクルス127号。帝国が10年以上前から研究している、人間の代わりに戦えるホムンクルスの一体だ。何せ、勢力は広がっているが人間の数は足りない。帝都も護らなければならないし、制圧した他国の兵士達が反乱を起こさないとも限らないのだ。人手が足りない、本当に。
 ただし、所詮は神でなく人の創造物。意志の疎通は出来ない、養液から出せばグズグズに溶け出す、など成功らしい成功例は今の所ほとんどいないのが現状だ。

 まともな返事すらあるとは思えない、であるにも関わらず脳内には期待が満ち満ちていた。
 人工物であるはずの彼、127号に浮かぶ実に人間らしい焦りと必死さが綯い交ぜになった表情は何か面白い事を予感させるのに十分だったからだ。
 ドアを突き破って立ち尽くす127号にもう一度優しく声を掛ける。

「何か用事があったのではないのですか?ドアの件には目を瞑りますから、話してみてください」
「うっ……」

 手ぶらである事を示すように手を挙げ、一歩距離を詰めたら何故か不気味なものを見る様な目で127号が後退った。失礼な事この上無いが、今は良い。それさえ気にならない。
 本能が警鐘を鳴らしている。こいつには関わらない方が良いと。その警鐘ですら心地よく脳の隅が冷えていく感覚を楽しむ。一歩間違ったらとんでもない事になりそうな、取り返しの付かない事になりそうな危うさが堪らない。
 上のフロアを走る、忙しない音が耳に届いた。捜してるのは目の前のコレで間違い無いだろう。
 一瞬意識が逸れたからか、弾かれたように127号が言葉を紡ぐ。

「あ、あんた、俺達と帝国を脱走する気は無いか!?」

 あまりにも突拍子の無い言葉に思考が止まった。少し前まで考えていた妄想を、現実から口にされたような錯覚。
 127号を見やる。少しだけ怯えているが、確固たる理由があって自分に話しを持ち掛けてきたのだろう意志の強さ。しかし、時間があまりない。

「へぇ!大変面白い申し出ですが――何故、私にそれを?帝国を寝返りそうな者なら、もっと他にいそうですけどね。いくらホムンクルスとは言え、私の評判を知らないはずが無いと思うのですが。ああいえ、不敬だと憤慨しているわけではないのですよ?純粋な、興味から訊ねています」
「あ、ああ……。あんたの話は聞いてる、色んな奴から。仕事は出来るけど、頭の可笑しい戦闘狂だってな!だからこそ、俺はあんたに話を持ち掛けようと思った」

 湧き上がる好奇心。ホムンクルスと成り立つ会話をしているのは勿論、彼には彼の考えがあって今ここに立っているのだ。最早、物扱いするのは彼に対する侮辱と冒涜だとすら思える。
 含んだ笑みが自分の喉の奥から漏れるのを聞いた。
 平坦な道を散々マラソンした後、急な坂を上っているような感覚に似ている。急に心拍数が跳ね上がるような興奮感に。

「凄い!もう、貴方の返答次第によっては帝国を出て行くメリットなんて微塵も無いけれど、協力してあげてもいいとすら思えます!ほら、後一押しですよ、頑張って!」

 化け物でも見る様な顔をした127号はしかし、その表情を打ち消すとイアンの問いに答えた。表情にチラチラと滲むのは生存意欲か。

「あんた……聞いてる以上に頭がおかしいんだな……。とにかく、あんたは覚えてないだろうが、俺はあんたと作戦に何度か参加している。ずっと退屈そうな顔してただろ?それで、あんたの気持ちになって少し考えてみたんだが――」
「私の気持ち!人工物が、人間の気持ちになって考える!素晴らしい発想です!私が貴方なら、何十年生きた所でそんな発想には至らないでしょうね!くふっ……ふふふっ、あ、どうぞ、続けて下さい」
「……不気味な奴。で、刺激の欲しそうだったあんたに脱走の話を持ち掛けたってわけだが、間違ってないんだろ?その様子を見る限り」

 全く間違っていないどころか、完璧にイアン・ベネットの感情をトレースしていると言えるだろう。それは彼という人格――そう、人格が成せる業なのかホムンクルスという種の特性なのか。
 少し冷静になって考えてみれば、この拠点から脱走する場合、自分か或いはドミニク大尉に声を掛けるべきだろう。彼は話を聞く限り一緒に逃げる仲間がいるようだが、自分とドミニクに出張られれば間違い無く失敗する。
 ならば、どうするか。
 恐らく自分が脱走する際にもそうするだろうが、一番の壁を仲間に取り込む、もしくは不意討ちで殺害、そこから脱走がセオリーだろう。どちらも不可能ならば日を改める他無い。
 しかし、ここで人間としてはマトモな思考回路をしているドミニクを常識の観点から攻め落とすのではなく、奇をてらって自分に話を持ち掛けて来た事は評価に値する。

「おい?聞いていたのか?何だよ、急に冷静になって……あれ、もしかして失敗した……?」

 ぶつぶつと呟く127号に笑みを手向ける。じり、と彼は数歩後退った。随分と恐がられているようだ。

「――最後に一つ、訊きたいのですが。貴方……もし私が話を聞かず、いきなり仕掛けて来たらどうするつもりだったのですか?想像もしていなかった?絶対に私が話を聞くまで手を出して来ないという確証があった?教えてください、知りたいのですよ、それが」
「無かったのは選択肢だろ、普通に考えて。あんたの気紛れに懸けるしかなかった、何もせずに脱走したところで、悪くて処分、良くても一生研究所から出られない、だったら懸けるしかないんだよ。不確かなものにな!」

 よろしい、とイアンは手を打った。
 元々、彼の駆け込み事案が無くても帝国はいつか裏切るような気がしていたのだし、丁度良い機会だ。疑問なのはタイミングが良すぎる事と、あまり深く考えてもいないのに人生を左右する決断を下そうとしている事くらいか。
 まるで錯覚だ。現実味がまるで感じられない。地に足が着いていない所を、何か強い力で引っ張られているような錯覚。
 ――気のせいならいいのだけれど。

「おい?何をボーッとしてるんだよ、逃げるぞ」
「その必要はありません。堂々と正面玄関から出ればいいのです。今日は大した数の兵士などいませんし、ドミニク大尉はまだ殺していないのでしょう?」
「こ、殺す……!?いや、俺達は何もしてないから生きてるだろうが……」
「彼も馬鹿ではありません。私は対多人数用キメラを召喚出来ますので、兵士を差し向けるような真似はしないでしょう。大尉はお優しい方ですからね」

 ドミニク・シェードレ。戦線に出る大尉の中では比較的若い、常識的な思考能力を持った男性だ。少し頭に血が上りやすい所が玉に瑕だが、兵士を死にに行かせるような采配は執らない。
 召喚獣を盾に脅せば難なく拠点からの脱出は出来るだろう。それよりも問題は――

「127号、貴方は先程、『俺達』と言っていましたが他にお仲間がいるのですよね?それはどうしますか?」
「外で落ち合う予定だから、まずはここを脱出する。俺があんたに会いに行っている間に抜け出す手筈なんだよ。それと――俺は127号じゃなくて、ジャックだ!」
「ああ、そう言えば貴方には名前があるのでしたね。誰も呼ばないので知りませんでした」