1話 人を喰らう家

08.自己紹介をする時の最適なタイミング


 ***

 肩で息をしながら、レアは背後を見た。『怪物』はどうにか巻けたらしい。知能があまり高くない上、足も遅くて助かった。

「何で俺達ばっかり追い回して来たんだろーなー」
「……アンタが、いるからじゃないの?」

 何故か同じ方向に逃げて来たコイツ、ギルを見てレアはぐったりと溜息を漏らす。何でこいつが着いて来てしまったのか。荷物が増えた感はあるが、有難味は欠片も感じられない。せめて一緒に逃げるならサディアスの方が良かった。
 しかし、こんな馬鹿でもいないよりはマシなはず。他に話し掛ける相手もいないので、仕方なしに口を開いた。

「2階まで上って来たわね」
「おう、そうだな!」
「あの煩い音を出してた怪物は追って来なかったけど、アイツはつまり獲物の居場所を報せる役割って感じかな」
「え、そうだっけ? 全部一緒に見えるから分かんねぇ!」

 思わず舌打ちが漏れた。何でそんな肝心な部分を見ていないのか。一人になったコイツはすぐに死んでしまうのではないだろうか。

「……目がぎょろっとしてる奴は目が良いって事かしら……。となると、あの鼻が大きな怪物は――」
「それが何だって言うんだよ」
「うっさいわね! こうやって怪物の特徴で獲物の追跡方法が違うのなら、次からはそれに対応した逃げ方をすれば、簡単に逃げられるでしょ!」
「へえー、ナルホドなあ。でもまあ、俺としては次遭った時にはアイツ等燃やしたいけどな!」

 室内という事を忘れているのだろうか。それとも、他の仲間が焼け死のうがとにかく怪物を燃やしたくて燃やしたくて堪らないというサイコ発言と捉えていいのか。恐らく前者だが、なかなかにスリリングな発想である。
 アホな事になる前に釘を刺しておこう、とレアは頭を抱えながら「とにかく燃やしたい」発言の何が駄目なのかを懇切丁寧に説明した。

「アンタね、サディアスは確かに火に巻かれたくらいじゃくたばらないわよ。でも流石に燃えて炭にでもなったら回収が大変じゃない。あたし達も逃げ遅れるかもしれないんだから、安易に火を着けようとするのは止めておきなさいよ」
「じゃあ、サディアスと合流した後はもう、この家に放火して良いって事だよな!」
「放火魔……!!」

 危険過ぎる。とはいえ、ちゃんとサディアスと落ち合えれば有効な手段と言える。その程度でこの怪物が倒せるとは思えないが、外で例の怪物の目撃情報が挙がっていないあたり、この屋敷の中でしか生きていけない魔物の類なのかもしれない。
 とにかくまずははぐれたサディアスと合流する必要がある。殺されても死なないのであまり心配はしていないが、この屋敷には何が潜んでいるか分からない。早急に作戦を練り直す必要がある。

「ギル、サディアスを捜すわよ」
「あ、おい! あの目がぎょろっとしてる奴、来てるぞ!」
「うわっ、マジだ!! アイツは多分、視覚を頼りにあたし達を追跡してるわ。角を曲がって部屋に入ってしまえば巻けるはず!」
「おー、分かった!」

 ――ホントに分かってんのかな……。
 不安しかなかったが、後は自己責任だと思い直しレアは駆け出した。

 ***

 途切れた視界がゆっくりと回復し、脳に情報の伝達を再開する。まず眼球が捉えたのは2本の脚だった。地面に倒れ伏していた事に気付き、身体を起こす。

「ヒッ……!? ええ? 何で生きて……いや、大丈夫ですか」

 心底引いたような声が頭上で聞こえた。脚の主が顔を覗き込んで来る。
 黒い艶やかなセミロングにやや童顔、全体的に――レアやプリシラと比べると奥ゆかしい体型をしていると言えるだろう。その顔には見覚えがあった。
 別荘で部隊長殿に渡された勧誘リスト。
 新しく加わった顔の中に、彼女は確かに存在していた。名前は確か、ミハナ・カネドウ。

「うそ、やっぱり死んでる……?」
「いや、生きている」

 カッスカスの声で答えると驚いたように彼女は飛び退いた。その反射的な動きが思いの外良かったのと、一足で思わぬ所まで下がったあたり、身体能力は高いらしい。
 ともあれ、いきなり名前を言い当てては更に警戒させてしまいそうだ。ここはあくまで知らぬ振りを装って自己紹介から入るべきだろう。

「寝転がっていて悪かったな。俺はサディアス。お前は何故、この屋敷に?」
「いや腹に風穴空いてるように見えるんだけど、もっと他に言う事あるだろ! 最早ただのスプラッタホラー!!」

 ――しまった、何か順序を失敗した。
 いやそもそも、腹に穴が空いてるのは何でだったか。毎回そうだが、死亡すると前後の記憶が若干曖昧になる。死ぬ前に、彼女とは会っていたのだったか。

「つかぬ事を訊くが、俺は何故死んでいたのだったか?」
「やっぱりアンデット系な訳? 当然のように生き返らないで貰えます? 何で死んでいたのか、って人生の内でそうそう訊かれる事無いわ……」
「技能のせいで不死だからな、厳密に言えば死なない、と言う方が正しい」
「技能……? まあ、生きているのなら良いよ。んー、私が通り掛かった時にはあんたはもう倒れてた、かな」

 少しばかり言い淀んだ彼女はそう言って肩を竦めた。真実か否かが怪しい口調である。
 疑問に思いながらも戻りつつある感覚を総動員してどの程度の傷を負ったのか調べる。成る程確かに、見ず知らずの人間からドン引きされる程度には大怪我だ。まず普通に動けるような、否最早怪我と言えるレベルではない。致命傷。